[memo] シナリオ改変禁止のあれこれ

 久しぶりに復帰した Twitter もとい X で、なんか「シナリオ改変禁止」が話題になっているようで。

 個人的には「利用規約の設定は制作者 / 権利者の自由ちゃうの?」としか思わないのだけども。

 あとまあ現在はリプレイやセッションログもわりと簡単に公開できる環境になっていて、そこで改変されまくりのシナリオ名を出されて「へー、あれってこんな話なんだー」と誤解されたら嫌だから改変禁止。というのは理解できる話だと思うんですが。
 確か最初はそんなところから出たんじゃなかったっけ?

 だったら「二次コンテンツ化禁止」とでもすれば良いだろう。というのも分かるんだけど、そうすると今度は名前を知られる機会、遊ばれる機会が減るし、それはそれで避けたい。
 となったら後は「改変禁止」という選択肢も一つの理屈として理解できる。

 まあ改変を含んだ遊びに警戒しつつ、原作名を出して欲しければ、たとえば「原案」としての表記を義務付ける、とかの方法もあるとは思うのだけども。
 ただ、今の若い子って「原案」と「原作」の違いとか分かるのかしら? という危惧も有るので、やっぱり一律ダメ、とするのも一つの方策。

 営利活動を排除しようとするのは市場として不健全なんで、それは止めよう。いちいち人格攻撃めいたことをしたり、どこの基準ともしれない「常識 / 一般 / 慣習」を持ち出して排他的になるのも、才能を遠ざけて市場の盛り上がりに水を挿すようなもんだし。

 加えて「通過=経験トロフィー」の概念が生まれて新しい楽しみ方ができた現在、「あの動画と同じシナリオを体験したい」って要望もあるわけで、そういう層には改変禁止ってのも道理なんじゃないかしら。とかね。

 そんな感じなんで「別にええやんけ」というのが僕のスタンス。
 むしろ外野がアレコレ言ってるのが、ホンマこの界隈メンドイなあ……と思った次第です。


 で、まあここからは特にオチもない思い出話。

 ちょっと遡って思い出してみると、シナリオの改変禁止って試みそのものはすっごい昔から有って。
 ……あ、商業で公的に「改変禁止」と言ったわけではなく、遊び方として「改変せず遊ぶべきだ」とする人たちが現れたり、またシナリオ作者が「改変しないで遊んで欲しい」と言ってたってレベルですが。

 自分が覚えてる範囲では80年代後半、『Pendragon』でアーサー王物語を再演するシナリオが一番古かったかしら。
 この頃はまだ TRPG による「物語の再演」が模索されていた時代で、その方法としてシナリオの改変を禁じて、シナリオ通りに遊べば想定通りにストーリーが進むんじゃないか? というチャレンジだったんだろうなあ、と思います。
 同じようにプレロールドキャラクター(作成済みのキャラクター)で遊ぶことで、PCが想定外の行動を取らないようバイアスをかければ想定通りにストーリーが進むんじゃないか? というチャレンジもありました。
 この頃については自分は 10 歳そこそこのオコチャマだったので、伝聞なんですけどね。

 ……まあ、あんまりうまくいかなくて「プレロールドキャラクターが設定されてるシナリオは面白くない」みたいな偏見も一部に生じたようなんですが。

 その次となると、90年代前半のキャンペーンが途中で遊べなくならないように、という警戒からの改変禁止。

 ルールブックの付属シナリオがキャンペーンになっているものがあって、そうしたものは改変しないで遊ぶように注意していました。覚えている中では『ゴーストハンターRPG』と『クリスタニアRPG』だったかな。(獣の牙から勝手に抜けるなお前ら)
 まあでもそういう時は大体、前回のセッションの都合の悪い部分だけ無かったことにして遊んでました(笑)
 あと内輪で半ば伝説化した CoC の大長編キャンペーン「黄昏の天使」が、先輩 KP から「展開が変わりすぎて続けられなくなった」と宣言されて終わった苦い思い出があります。
(後に「たそてん」現物を手に入れたら展開上全然問題なくて、単に先輩がやる気なくなったダケっぽいかったのが切なかったです)

 で、それから“冬”をまたいで2000年前後。

 この頃のシナリオ改変禁止は、主に NPC の挙動を制限することが目的だった気がします。
 マルチメディア展開で公式の NPC に妙な人気が出たことで、キャラの「解釈違い」の発生を懸念した人たちがやってたような。
 当時はネットでのキャラチャ / ナリチャ文化と合流して、公式 NPC とコミュニケーションを取る遊びがあったので、その延長線上なのかなーと思ったりもしていますが。
(やってることは門田先生の『黒豹』シリーズで黒木豹介がジェームズ・ボンドと空港で握手するようなもの(何))

 んで現代。まあ 10 年代前後あたりから CoC の大流行で大量のニュービーが流れ込んできた後。
 ゲームシステムが固定的になったことで、表現がシナリオ中心になってきて。
 コミケでも結構なお値段の分厚いシナリオ集を頒布してるトコがあったり。
 特にリプレイ動画から「シナリオ=ストーリー」型の認識が強くなったことで、創作者が小説ではなくシナリオを書くケースも普通に増えて。
商品としてのシナリオの価値が上がってきた結果なんですかね、これは。

 そんなんで色々と見てきた経験上、シナリオを一つの表現媒体と言うか、一種のテンプレートとして扱うのも面白いんじゃねーかなーとは思うんですよね。ゲーム用のツールとしてでなく、完全に読み物としてのシナリオみたいな。ノベライズのシナリオ化みたいな、リバースエンジニアリングみたいな試みも、成功したかは置いといて無かったわけじゃないし(何)