[movie] 闇の子供たち

 深夜、仮眠とってからまた原稿やるんで起き出して、気晴らしに付けた WOWOW が何故か妻夫木聡の出演作品をひたすら流してて。
 まあ『ドラゴンヘッド』はどうでもいいです。終わり数分しか見られなかったってのもあるんだけど、前に見た時もぶっちゃけ『サバイバル』(さいとうたかを・著)にしか見えなかったから(笑)
 で、そのまま付けっぱなしにしてたら、始まったのがこれ。『闇の子供たち』。

 久しぶりにこの手の映画を見たんだけど。
 なんだろね、こういうの好き。

 まあ本当なら「好き」って言っちゃいけないようなテーマの作品なんだけど、作りに嘘がないと言うか……いや妻夫木君の芝居とかはちょっと嘘くさいところも有ったんだけど(笑)、登場人物がリアルというか、等身大の人間たちなんで。
 お陰で子供でない登場人物には、みんな感情移入できる。*1[子供以外には感情移入できる] = この話に登場する子供は記号的で、感情移入を必要とするところがほとんど無い。まあトランクケースに入れられたり、黒ポリ袋に入れられてるシーンを逆算して想像することは可能ではあるが、鑑賞上それは特に必要とはされないように思う。
 こういうのは誰の言い分もわかった方が、却って困るもんなんだけど(笑)
 そういう意味では物凄く、こう内臓を撫でられるような気持ち悪さがある。

 最近、日本でこの手の映画を作ると「綺麗すぎる」ってか、まあある意味とても正直に社会(の理想)を反映してると思うんだけど、同時に「嘘くさっ」と思っちゃう。そう思うともう、あとは構造の美しさとか、細かい芝居の良し悪しとか、そういう外的なものでしか見なくなる。お涙ちょうだい話で泣いても、全然気持ちよくないしね。
 それと興行成績に関する結果論的な推論。
 なんで売れたか/売れなかったかを考える。
 そんだけ。

 まあそれはいいとして。

 この作品が当初ノンフィクションとして宣伝されたり、その後で紆余曲折あったりするのは知ってるんだけど、扱ってるテーマは「不正な心臓移植」というより「子供を搾取対象とする社会」そのものだろうし、まあ現実的にそうした状況さえ形成されてしまえば、関係者たちの行動は想定される常識的な範囲内の話だし……そういう意味ではフィクションとかノンフィクションとかいう論争は、あんまり意味がないような気もする。
 どちらかというと「現実に起こりうる」という話で、たとえば「自分の子供の命を助けたとき、それと引換に見ず知らずの外国の子どもが一人死ぬとする。さあどうする?」といった状況に陥ったとき、自分の子供に「他の子犠牲にできないからお前は死んでね」と言える親ってのは、たぶんよっぽど珍しい。
 たとえば戦場で捕虜になり、「お前の子供か赤の他人の子供、どっちか一人を見せしめに殺す。どっちを殺すかお前が選べ」と言われたときに、「自分の子供」と言える親は、まずいない。と思う。なんかしらの事情がない限り。
 ……もっとも、この辺の判断については、さっきちょっと Wikipedia で調べてみたところ、

本作に取材協力をした大阪大学医学部付属病院移植医療部の福嶌教偉[7]は、フィクションの部分として、子供の心臓移植について日本人がタイで心臓移植を受けた例はないこと、他の子供の生命を奪っても自分の子供の生存を願う両親は存在しないこと、を挙げた。

 なんて記述もあって、どうやら「他の子供の生命を奪っても自分の子供の生存を願う両親は存在しない」らしいので、見当違いの話なのかもしれない。
 ……まあ政治的にはそう言わざるを得ないところはあって、何故かと言えば、そういう人間、つまり「他の子供の生命を奪っても自分の子供の生存を願う両親」という存在が実在することになれば、これは臓器の売買というビジネスが成立する可能性を残してしまうからなんだけど。
 そちらに対するアプローチとしては、たぶん

また、心臓移植には8人のエキスパートが必要なことから、機密保持の困難さ、量刑の重さから、不正な心臓移植自体の収益性に疑問を示している。[8]

(同上)

とあるように、機密保持の困難さ、量刑の重さといった要件から対応する方が正道なんだろうとか思う。
 まあ人間の欲って際限が無いから、こういうのはイタチごっこになるのが常なんだけど、だからといって対応しないわけにもいかないのも事実。
 一人を救って構造を放置する短期的な対症療法をとるか、構造を攻撃して一人を見殺しにする長期的な根絶療法をとるか、って命題は昔っからある話で、まあそんなもんは両方必要に決まってるんだけど、どっちの役割も人手不足でオーバーワークだから、どうしても逆の役割の人間に対して過剰攻撃になっちゃうのも分かる話。

 まあ何にせよ、この作品を見てタイという国や国民に対してヒステリックに反応したり、逆にフィクションなのだから作中で描かれている全ての暗黒面は存在しないとする、なんてのはこの作品を鑑賞した結果としては、あまりにピュアすぎると思うけど。
 無知は罪だよ。
 少なくとも子どもたちの瞳は、無知な大人を糾弾している。

 ……と、表現したかったんだと思う。
 子どもがあまりに記号的で、まったく感情移入できなかったせいで、あの瞳のアップがまるで魚の眼のようにしか見えず、ラストの江口洋介にしても単純に自爆しちゃっただけに見えたのが、ものすごく残念でした。
 あの鏡の表現とか、好きだっただけに余計。

References

References
1 [子供以外には感情移入できる] = この話に登場する子供は記号的で、感情移入を必要とするところがほとんど無い。まあトランクケースに入れられたり、黒ポリ袋に入れられてるシーンを逆算して想像することは可能ではあるが、鑑賞上それは特に必要とはされないように思う。