日中、家で原稿を書いているとチャイムが鳴った。
ついインターホンに出てしまったら、どこぞの宗教団体の布教活動らしい。
モニタを見ると、オッチャンと若いのが二人で立っている。
しまった、と思ったが時すでに遅し。僕はインターホンから声を発していた。
面倒だなァ、と思ったのでちょっと酷いことをすることにする。
先に一つ質問をすることにした。
正しく答えられれば話を聞いてもいいかもしれない。
玄兎「貴方は何のためにそのような活動をしているのですか?」
オッサン「いろいろと物騒なこと、心配なことの絶えない世の中で、生きるための支えとなるものがあることを一人でも多くの人々に知っていただきたいと思っております」
はい、失格。
玄兎「そうですか。でも僕には既に持ち合わせたものがありますので必要ありません。お帰りください」
で、ガチャリ。
二人はしばらく玄関前で言葉を交わしてから去っていった。
うーん、やっぱりダメだねぇ。
もしこの質問に「自分自身のため」と言えるような人間だったら、話を聞くくらいしても良かったんだけども。(今んとこ、この関門を突破した人は一人しかいない)
「素直になれ」「純真な心を持て」とかいう手合いに限って自分はやたらと取り繕っている。
他者救済だの、献身の徳だのを説く。
なんで自己満足のためって言えないんだろうねぇ?
献身なんてのは「自分がそうしたいからする」モンであって、「他人のためにやってやる」なんてのは、九分九厘、偽善に過ぎんのですよねぇ。
それでもまあ、相手のためになる偽善(実行者にそれなりのリスクが伴い、そのくせ行動自体は相手に応えるかたちの受動的なものが多い)ならいいんですが、ためにならん偽善(実行者が大したリスクも負わず、相手のことを考えずに能動的に行動するがほとんど)なんかだともうサイアク。
その後者の匂いがプンプンする人間はダメです。好きになれません。
だったらもっと自儘に生きろと言いたい。
その方がナンボか人として好きになれるかもしれないのに。