[chat] 20091103#7-雑談(標準化、自由七科)

:今回の話はいつもに輪をかけてTRPGのプレーや分析とは関係ありません。スルーされても以降の話が分からなくなることはないと思いますので、よっぽど暇な方でもなかったら、スルーされることを推奨します。(玄兎)

雑談(標準化の取扱い)
オリハタさん(仮)
「でもなんでこんな構造研究してるわけ?」
玄兎
「こんなん研究なんて大層なもんじゃないと思うけど。まあでも、基本的には工学転用が目的だよね。実際これでお話の大量生産とかしてるわけだし」
オリハタさん(仮)
「私も研究やっててよく言われるんだけど、当たり前でしょって言う人、出てこない?」
玄兎
「ああ、よくいるね、そういう人。てかさ、そういう人って概念を言語化する価値とか、確認作業の価値についてどう考えてるんだろう? 当たり前ってんなら先に言っといてくれりゃあいいのに。形にしてまとめて誰でも簡単にアクセスできる状態まで持っていってくれりゃあ、僕なんかが足りないオツムで頭悪いこと言う必要なんかないんだ。そんなこと言ってるからロステクが増えるってのに。ああ、前に話した恩師の、覚えてる? 僕にゲームを教えた張本人」
オリハタさん(仮)
「かめさん、だっけ?」
玄兎
「そうそう。あの人のお陰というか、ゲームのお陰と言うか、とにかくそれで僕の中で狂ってた常識が補正されたり、新しく友達の輪ができたりしたんだけど、まあそれはいいとして。学習ノートの端っこに、名言をたくさん残してる人だったりするんだけど、その言葉の中にこんなのがあってね。自分が常識だと思うことは、必ず言葉にして人に分かるように伝えなさい。そうして初めてその常識は、本当に常識になるのです。て言う」
オリハタさん(仮)
「深いなー。それで小学校の先生なんでしょ?」
玄兎
「そう。そういうことを、小学生に言うんだ、あの人は。なに言ってんだって話だよ、まったく(笑)」
オリハタさん(仮)
「その辺が自然淘汰好きの源になってるわけね」
玄兎
「ああ、言われてみればそうかもしんない。そんな昔から人格形成されとったのか」
オリハタさん(仮)
「三つ子の魂なんとやら、じゃない」
玄兎
「やっぱ恨まずには居れんなあ。あの人さえいなければ、きっともっと普通の真人間に(笑)」
オリハタさん(仮)
「でもそれじゃつまんなかったんじゃないの?(笑)」
玄兎
「そらまあそうだ。そんでまあ、それをつまらんと考える脳みそがどこで形成されたのか、については考えない方が精神衛生上とてもよろしい。姉上め」
オリハタさん(仮)
「研究の話で、もうちょっといい?」
玄兎
「どうぞ。聞いてくれた方が楽だし(笑)」
オリハタさん(仮)
「(笑)じゃあ遠慮なく。あのさ、こういう構造研究とか、標準化に通じるじゃない? それって標準から外れたものを排除することにはならない?」
玄兎
「ていうと?」
オリハタさん(仮)
「批評で言うと規範批評っていうのがあって、この作品はこの枠組みから外れてる。この枠組に沿えば良いものになったのに、そうでないから駄目だ、失敗作だ、ていう論調のものなんだけど」
玄兎
「例示プリーズ」
オリハタさん(仮)
「たとえばの話よ? 教会の建築は、ゴシック様式が美しくて正しい。だから安藤忠雄の光の教会は間違っている、とか。こんなこと言ったのバレたら所長に怒られそう(笑)」
玄兎
「怒られるんか(笑)。まあ、名前は伏せてるから大丈夫でしょう。で、えーと美しくて正しい論法に沿ってないから間違ってるのか。凄いなあ。無茶苦茶だなあ(笑)。まあでも分かった。自分が読みたいものと違う作品に全部ダメ出しする方法か。自分ルールにマッチしてないと拒否ると言うか」
オリハタさん(仮)
「そうそう」
玄兎
「感想から言うと、狂信者って有害だよね(笑)」
オリハタさん(仮)
「(笑)」
玄兎
「ちょっと違う話になるけど、最近会った人の中で言うと、作品を、それがどれだけ売れてるかだけで論じちゃう人ってのがいて。売れてるものは傑作で、売れてないものは駄作っていう。商品価値というか、経済効果として考えるなら正しいんだけど」
オリハタさん(仮)
「いるいる、そういう人。自分の判断基準に自信が無いのかな?(笑)」
玄兎
「言うねえ(笑)。でもそういうのは販促とか広報とか、必ずしも作品そのものの完成度とは関係ない評価ってのも入っちゃうはずでしょう。でなけりゃコピーライターって仕事なんか要らないわけで。まあそういうのは価値観の基準だし、それってのもまあ遡れば布教の技術なんだけどさ」
オリハタさん(仮)
「布教って、言葉通り?」
玄兎
「もちろん」
オリハタさん(仮)
「じゃあ規範が神様って話よね?」
玄兎
「そうそう。価値基準と信仰って近接してるから、価値観なんてもう神の扱いの話と似たようなもんでしょ。多様な価値観、まあ色んな神様がいる多神教のモデルと、ひとつの価値観、だから唯一神のモデルとだと、神を論じる姿勢も、それを扱う布教のプロセスも違うわけで。グレコローマンとエジプトの神々の対比とか、日本の神仏習合とか、あとまあ仏教は曼荼羅が成立するまでの要件とかもそうか。曼荼羅とインターネットを対比した話ってのがあって、この辺も突っ込んでいくと現在の多様化に対するエクスキューズというか、旧来型の中央集権的なダイナポリスモデルに対して、分散発展型のネットワークモデルの、だからつまり新都庁舎の丹下健三案に対する磯崎新案みたいな話が。あれ、えー、もしかして話ずれてる?」
オリハタさん(仮)
「たぶん(笑)」
玄兎
「よかった。途中で気付けた(笑)。てか指摘してくれよ」
オリハタさん(仮)
「脱線した方も聞いてみたかったから。でも時間ないのね」
玄兎
「そういう意味では今のも無駄話かもしれないんだけど。えーと、まあとりあえず今の話をまとめちゃうと、構造にせよ哲学にせよ、概念ってのは簡単に宗教になりうるもので、そうした自分の神を持った人たちが、他人の神をどう遇するかっていう話になってくる。十字軍とかジハードとかが、信仰の外からどう見られるのか、とか」
オリハタさん(仮)
「でも狂信者は信仰の外にあるものは見えないんじゃない?」
玄兎
「だから有害なんだけどさ。まあ今回のドラマモデルにしても、この手の分かりやすい技術偏重の話って、それなりに説得力があればファンダメンタリストを生み出しちゃうもんだと思う。さっきのモデルがそれに叶うかどうかは、まあ他の人達の評価に委ねるとして。ただ、少なくとも標準化技術を生物に、まあここでは人間だけど、そういうものに適用するってのは生物の多様性を認めないって話にもなるでしょう。あとさ、排他性の高い判定基準って、墓穴掘りになるから止めといた方が身のためだわな」
オリハタさん(仮)
「そのこころは?」
玄兎
「いや、だってそういう言い方って必ず、だったら自分でやってみろ、て反論されるでしょう(笑)。モデルを提案して、もしそれが絶対だと言うなら、じゃあそのモデルが分かってれば三島が書けるのか、て言われる。書いてみろと言われる」
オリハタさん(仮)
「(笑)あるある。建築だとそこでじゃあ金を出せ、とかいちゃもんつけてぐだぐだになって平行線になるんだけど」
玄兎
「でも今ならCGで組んでみるとか、まあ昔でもミニチュア作ったりは出来たと思うんだけど、そういう人って実際の寸法と実際の材料で作らないと意味がない、とか言ったりするんだよね」
オリハタさん(仮)
「それで無視されるようになって、逆ギレしてクレーマー化したり」
玄兎
「こっちの世界でもそういう人はいて、いわゆるアンケートやらファンレターやらで次の展開について希望というか、なんかもう妄想入っちゃってるようなプロットが延々書かれてるやつが来りもする」
オリハタさん(仮)
「本当にあるんだ、そういうの」
玄兎
「あるよ。中には光るものも有るとは思うんだけど、まあ無視します。だって責任とってくんないもん」
オリハタさん(仮)
「取りようがないでしょ(笑)」
玄兎
「原稿料払ってくれるわけでもないしねえ。今はあれだね、先発表制の怖さと言うか、アイディアをネットでブログとかに書いて、偶然同じだっただけでもうパクりだとか言われたりする。自意識過剰だな、と思わないでもないんだけど、実際のところは分からないんだから何とでも言えるんだよね」
オリハタさん(仮)
「そういうときどうすんの?」
玄兎
「基本的には無視。構造で説明できちゃうってことは、パターンにも限界があるって話だし。あるいは有ったとしても、ある程度連載が続いて読者と世界観のいくらかを、まあ共有するってか、コモンセンス化されるようになってくれば、自ずと使えるパターンは限られてくるし。大人数で考えれば、どっかで必ず似たようなネタは出てくるわけで、だからまあネタ潰しだって話にもなる。もちろんそこから逸脱しないとマンネリ化することもあるんだけど、それはでも、異化の話じゃない?」
オリハタさん(仮)
「異化?」
玄兎
「ロシア・フォルマリズムの」
オリハタさん(仮)
「あ、うん。その場合は世界観に沿ったコンテクストが日常言語でいい?」
玄兎
「そうそう、そんな感じ。それがポリシーなのかなあ。てかフォルマリズムをそういう使い方して良いのか知らないけど。良いのかね?(笑)」
オリハタさん(仮)
「さあ。いいんじゃない? 文芸批評の方はよく知らないし」
玄兎
「うん。まあじゃあ良いことにしとこう(笑)。結論としては、ある絶対の価値基準を信じて疑わない人には、魔女の1ダースを読んでもらいたい。まあネタがちょっとあれかもしれないけど(笑)」
雑談(自由七科)
玄兎
「で、えーとなんだっけ。脱線しまくってて分かんなくなってきたな(笑)」
オリハタさん(仮)
「(笑)じゃあ質問。標準化すると、インチキ科学にならない?」
玄兎
「ああ、うん。えーと、インチキ科学っていいな。的を射てる」
オリハタさん(仮)
「そう?」
玄兎
「たぶん。科学とインチキ科学、エセ科学の違いってさ、もちろんリピータリティとか実験によって得られる事実に対する姿勢っていうのがあるんだけど、概念を扱うものとしては、たとえばそれは、考えるものか信じるものか、ていう違いが有ると思う」
オリハタさん(仮)
「科学が考える方で、インチキは信じる方ね?」
玄兎
「そう。さっきも話したけど、ある価値観について、ただ信じるだけでは宗教にしかならない。まあ僕自身が科学的思考ってものをちゃんと理解できてない部分も有ると思うんだけど、結論から言うとそれを磨く包括的な教育は、歴史的にはリベラルアーツだったんだと思ってる。自由七科。自由人たちの学問」
オリハタさん(仮)
「そういえば前にブログでTRPGはリベラルアーツだって話をしてたけど、あれと同じ?」
玄兎
「あれは何故、の部分が抜け落ちてて、全く意味をなさない話だったんだけどね。元になるアルテース・リーベラーレース、自由人たちの学問は、元をただすと自由意志に基づく学問ってことだった。ただリーベラーレースってのが自由人、奴隷でない人たちのことも指したことでニュアンスが変わっていく。確かローマの末期あたりにトリウィウムとクアードリウィウムの七科に整備されて、冠にセプテム、が付くようになるんだけど。あのエントリで書いたのはその、ある意味で曲解しちゃったリベラルアーツの話なんだけど、果たして何からの自由であるのか? その答えを、僕は信仰だと思ってて」
オリハタさん(仮)
「信仰からの自由、信じることからの自由、てことね。そういうこと」
玄兎
「うん、まあそういうこと。繰り返すけど、これは曲解からスタートしてるんで、歴史的には全く間違った認識なんだろうけど。ただ、当時は学問を教会が統制していて、その理由が統治技術としての衆愚化だったとすると、まあそういう話もできるだろうっていう」
オリハタさん(仮)
「日本でディベートやらないのと同じよね」
玄兎
「やろうよ、まったく。まあそれはいいとして、教会は聖書を私的に読むことを許さない。この場合の読む、は解釈する、なんだろうけど。平民は指折り数えられる、足し算と引き算だけでいい。掛け算や割り算は教会の銀行係に任せておけ。言われたとおりに支払い、言われたとおりに受けとれ。故に帳簿なんか不要だ。だから商人は教会に従わない、つまり神の教えに従わない卑俗な者どもで、卑俗だから献金しなさい。平民は帳簿もつけられないからサンプルを整理することすら知らない。資料に基づいて考えることができない。そこから逸脱するための技術が、だからつまり、教会の」
オリハタさん(仮)
「教会の奴隷でない人たちの学問」
玄兎
「(笑)先に言われた。まあ自然科学の分野では錬金術も大きく関係してくるわけで、科学的思考による盲信からの逸脱については、必ずしも自由七科だけじゃないんだけど、錬金術に使用する数学ってのも自由七科には含まれてるからー、とかちょっと苦しい?(笑)」
オリハタさん(仮)
「(笑)」
玄兎
「てかこんな話は誰も喜ばんか(笑)」
オリハタさん(仮)
「(笑)私は楽しいけど」
玄兎
「ならいいか(笑)。まあ、じゃあもうちょっとだけ続けよう。実は聖書の私的解釈のくだりだけど、これ意味が違うって話があって。ギリシャ語聖書あたりを読むと、日本語で私的解釈の私的、に相当する部分がイディオス、idiosとあって、これって日本語に訳すときは自分の、とかそれ自身の、とかになるらしい。もともとこの私的解釈うんぬんの話は、ペテロが聖書に書かれた預言をどう読めばいいのかについて話したことで、そうするとこの場合は預言自身の、預言自体の、とかそう読めるんでさ」
オリハタさん(仮)
「どういうこと?」
玄兎
「聖書研究をすると聖書が聖書を解く、なんて話もよく聞くんだけど、それってつまり、聖書の中で生まれた疑問は、聖書の中に答えも書かれてるって話で。だから私的解釈をするなってことは、別に言われたことを鵜呑みにしろってことじゃなくて、聖書をちゃんと読んで複合的に考えろって話のはずなんだ、てこと」
オリハタさん(仮)
「じゃあさっきの教会の統治技術って話は?」
玄兎
「文盲だったから読めなかっただけかもしんない(笑)」
オリハタさん(仮)
「そんな(笑)」
玄兎
「まあその辺は卵と鶏になるからね(笑)。冗談はさておいて、活版印刷の技術が生まれるまで本って高価なものだったわけで。そうするとまあ修道院で写本を作ったりはしてるんだけど、平民の誰にでも行き渡るってもんでもない。特に貧しい地域ではね。紙もただじゃないんだし。そうすると、司祭とか伝道師とか、そうした特別な人達だけが聖書を持ってるケースもあるし、そのとき統治技術、むしろ教化技術かな? まあそういうものとして、断片的に都合のいい部分だけを抜き出して、聖書にはこうある。これが正しい。信じろ。とか言ってたかも知れない。だとすると、まあさっきの複合的に読むことが正しいとする場合、教会自身が聖書を私的に解釈して、都合のいいように歪めて使ってた、のかも知れない」
オリハタさん(仮)
「歴史的にはどうなの?」
玄兎
「ちゃんと文献に当たったわけじゃないから、確かなことは言えんのです。ただまあ現代でもそういう人がいるんだし、たかだか数百年くらい前にもいてもおかしくないとは思う。教会全体としてどう対処してたのかは、分からないとしときます。あれ、これ何の話だっけ?」
オリハタさん(仮)
「なんだっけ(笑)。あ、標準化」
玄兎
「そうだった。なんで標準化で聖書の話までいっちゃったんだ(笑)。まあある意味で究極の標準化ではあるんだけど、そういう話をしたかったわけじゃなかったはずだぞ(笑)」
オリハタさん(仮)
「戻さないと」
玄兎
「ドラマの話まで戻さないと。ああ、でももう時間ねえよ(笑)」
オリハタさん(仮)
「どうしよう」
玄兎
「オリ、次はいつ来るの?」
オリハタさん(仮)
「たぶん一週間後」
玄兎
「じゃあドラマの話はそのときに続けよう」
オリハタさん(仮)
「それで大丈夫? まだちょっと余ってるけど」
玄兎
「今からやってもまとまらなさそうだし。あとは適当に、ちょっと話して終わっとこう。ああ、そうだ。ここの話もあれです、keiさん、うちのブログにアップするならさっきの文言をコピペしといてください(笑)」
オリハタさん(仮)
「するの?」
玄兎
「しないんじゃないかなあ。してもたぶん、誰も得しないし。ああ、でもこういうこと言うとあの人アップしそうなんだよなあ(笑)」
オリハタさん(仮)
「いやがらせ?(笑)」
玄兎
「ノーコメント(笑)。まあ契約を交わしてる以上、それを順守する範囲では権利は彼にあって僕にはないんで。ああ、さっきの話だけまとめときます。TRPGが自由七科の末裔だって言ったのは、ある状況に対するシミュレーションを、言葉でもって行うこと。一定の数学的法則性をバックに討論を持つことと、それに対する判定の手段を内包すること。いったん現実世界、現実社会から離れたところでそれを行う点。正しく行えば思考することで自由になろうとする、なるための技術を身に付けられる点が、自由七科の性質を継承してるとか、まあそんな感じです」
オリハタさん(仮)
「それって概念を実験できる、て話?」
玄兎
「だいたいそんなところ。まあTRPGでなくても可能なんで、別にTRPGが特別って話じゃないんだけどね。じゃあ後は、なんか適当にダラダラ喋ろう(笑)」

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