[いじめ] Re:加害者の悲鳴

[いじめ] Re:加害者の悲鳴

 この手の問題は書き始めるとなかなか止まらないので、レスつけようにも難しい。
 ということで、これは前記事のコメントへのレスです。


>ハルさん
見えないところで起こる「何か」から子供を守るのって大変だと思う
受け止めるのも親の仕事・・・ではないかしら
見えないところを見る努力も必要だけど
見せられる親になることも必要ではないかしら

子供が見せたくないものを、決死の思いで見せたとき、受け止めてあげられる親になるというのも、ひとつの親のあり方ではないかとか

だらり思ったことをだらり書いてみたり

 「受け止められる親」ってのは、なりたい姿の一つ。

 「“木”のうえに“立”って“見”るのが“親”」

 とは昔の人も上手い漢字を作ったもので、旅にあっては見守って、雨宿りに立ち寄れば傘になる。普段は視野外なんだけど、見上げればそこに在る。
 ……そんなんが一つの理想形なのかな、なんて思います。
(もちろん、親のあり方に“絶対の一”なんてあるとは思ってませんが)
 実際には生半うまくいかないもので、しょっちゅうアレコレ悩んでは、頭から煙出してたり(笑)
 いやまあ笑い事ではなくて「そんな親の都合は子供にとっちゃあ別問題なんだよ」とか思うとドツボです。
 人間関係ってヤツは、一つの解で片付いてくれんところが難しくもあり、面白くもあり。
 いや、これでも真面目に考えてるんですけどね。

>そぱさん
個人的にはいじめてんじゃねーよ!って思うけど、
実際にその立場だったらどうするかなぁ。

本当は、周囲の同じ立場っぽい子達と
同調して「いじめ微妙じゃない?」みたいな
気持ちの共有が出来たらいいと思うんだけど、
そもそも気持ちの共有が出来たら、
いじめって起こりにくい気もするしなぁ。

難しいけど、難しいで逃げないで、
悩みぬいて欲しいのです。

 自分が実際その立場にいたらどうだろう? と考えると恐いですよね。
 もしかしたら自己保身のために、渦中にあるかも知れない。(自分はそれほど立派な人間だと思ってませんし)
 昔、政府広告かなんかで「いじめ かっこわるい」ってのがありましたが、渦中にある人間でそれを判断できるのは中心人物だけで、後の大多数は体裁なんかより自己保身のが優先してるんじゃないのかと。その大多数が、そろって中心人物に反旗を翻せれば風向きも変わるんですが、「最初の一人」になるのは勇気が居るんだよなァ……とか思うと、加害者が悲鳴を上げるのも理解できて。
(理解することと認めることは別問題で、集団暴力は認められませんが。やるなよ)

 ふと、環境ビジネス(?)と似てんのかな、とか思いました。えー。
 整髪スプレーのガスがオゾン層を破壊するんだ、と言われても消費者の99.9%は現行利用を継続。ただ「できれば止めたい」気持ちはあるから、オゾン層に影響の無い(あるいは少ない)整髪スプレーが、旧製品と同じかほんのちょっと高いくらいの値段だったらそちらを買う。メーカーはより売れるもの、つまり新製品の開発に勤しむ。結果として、古いオゾン層に影響のある整髪スプレーは淘汰されて市場から消える。
 構造を当てはめてみると、メーカーが「中心人物」で、古い整髪スプレーが「暴力」。新しい整髪スプレーが「反暴力」として……中心人物に「反暴力のメリット」を理解させないとダメってことじゃないか。それが構築できたら問題はとっくに解決してるぞ。むぅ。

 いじめってやつはきっと有史以来、ずっと有るんだろうとは思うので、今ここでちょっと考えたくらいで解決策なんか出やしないとは思うんですが、現代社会における問題としては「価値観の単一化」が大きな鍵になってんじゃないかとは、漠然とですが思います。
 いろんなモノの見方があることを知れば、いじめてる相手が実は自分よかよっぽど大した人間で、尊敬に値するなり、あるいは畏怖に値するなり、なんでもいいから「いじめていい相手じゃない」と思えるようになれば、少しはマシになんのかなと。(快楽殺人者等の“仮想絶対悪”は除く)
 まあこれも、じゃあ「いじめていい相手」ってのがいるのか? という事になって、一気に根絶したい人たちには目くじら立てて叩かれる話なんでしょうけど。