[diary] 「ゲーム=暇つぶし」のとき

「ゲーム=暇つぶし」という話を聞いて、軽くショックを受けるの巻(笑)

ヒアリング対象:1名(笑)

 いや、兄とそんな話しをしたってダケなんですが(笑)

 ウチの兄は、なんちゅーか非常に一般人な感じの人で、普通に社会生活を営んでおりまして。
 非常に世間並みの感性を持ってる人なので、オタクまっしぐらの自分とはまあ色々と違う。
 趣味トークが合うのは少年漫画ネタくらいのもので、それもまあ『ワンピース』とか『はじめの一歩』とか、その辺。別に連載を追っかけて読んでるわけでもなく、たまにコンビニで新刊見つけると買ってくるくらい。しかも一回読んでオシマイとかで、ちゃんと内容覚えてないから、同じ巻のダブリが何度もある。その都度に「あげよう」と渡されるので、我が家には巻数飛び飛びの『はじめの一歩』が(笑)

 ほとんど活字を読まなくて、お笑いが好きで……という、自分らのちょい上世代の中ではまあ、マジョリティ側のゾーンにいるわけです。
 互いに相手の好きなものは知ってるんだけど、特に深入りしようというでもなく、でもまあ気に留めてて目に付くと「新作出るんだって?」とか「○○(若手芸人)のライブが面白かったらしい」とか、まあそんな話をする感じ。たまに実家で顔合わせると、兄オススメのお笑い番組(録画)を観たりする。笑いのツボがたまに違うんだけど、その辺はお互い分かってるんで特に問題にもならず。

 で、まあそういう人なんだけど、仕事の話とかになると、ディープなやり取りを良くする。
 仕事の話となると、互いに持論やらなにやらを一方的にまくしたてることがあるので、耳学問が発達するわけです。そうすると互いに目が広がるので、普段の生活の中でちょっとした気付きを得るに至る。また自分の持論に直感的な意見をもらったり、逆に兄の持論に意見してみたりして、それが仕事の肥やしになったりする。自分なんかはつい趣味に走りそうになるのを、兄の目で抑えたら上手くいった……なんてケースが結構あるのです。

 そんなわけで、たまに話すと非常に刺激的なのですよ。こう、自分との感覚のズレ方が(笑)
 それが今回は「ゲーム=暇つぶし」だったわけで。

ボタン押すだけのゲーム

 昔はちょいちょいゲーム(デジタルゲーム)やってた人なんだけど、ここ数年はほとんど興味を無くしてるみたいで、DSやらPSPやらPS3やら、遊ばなくなったハードを「あげよう」と言って持ってきてたんですな。
 まあ甥を可愛がってくれるのは嬉しいんだけど。
 その兄と――

「最近はもうゲームってもスマホので十分になっちゃってんだよね」

――という話になったのですよ。
 あんまりゲームやらんようになってたとはいえ、以前は『逆転裁判』やら『龍が如く』やらやってたのが、今はなんか 1個しかないボタンを延々押して、その都度ゲーム内のアイテムが手に入るだけの、なんかよくわからんものをやっていて。(まあ『龍が如く』は新作が出ればまたPS3買うと言ってたんで、飽きたわけじゃなさそうなんだけど)
 ちょっと触らせてもらって、基本操作をアレコレ試した後で「これはゲームなの?」と聞いたら「まあ暇つぶしになればいいから」という答え。

 当たり前なんだけど、「ゲーム」って言葉の意味が違うんですよね。

 自分はデジタル/アナログ問わず、ゲームに触れてる時間が比較的長い人間なので、ゲームって「勝負」とか「競技」とか、能動的に「楽しもうとして楽しむ」イメージが強いんだけど。
 これが兄にとっては「楽しませてくれるもの」であればいいわけで。
 そういう視点になるとまあ、ゲームって他の、映画やマンガみたいなコンテンツと同じなんですね。
 あるいは本のページをめくる作業と、ボタンを押す作業が同じ意味。

 「売り物」として広範に提供するゲームなら、勿論そういう意識も持って(受動的なユーザーも楽しませることを考えて)企画するわけだけど、実際に身近なところからそういう意見を聞くと、流石に軽くショックを受けたりもするわけで(苦笑)

 兄よ、弟を全否定しますか(笑)

 まあでもアレなんですよね。
 少なくとも七面倒なことを考えちゃう自分よりも、直感的にゲームを受容できる人間の意見なわけで。
 こういうのとても大事。
 なればこそ物語性と特別感、媒介としての一般性の配置がどーとか考えるわけだし。