[daydream] 今後書きたい妄想話

『化石的ゲームマスター原論』については、自分の GM 論の根本まで遡って普遍的な核を抽出したような、それこそ30年余の集大成みたいな代物なのだけども。

 えらそうに原論なんてブチ上げておきながら、自分の性根はヘボ分析屋なので、気分としては『読本』みたいな方がやりやすい。

 ということで、原論が終わったら書きたいなーと思ってる──今んとこ思ってるだけの妄想について書いておく。

 書くだけならタダ。夢見るだけならタダなのだから、なんともコスパ最高のエンタメじゃないか(笑)

1. 考古学的アプローチ

 考古学的アプローチなんて言っちゃうとアレだけど、要は TRPG が持つ楽しみに対する色んな価値観と、それを体験するための遊び方を再構築する話。
 『原論』は「化石的」と銘打ってる通り、土に埋もれて血肉が失われ残った骨格標本みたいな内容なのだけども、これに血肉を復元するとどうなるか? という。
 だから考古学的アプローチ。そんな話。

2. 文献学的アプローチ

 古いルールブックを読んで、そこに書かれた内容、構成や文体、反復される概念や頻出する言葉、構造的な数値の価値みたいなところから、そのゲームシステムがどういった遊びと楽しみを提案していたのかを読み解いていく話。
 だから文献学的アプローチ。
 でも僕は文献学をちゃんとやったことはないので、あくまで「それっぽい」というダケ。


 あと、これは昔から言ってるのだけど、これまで発表されてきた TRPG の全部が全部、ちゃんと評価されて楽しまれてきたわけじゃないと思うのよね。個人的には面白い挑戦だと思うのだけど、楽しまれる前に押し流されてしまった作品っていっぱいある。そういう時代の徒花になっちゃったものを、せめて再評価したい。
 (今はどうか知らないけど)自分が界隈に居た頃にはイベント毎に Twitter でミニレビューをしていた備前屋さん、『同人TRPGカタログ』を制作した潮屋さんを始め、同人作品に対してそうした評価を行ってた人は居たのだけど、生憎と商業タイトルに対してそういうアプローチって凄く薄くて。

 特にいわゆる「冬の時代」以前のゲームシステムって、冬が過ぎた後にはもうまともに顧みられることも少なくて、それが悔しかったんですよね。ぶっちゃけ冬が過ぎてからのモダンな遊びって、システムよりも遊びの手続き化の方がウェイト大きくて、そのモダンな遊び方でレガシーなシステムを遊ぶことも全然出来たし、それはそれで全然面白かったんですけど。
 でも何故だか軽んじられてきたんですよね。
 「あァ……」って半笑いで頷かれる感じの。

 まあ商業的には新作が売れないと困るっての分かりますよ。
 分かりますが、そんな大人の事情で過去が踏み潰されるのって趣味人、道楽者としてどうよ? というのがあって、だからまあこれは恨み節ですね(笑)