†いかに遊ぶか
本書の中で意図的に使い分けている言葉といえば、「遊び」と「ゲームプレイ」もそうだ。
「遊び」は、ただ楽しんで行われる活動を指している。本書ではテーブルトークRPGに関連するさまざまな行動を「遊び」の範疇として扱っている。
対する「ゲームプレイ」は、ゲームシステムで定められたルールに従い、ゲームに参加することを指す。楽しんで参加することが望ましく、そう努力するのは素晴らしいことだが、楽しいか否かはゲームプレイの判断基準に含まれない。
ゲームプレイを遊ぶ方法は色々あるが、ゲームマスターとして遊ぼうとするなら、セッション中はなるべく余裕を持つことが大事だ。そのために必要となることは、事前の準備である。そしてそこに待ち構えている慣れない作業が、ゲームマスターのイニシャルコストとして重い負担となっている。
ベテランのゲームマスターたちは、そうしたコストを遊びに変えることに長けている。ゲームシステムを選んだりセッションの準備したり、あるいはシナリオを作ったりしながら「どんなセッションになるだろうか」と楽しみにしたり、「こういうセッションも面白いんじゃないか」と工夫したりする。そのためには作業の意味を知り、なにができるかを知ることだ。その中から自分が楽しめることを見つけていけばよい。
要は「いかに遊ぶか」なのだ。