[memo] キャラクターの成長の意味と価値は?

 最近またちょくちょくアクセスカウントが増えてるエントリを調べてたんですが。
 その中で「なんで?」と思ったものが、いくつか。
 うちひとつが、これ。

  • [web][memo] 失敗のみを経験値としたRPG

 ……誰か興味のある人がいるんだろうか?
 上記エントリ自体は単なるリンク記事なんで、リンクしてある元記事の方を読んでもらわないと全く意味が無いんですが。*1[元記事の方を] = しかもヤフオクの方は 3ヶ月ルールでオークション記事が消えている。
 で、ちょっと考えてた話。

キャラクターが成長する必要性って?

 現在 kei 氏が文字起こししてくれている、11月 3日の雑談の「ドラマの構造」*2[ドラマの構造] = 関連エントリ「[chat] 20091103#6-シーンの意味」は、言い換えると Classic D&D の成長モデルのような「成長による行動範囲の変化と、それに伴って新たな課題が生じること」のモデリングである。
 あの話はドラマの構造についてのものだが、その前提として使用した「愚者の旅」の構造は、人間としての成長モデルである。その示唆するところは「成長によって行動する社会が拡張/変化する」ことと、「成長によって行動に伴なう責任も拡張/変化する」ということ。
 社会に属する人間は、経験を積むことで行動範囲が拡張され、また同時に行動に伴う責任が変化することが少なからずあるものだが、TRPG のキャラクターたちを顧みると、そういうことが考慮されているゲームシステムは非常に少ないように思う。

キャラクターの成長は強化だけ?

 現在よく見られるゲームシステムは、成長に伴って「行動範囲の拡張/変化」が発生するようなことはほとんど無い、どころか行動範囲――言い換えれば「システムが支援する〈ゲーム〉を行う場面」――そのものが限定的なので、マクロ視点で見れば成長しているように見えない、という特徴があるように思う。*3[マクロ視点で見れば成長しているように見えない] = この点については昔からあまり変わっていない気もする。
 たとえば「戦闘」に特化したゲームシステムの場合、キャラクターの成長は戦闘能力の向上、つまり「強化」とされる。
 そのときゲームプレー上の行動範囲(≒シナリオ/セッションデータ)は、強化された戦闘能力に合わせて――レベル1の PC にはレベル1の敵を、レベル10の PC にはレベル10の敵を――設定されることが、システムデザインで想定されている。だがそれはつまり、相対的な危険の総量や性質(負傷や死亡)について、ほとんど変化しない、ということでもある。

 それはゲームプレーが行われる場面を限定的にすることで、その環境下での競技性を楽しむ……という、ゲームコンポーネントの価値のひとつには沿っていて、それ自体が責められるべきだという話では全然ない。
 ゲームシステム(及びシステムデザイナー)によって提案される「楽しいゲーム」の中で、「キャラクターの成長とは強化である」と定義し、それによってゲームの方向性のブレを最小限に抑え、「どうやってゲームを楽しめばいいのか」について迷うことが無いようにしている、と考えられるからだ。

「成長=多様化」の問題点

 僕は赤箱の方の『D&D』を遊んでいた頃、キャラクターが強くなっていくにつれて生じる責任の大きさ、ゲームステージの変化に戸惑って、高レベルゲームの面白さが分からなかったことがある。それは当時まだ小学生だったので、社会の構造についての理解が乏しかったためでもあるが、そのために『D&D』である程度のレベルになると、レベルアップが面倒くさい、と考えていた。具体的には緑箱*4[緑箱] = 旧『D&D』のモジュールで、コンパニオンレベル(15~25レベル)の冒険を扱う。キャラクターたちは自身で要塞を持ち、労働者を雇用したりする。パッケージが緑色だったためにそう呼ばれる。あたりからは使いたくなかった(笑)*5[緑箱あたりからは] = 現在はむしろ「緑箱あたりから始めたい」という気持ちでいっぱいであり、オプションルールとして別のゲームにも類似ルールを組み込んだりしている(笑)
 最初からゲームシステムに組み込まれているのであれば、別段そうした抵抗は無かっただろう。あるいは最初から「めんどうくさい」といってそのゲームシステムで遊ばない、と言う選択をするだけのことだ。だが、成長に伴ってすべきことが増える、責任が増すということは、成長に対してネガティブな感情を抱かせる原因にもなりうる。
 そうしたことを考えると、末永く遊んでもらうためには「キャラクターの成長=強化」とする考えは、そう間違っていないようにも思える。

「危機の多様化」の問題点

 ゲームシステムが提案する危険の性質は、その危険に遭うことで変化するリソース(たとえば HP、MP など)に依存することも忘れてはならない。それを数量で管理する限りは、多様性を持たせることも難しいだろう。
 危険の度合いを表すリソースが一つの数量で表現されている場合、そのリソースの減少が意味することも、限定的にならざるを得ない。たとえばダメージの結果、HP が 0 以下になったらどうなるのか? もし続けて「そのキャラクターは死亡したものとする」と書かれてしまえば、どのようなダメージを受けたかに関わらず「死亡した」という結果にしかならない。
 ダメージを受けた結果が「死亡」というリソースであれば、逆説的に「死亡」につながるような状況の変化のみがダメージとして認められることとなり、それ以外の変化についてはゲーム的に無視できることになりうる。そうした点を考えると、様々な状況を危機として管理するためには、それを単純な数値で扱う限り、管理リソースの種類を増やすしか無い。

 だが、不用意に管理リソースの種類を増やせばプレイヤーの負担を大きくし、それ以上にゲームマスターの負担も増大し、結果としてゲームのテンポを悪くしたり、キャラクターの行動がバラバラになってしまって収拾がつかなくなることも良くある。*6[キャラクターの行動がバラバラになってしまって] = ただし必ずしも「TRPGではキャラクター同士が協力しなければならない」と限られたものでもない。『シノビガミ』のように PvP(プレイヤー同士の対戦)志向のゲームシステムというものも実際に有るし、評価されていることは無視できない。これはシステムデザイナーが考える「楽しいゲーム」によって選択的に決定されることであって、現在に到るまで協力ゲームが大勢を占めるからといって「TRPGは協力ゲームだ」と断定することはできない。
 ある時期に大量生産されていたアマチュアのゲームシステムの中には、能力値やリソースの種類がやたら多いものが散見された。*7[アマチュアのゲームシステムの中には] = かく言う私自身も中学生時分、能力値が12種類、判定値が16種類というファンタジーRPGシステムを作って遊んでいたことが有った。数人で GM を交代しながら遊んだり、当時はけっこう楽しかった記憶があるのだが、数年前に発掘されたそのシステムを、最近のゲームに強い友人に見せたら「泥臭い」と一蹴された。切ない(笑) また商業タイトルの中にも、『ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード』のように、管理リソースが多くて処理が煩雑なものがあった。だが、現在ではそうしたシステムがほとんど見られないことを考えると、少なくとも市場的にはあまり受け入れられなかったということではなかろうか。

キャラクターの成長の意味と価値ってなんだろう?

 さて。
 だいぶ脱線してしまいましたが、以上のようなことを考えてみると、従来のゲームシステムでは「キャラクターの成長とは強化である」といった感が強いように思います。
 しかし実際のところ、キャラクターが成長することの意味は「強化」に限られるのでしょうか? それ以外の意味を求めることはできないのか? また、意味が変わることでどのような価値が生じるのか? そういう話になるんじゃないかと思うんですね。

 上記では書かなかったけど、キャラクターの成長には様々な価値が有って、それはやっぱりゲームシステム上、有った方が嬉しいものだと思います。
 たとえば、セッションが終わると経験点が与えられて、それを使ってキャラクターの成長処理をする、というルールはほぼ全てのゲームシステムに組み込まれているようですが、それは何で?

 どうなんでしょう、これ。
 何故キャラクターは成長しなけりゃならんのでしょうか?
 そこんところを考えていくと、ルーニープレーではない「失敗で成長するゲーム」の成立要件が見えてくると思うんですが。いかがでしょうか。

References

References
1 [元記事の方を] = しかもヤフオクの方は 3ヶ月ルールでオークション記事が消えている。
2 [ドラマの構造] = 関連エントリ「[chat] 20091103#6-シーンの意味」
3 [マクロ視点で見れば成長しているように見えない] = この点については昔からあまり変わっていない気もする。
4 [緑箱] = 旧『D&D』のモジュールで、コンパニオンレベル(15~25レベル)の冒険を扱う。キャラクターたちは自身で要塞を持ち、労働者を雇用したりする。パッケージが緑色だったためにそう呼ばれる。
5 [緑箱あたりからは] = 現在はむしろ「緑箱あたりから始めたい」という気持ちでいっぱいであり、オプションルールとして別のゲームにも類似ルールを組み込んだりしている(笑)
6 [キャラクターの行動がバラバラになってしまって] = ただし必ずしも「TRPGではキャラクター同士が協力しなければならない」と限られたものでもない。『シノビガミ』のように PvP(プレイヤー同士の対戦)志向のゲームシステムというものも実際に有るし、評価されていることは無視できない。これはシステムデザイナーが考える「楽しいゲーム」によって選択的に決定されることであって、現在に到るまで協力ゲームが大勢を占めるからといって「TRPGは協力ゲームだ」と断定することはできない。
7 [アマチュアのゲームシステムの中には] = かく言う私自身も中学生時分、能力値が12種類、判定値が16種類というファンタジーRPGシステムを作って遊んでいたことが有った。数人で GM を交代しながら遊んだり、当時はけっこう楽しかった記憶があるのだが、数年前に発掘されたそのシステムを、最近のゲームに強い友人に見せたら「泥臭い」と一蹴された。切ない(笑)