[chat] 20091117-こたつ最強(笑)

オリハタさん(仮)
「椅子より座卓の方がいいと思うんだけど」
玄兎
「セッション環境が?」
オリハタさん(仮)
「そう」
玄兎
「なんで?」
オリハタさん(仮)
「姿勢が」
玄兎
「姿勢。どういう?」
オリハタさん(仮)
「椅子に座る点について、同じ姿勢にアフォードされるって書いてたでしょ?」
玄兎
「書いたね」
オリハタさん(仮)
「でもそれは下半身の話でしょ? 上半身の稼動域っていうか、標準固定される角度は広いじゃない?」
玄兎
「ああ、そうか。座卓の場合は下半身は選択的だけど、上半身の角度は狭いから」
オリハタさん(仮)
「そう。後ろに手を付かないとのけぞれないでしょ?」
玄兎
「つまり座卓は自然と前のめりにアフォードできると」
オリハタさん(仮)
「座椅子をつかったら別だけど」
玄兎
「脇息とか欲しいよね」
オリハタさん(仮)
「どこの殿様よ」
玄兎
「まあそれはいいや。で、つまり姿勢をアフォードすることで、集中力を?」
オリハタさん(仮)
「カンバセーションサークルの話はしたでしょ?」
玄兎
「聞いたね」
オリハタさん(仮)
「あのとき座席の間隔でしか話さなかったけど、ソシオの話を混ぜるなら、頭の位置でサークルの直径を出すべきなのね」
玄兎
「ふむ。それなら頭のソシオもあるわけだ」
オリハタさん(仮)
「頭のソシオ? それ、面白いかも」
玄兎
「あくまで遊びであるものについて、参加者の姿勢までかくあるべしとか、云々するのは気が引けるけど、ただ姿勢そのものがノンバーバル・ランゲージっしょ?」
オリハタさん(仮)
「それでいくと、遊び方の作法とか書けるんじゃない?」
玄兎
「小笠原流卓上遊戯礼法とか」
オリハタさん(仮)
「めんどくさそ」
玄兎
「うん。でもまあ冗談で片付けるべきかどうかっていうと、わりと重要な課題だと思うんだけどね」
オリハタさん(仮)
「て言うと?」
茶道の礼儀と型
玄兎
「前にセッションを茶道に例えてた人がいて、ただ亭主が一方的にもてなすわけじゃないから合わないか、て結論になってたみたいなんだけど。場にせよ話にせよ、もてなす側ともてなされる側がはっきりしてるのは、TRPGとは違うっていうのは確かにそうなんで、まあそれはそれでいいんだけど。問題はそこじゃなくて、礼法とか所作とかの意味ね」
オリハタさん(仮)
「意味」
玄兎
「遊びに関わる姿勢っていうか、まあ、そうだなあ。茶道の極意、ていうとよく一期一会が持ち出される。なぜ極意かと言ったら、そこにすべてが集約されてるからでさ。心を砕く、心を尽くす、道としての茶道、心得としての茶道、てことなら極論すると、茶室なんか無くてもいいわけ。一期一会が出会ったその場で心を尽くすことで、そこに茶室が必須条件だとしたら、茶人は茶室から出られなくなるか、茶室の外にいるときは茶人じゃないことになる。でも茶人て職業じゃなく生き方だから、そう簡単にスイッチできるもんでもない」
オリハタさん(仮)
「じゃあ堅苦しい作法って何なわけ?」
玄兎
「あれは武術の型みたいなもんだよ。見ればどの流派か分かんの」
オリハタさん(仮)
「そこまではっきり分かるものなの?」
玄兎
「仏教でも、叉手とか経行とかでも違うっていうでしょ。茶道にもあってね、たとえば畳の上を歩くときの作法とか、座るときの作法、立つときの作法なんてのもある。同じ利休居士から生まれた三千家にしてから違うんだから」
オリハタさん(仮)
「三千家って?」
玄兎
「表千家と裏千家てのは知ってるっしょ?」
オリハタさん(仮)
「うん」
玄兎
「あれに武者小路千家が加わって、三つの千家で三千家。表も裏も武者小路も、由来は本家の在所。生憎と知り合いには武者小路千家流をやってる人はいないんで、実際に拝見したことはないんだけど。えー、ちょっとわかる範囲でやってみようか。表千家と裏千家。正式に習ったわけじゃないんで、間違っててもごめんなさいで」
オリハタさん(仮)
「おねがい」
玄兎
「んじゃ、ちょっと失礼。えー、表千家の場合、座るときの正座の形は、男ならこう。それが裏千家だと、膝がこれくらいの幅になる。それから足の組み方も、親指の位置とか。肘のここんとこのスペースも、裏千家はこれくらい、とか言われた。立つときも、えー口で説明するの面倒だから、ちょっと見ててね。表千家は、こんな、かんじ。で、裏千家は、と、こん、な、かん、じ」
オリハタさん(仮)
「綺麗なもんなんだ」
玄兎
「ありがと。まあ所作ってのはそういう風に作られてるもんだから、綺麗で当たり前なんだけどね。和装だったらもっと映えるんだけどね。角袖なんかがこう」
オリハタさん(仮)
「ただ仰々しくしてるわけでもないのね」
玄兎
「無駄な動きはとことん削り取られるからね。ここで肩を回しておかないと、角袖なんかは内側に巻き込んじゃうこともあるし、そうすると型が崩れるから座ってから直さなくちゃいけないわけで。まあそれは面倒だし、座ってから身づくろいされると、なんか相手の気が散ってるみたいで嫌じゃない?」
オリハタさん(仮)
「まあ、そうかも」
玄兎
「だから失礼に当たる。よってその必要が無いように、自分の所作を磨いておけ、てわけ。ちなみに歩き方は、畳の中心に沿って、こう。これが表千家で、裏千家だと、こうなる。歩幅と歩数が違うらしい」
オリハタさん(仮)
「めんどくさ」
玄兎
「うん。まあそう思うよねえ。僕もわりと最近までそう思ってた。ただそう作っておくと、縁を踏まないように歩くにしてもこう、足元を確認しながら歩く必要が無くなるわけ。そうすると視界が自由なんだな」
オリハタさん(仮)
「そうだ。なんで畳の縁を踏んじゃいけないの?」
玄兎
「いくつか説があるね。礼法的な要件と、実利的な要件。実利としては、畳が消耗品であること。畳の表に使われる井草と、縁に使われる布とでは、磨耗の速度も強度も違う。畳の縁に足引っ掛けて、縁の布を破かれると困る。これがひとつ。それから畳って、刀とか弓矢とか留める盾になるくらい丈夫なわけ」
オリハタさん(仮)
「はい?」
玄兎
「ああ、うん、だからつまり、暗殺予防。畳は貫けないけど、縁と縁の隙間なら通るんだよ、刀が。しかも床下からなら光の加減なんかでも縁踏むと分かるわけ。だから縁踏んだの察知したらすぐにサクッと刺せる。毒でも塗っておけばそれで足りる」
オリハタさん(仮)
「急に血なまぐさくない?」
玄兎
「まあ戦乱の時代から有ったもんだからねえ。そんな暗殺の事例があったのかどうかも知らんし、だから本当かどうかも分からんけど」
オリハタさん(仮)
「他には?」
玄兎
「隙間風を避けるとかものすごい実利的な話もあるんだけど、なんかまあそれはいいか。あとはそうだな、礼法的な要件になるけど、ひとつは昔は畳の縁につかう布地には、家紋を入れてたから。縁踏むと家紋踏んづけることになっちゃうわけ」
オリハタさん(仮)
「なんでそんな」
玄兎
「畳が高級品だったからじゃないかなあ。まあ、さっきの実利要件で言った縁踏まれたくない話とかから、工夫したんじゃないか? とも思うんだけど。贈答品としても扱われてたみたいだし、まあ寄贈○○つって、贈り主のアピールもあったのかもしんない。たとえば弱小勢力が、超がんばって有力な権力者の家に家紋入り畳を送ったり。まあ使ってもらえるかどうかは知らんけど、もしそのまま使われたとするなら、客はそれ見て、あああの家につながりのある人間がいるのか、と思う。となると、弱小勢力だとしても無碍には扱えなくなる。ちょっとした話題にでも上るようになれば、気まぐれに社交界、てか歌会とか茶会とか、なんか分からんけどそういう機会に声をかけてもらえるかもしれない。チャンスが0から1になるわけだ。とかまあ、そういう政治効果を狙った時代もあったのかもしんない。まあ今の畳にゃ家紋なんか入れないから、そういう意味ではこの要件は昔の話」
オリハタさん(仮)
「じゃあ今は?」
玄兎
「利休居士の哲学の、えーと、かねわりの法って知ってる?」
オリハタさん(仮)
「かねわりって『南方録』の?」
玄兎
「なんで『南方録』知ってんの」
オリハタさん(仮)
「日本建築で習った」
玄兎
「やっぱ建築は侮れねえ。んじゃ、えーと。曲尺の目盛りって、ああ、いや、そっちじゃないか。まあさ、つまりあれって一種の宇宙理論で」
オリハタさん(仮)
「え?」
玄兎
「うん、まあそう言われると思ったけど。あれって易経が混じってて。えー、どこから説明すりゃいいんだか。ロハンジャクは知ってる?」
オリハタさん(仮)
「もちろん」
玄兎
「もちろんなんだ。えー、そうすると曲尺にゴヨウロクインの二種類があって、とかいやそれはいいか。まああれだよ、表千家が六歩で歩くのはロクインを、裏千家が五歩で歩くのはゴヨウなんだと思えばいいんじゃないかとか」
オリハタさん(仮)
「投げたよ。投げちゃったよこの人」
玄兎
「いや、もう原理とか関連性とか話し始めると、どこまで遡れば良いのか分からんのよ」
オリハタさん(仮)
「それじゃあそれはまた次の機会に聞くから」
玄兎
「うん、整理しとく。でまあとにかくさ、素人さんがこんな作法をいちいち気にしてたら茶会なんて楽しめない。昔は畳の縁踏むのはまずかったし、だからまあそのくらいのことは考えたとしても、後のことなんか何もわかんないわけ。ただ日常やってることの延長線上で対処しようとする。そういう人に、ああしろこうしろ言うのはかえって失礼でしょ。だから相手がどうこう、て話じゃない。茶道の一期一会の心得は、相手を選ぶような性質のものじゃないんだから」
オリハタさん(仮)
「じゃあ何でそんな作法が決まってるわけ?」
玄兎
「これは客が亭主のもてなしに応えるためのもん、なんだと思う。たとえばありがとうございます、を言葉とは別の表現で表すためのもの、というか。もうちょっと進めると、亭主を自由にさせるものでもあるのかな。相手が何でも動じずに応対することで、それでいいんですよ、思うようにやってください、とか。ほら、礼儀のなってる人って、挨拶するだけで肩の力が抜けたり、逆に気が引き締まったりするでしょ。それは緩みすぎたり硬すぎたりする姿勢を楽にする、一種の調節機能なんじゃないかと思うわけ」
オリハタさん(仮)
「そういうことってあるかも」
玄兎
「うん。そう思う。そういう人と会うと自分なんか至らんなあ、とか思うんだけどまあそれはいいか。とにかく礼儀だの作法だの所作だのってのは自分を飾ったり、綺麗に見せたりするためのものじゃなくて、相手にああこの人を招いて良かったなと思わせるもの。だからノンバーバル」
オリハタさん(仮)
「と、旦那は解釈してるわけね」
玄兎
「そゆこと。実際どうだかわかんないよ、僕だって三十そこそこの小僧なんだから。まあでもこの辺については、ある程度の自信ってか、確信はあってね。前に噺家さんが客の礼儀ってのを話してくれたことで、まあこれは笑っちゃったんだけど、面白かったら笑え、つまんなかったら寝ろっての。客はつまんねーぞと思っても、声に出すわけにはいかない。周りの客に迷惑だから。だから精一杯のアピールとして、寝ろと。それと根っこは同じなんだと思う」
オリハタさん(仮)
「周りのお客に迷惑だから、てことね。じゃあ型にこだわる必要なくない?」
玄兎
「そうだね。最終的には要らないと思う。型が出来ちゃってるのは、だから茶道の正統を継承していくために必要な、経済活動のためのものっつか。まあ何のかんの言っても型にこだわるのは、こだわることはね、本道からは外れてると思う。正直、芸がつまんなくなってると思うし。それはたぶん流派の祖なり代々の継承者なりが研究して、どういう所作が美しく見えるかとか、どうすれば亭主の礼に応えることが出来るのかって形を表したもの、なんじゃないかと」
オリハタさん(仮)
「それって主観じゃない?」
玄兎
「主観だと思うよ。好みだよね、結局。だから必ずしも形にこだわる必要なんか無くて、色々あるし、あって良い。武術、武道なんかでも言えることだけど、体格によって相性のいい型ってのがあってさ。たとえば子供に畳を六歩で歩けっていうと、大人がやるのとは歩幅が違うから、姿が崩れるのね。そういうところは随時調節しないと逆効果になる」
オリハタさん(仮)
「形だけ真似しても駄目ってことでしょ」
玄兎
「そういうこと。だから心得さえ身に付けば、型にこだわる必要は無い。型にはまった茶事ってのも、正直あんまり面白くないからね。むしろその場その時で心を尽くす一期一会とか、あとは『へうげもの』では何度も古織とか上田殿が叱られてた、創意工夫。ああいうのが大事になってくる。しかも相手に押し付けちゃあだめ。それじゃあ相手が心安くいられないから」
オリハタさん(仮)
「じゃあ何で型とかあるわけ?」
玄兎
「心得につながる行動を身に付けるための訓練方法なんじゃないか、と思ってる。中国拳法、武術の型ってとさ、たとえば最初の構えにすべてが込められてることって多くて、それがまた微妙に疲れる構えが多いのね。こっちは、てかこっちも門外漢なんだけど、たとえば八卦掌とか、ちょろっと教えてもらった限りでは、えー、こんな構えになるらしい。やってみ?」
オリハタさん(仮)
「こう?」
玄兎
「ちょっといい? あの、膝はそんな離さないで、これくらいで、もうちょっと足を前に」
オリハタさん(仮)
「キツいキツいキツい。ギブギブギブ」
玄兎
「教えられたときはもっと無茶苦茶やられたよ。きついでしょ」
オリハタさん(仮)
「構えって自然体なんじゃないの? ぜんぜん楽じゃないんだけど」
玄兎
「結論から言うと、構えは構えてる時点で、普通の人にとっては自然体じゃないです。なんでかっていうと、体がそれにあった形に出来てないから。ていうのは筋肉が妙に緊張しちゃったり、関節のまわし方が違ってたり、バランスが取れてなかったりするからだと思うんだけど、これを繰り返して慣れてくると、自然に筋肉がついてくるんだわ」
オリハタさん(仮)
「だめかも」
玄兎
「一朝一夕に出来るもんじゃないから」
オリハタさん(仮)
「だよね」
玄兎
「うん。無理。でもこれが形になってくると、次の動きも自然と無理なくできるようになる。自然体ってのは、構えをとっても常と同じでいられるようにする、て心の話。型の話に戻ると、まあさっきの座ったり立ったり歩いたりってのは、場合によっては行き過ぎのところもあるけど、たとえば茶菓子を受け取るとき、いただくときの作法として、いただく前に礼をする、てのがあって。これは汎用性が高いでしょ。何か受け取るときにも、いただきますとかありがとうございますとかの言葉と、お辞儀されたらさ、そりゃ何もなしで無愛想に受け取られるより嬉しいじゃない。お先に失礼します、とかね」
オリハタさん(仮)
「でもそれってあたりまえのことじゃない?」
玄兎
「そういう文化圏の人間にはね。でもそういうのも社会技能でさ、後天的に身につけるものでしょう? 別に茶道なんか習ってなくても、礼節の心得がある人なら自然に出来る。むしろ出来てない人が出来るように、ていうのが型なんだろうね。信長が京に行っても恥かかないように、部下に茶道学ばせた、なんて話もあるし。あとは言語」
オリハタさん(仮)
「言語?」
玄兎
「娯楽としての性質だってあるはずでしょ。さっきの表千家と裏千家の違いなんかも、それを見て流儀を当てるとか、そこから話題が広がっていくことだってあるし。華道の作りとか、香道、香りのやつね、あれの組香とかも、同じ流儀の中で通じる言語があって、そこで身内意識の盛り上がりってのも、無かったとは思わない」
オリハタさん(仮)
「いきなり下世話な話になってない?」
玄兎
「下世話だけどね。まあでもそういうのってあると思うんだ。TRPGでもさ、マイナーシステムの話が通じると、やっぱ盛り上がっちゃうし」
オリハタさん(仮)
「帰ってきた」
玄兎
「あ、これTRPGの話だっけ」
オリハタさん(仮)
「そうですー。て、最初何の話だったんだっけ?」
玄兎
「何だっけ。礼儀、型、茶道、流派。マーシャルアーツ?」
オリハタさん(仮)
「そんな話はしてないと思う」
玄兎
「だよねえ。ハンドアウト? いや違うか」
オリハタさん(仮)
「なんだったっけ」
玄兎
「こないだはプロクセミクスの話だったから」
オリハタさん(仮)
「あ、そうだ、座り方じゃない?」
玄兎
「座席だ。座卓の方がとか」
オリハタさん(仮)
「それで、そうだ。頭のソシオって旦那が言って、小笠原流とか」
玄兎
「ああ、そうかそうか。つまりコタツ最強」
オリハタさん(仮)
「は?」
玄兎
「いや、だってコタツって体は前かがみになるから、頭は近くなるじゃん。中心に」
オリハタさん(仮)
「でも眠くなるんじゃない?」
玄兎
「ああ、それは致命的な弱点だ。まあでもこれから寒くなるし、カジュアルな人たちはコタツセッションも増えるだろ」
オリハタさん(仮)
「まったり遊べそう。ねえ、時間じゃないの?」
玄兎
「ああ、しまった。じゃあ今回はコタツセッション最強ってことで」
オリハタさん(仮)
「そんなんでいいんだ」
玄兎
「頭のソシオと座り方のアフォードは、色々考えてみてもいいかも。声の大きさにも関係するしね」
オリハタさん(仮)
「声の大きさなら、ボイスレコーダーとかも」
玄兎
「ん? どゆこと?」
オリハタさん(仮)
「あると意識するでしょ。それでボリューム調節するようになったりしない?」
玄兎
「なるほど。発言を控えちゃう人とかのこともあるけど、ちょっと考えてみよう。じゃあ、今日はこの辺で」
オリハタさん(仮)
「おつかれさま」
玄兎
「おつかれー」