用語考(いじめ)

 概念の多くは言葉によって固定化されるものです。
 簡単に言うと「言葉のイメージに振り回される」ってことですが。

 僕の主観ですが、「いじめ」って言葉はどうも幼稚なイメージがあります。
 そして「幼稚」は相手にするのも愚かしい、甘えた、程度の浅いと。
 A=B、B=C、A=C の単純な証明式でいえば、「いじめ」は「相手にするのも愚かしい、甘えた、程度の浅いイメージがある」といった具合。
 人々を死に至らしめる行為にしては、いささか表現が弱い気がします。

 だったら言葉を変えてしまえばいい。
 虐待でも集団暴行でもなんでも、もっと過激で衝撃的な言葉にしたらいい。
 それは立派な犯罪行為である、という言葉にしたらいい。
 いささかエキセントリックな考えだとは思いますが、これだけ騒ぐにしては、どうもイメージが軟すぎて(苦笑)

 ま、これは短絡志向に過ぎる話。
 あんまり過剰表現になりすぎても、人がそれに慣れてしまえば無効化されることなんで、現行のマスコミの影響力を考えると、却って逆効果になる可能性もあることなんですけどね。(多くの人が凶悪犯罪の報道に対して「ああまたか」と思うようになってしまったのも、展開的には同じこと)

[心象] 楽園の果て

 こころ踊る世界が一つ、かつてあった。
 多くの人々がその世界の中で生き、語り合っていた。
 とても素敵な“失われた楽園”――

 一年が過ぎ、二年が過ぎ……五年が、六年が過ぎた。
 なつかしい時代を思って、楽園を模倣した男がいた。
 だが男の力及ばず、楽園はたった半年で崩壊した。

 さらに十年が過ぎた。
 傷と罪、それから歳ばかり負った男は、それでも楽園を見上げていた。
 熟みすぎた楽園の種を、さまざまな土地にばらまきながら。

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