「住みづらい世の中になったもんだよ」
「だからこそ、甲斐もあるというもので……」
「ああ、そうじゃない。こいつさ。デジタルカメラ。デジカメってやつ」
「ほう」
「誰がシャッター切ったって、同じように撮れちまう。どのフィルムを使うか、考える愉しみもない」
「岬町の商店街には、防犯カメラがつけられたそうですな」
「気の抜けない世の中ってやつさ。うっかり映り忘れたら大変だ」
「面倒な世の中になったものですなぁ」
「まったく」
――ご覧下さい。ここです。カメラには映っていない少女が、向かいの窓ガラスにはっきりと映っています。遠くからの反射にしては、映っている少女は大きすぎます。そもそもガラスのすぐ近くを歩いていなければ、これほどはっきりとは映らないはずなのですが――
/–
咥えていたタバコを吐き捨て、足でもみ消す。
ビルの屋上から長玉(望遠レンズ)で被写体を狙う男の足元には、同じように消されたタバコが既に二百十六本ほどあった。
二百十七本目を咥えて、手早く火をつける。その時間わずかニ秒。
シャッターチャンスを逃さないため、身に付けた早業だ。
面白そうだと一緒にきていたはずの女は、その早業に驚いていたが、四本目で呆れかえり、七本目であくびをした。挙句のはてに「だったら吸わなきゃいいのに」などと夢もロマンもないことを言い残し、ビルの谷間に身を躍らせた。
室外機だの配管だのを蹴りながら、身軽に七階建てのビルから降りたとき、彼女は一匹のありふれた野良猫になって、町の人ごみに消えているだろう。
何度か姿の変わるその瞬間を、フィルムに収めようとしたこともあった。だが毎秒三十枚の超高速撮影でも為しえなかったそれを、今は諦めて見ないことにしていた。見ればレンズを向けたくなる。
<暮間市> の政治・経済をリードする鳴宮一族。その末席にある鳴宮宗助と、近ごろ急激に勢力を拡大している暴力団・夜南部商会との取引が、密かに行われるとの情報を手にしたカメラマンは、こうして徹夜でシャッターチャンスを待っている。
一睡もしないで三日目。
見上げた根性ではあるが、実は入稿の〆切を丸々半日過ぎていた。
ガセだったのかと三十三回目のため息をついた丁度その時。
「お?」
一台の車が現れた。ナンバーを確認する。間違いない。
「頼りにしてるぜ」
カメラマンは相棒の長玉をひと撫ですると、ファインダーをホテルのあるフロアに合わせる。
「任せとけ。そら来た」
カメラマンのものではない声がそう言った。
このビルの屋上に、今、彼以外の人間はいないのだが。
カメラマンはニヤリと笑うと、カーテンが閉められた部屋に向けて、気にせずシャッターを切った。
「ま、こんなもんだろう」
充分撮ったと判断したところで、男は急いで撮影機材を片付けると、三日前の女と同じようにビルの谷間に飛び降りた。
数瞬後、ビルの谷間から一羽のみたこともない鳥が羽ばたいて、どこかへ飛び去っていった。
とっくの昔に廃棄されたそのビルには、屋上に出る階段がなかった。
/–
カメラマンにとって、カメラというのは人間の相棒にも等しい。
苦楽を共にしていれば、道具といっても愛着も湧くものだ。
ましてや生活の大半を共にしているような、体の一部のようになっているものであれば、それは一個の生命存在のように扱われるようになる。
あの声は、他の誰にも聞こえないのかもしれないが、彼には確かに聞こえている。
カメラは今や、彼の理想の相棒のように意思を持って彼と語らっていた。
撮影後、暗室でもこんなやりとりをしている。
「なんだこりゃ」
「知らん。シャッター押したのはお前だ」
現像されたフィルムには、あったはずのカーテンを写さずに、隠されていたはずのホテルの一室を写していた。
確かに夜南部の幹部と鳴宮宗助が写っている。
だがその手前のガラスに、妙な影が映り込んでいた。
ブレザーを着た少女。たぶん女子高生だろう。
頭が下で、足が上。
手はまっすぐ胴体の横に副えられていたから、逆立ちではない。
連続撮影されたフィルムを一つ一つ見ていくと、少女はゆっくりと落下しているようだった。
「飛び降りってか?」
そんな事件があれば、すぐに気が付いたはずだ。
少女の飛び降り自殺……トップ屋を自認する男にとって、ただグロテスクなだけのありふれた画面に、ファインダーを向ける趣味はない。
だからといって無視できる類の事件でもない。
気付かないはずが無いのだ。
なのに……
「デジカメにも写っていたか?」
暗室のどこかから声がする。
今さら気にするでもなく、カメラマンは素直に聞いた。
「……ああ、そうか」
確認すると、それらしき影はまったく写っていなかった。
そういうことか。
「このブレザー、どっかで見たな」
やれやれ。記事をあげなきゃならんってのに。