[映画] アトランティスの心

 随分と前に『クローディアの秘密』の映画版について話したけども。
 アレとこの『アトランティスの心』が、僕にとってのジュヴナイル。
 久しぶりに DVD 引っ張り出して見ましたが、やっぱり良い。

 まあ、設定に一箇所だけひっかかりを覚える人もいるだろうけど、それが例えばウソであったとしても、全く“彼”の評価に変わりはないと思うんだけどね。少年が信じてしまった出来の悪いジョークを、少年の豊かな想像力によって生み出された幻の国を、“彼”はそのまま真実にしてしまっただけかもしれない。
 そうだとしても“彼”は少年の――つまりは貴方の――大切な友達たりうる。

哲学の哲学?

 思考の迷宮に落ち込んじゃった人の、薬になるんじゃないかコレ。

 哲学の性質については、東京大学 大学院総合文化研究科助教授の野矢先生が語っていたことが、しっくりきます。「哲学のゴールは、誰もが持っている常識的な考え方」という話です。
 科学者は、人が思っても見なかった結論を出して、皆を吃驚させてくれます。しかし、哲学者は、普段普通の人が何気なくいるところがスタート地点であり、ゴールでもあります。常識と言い換えることのできるスタート地点から、何故そのように言えるのか?と疑問を持つところから始め、そう言える、そうは言えない、といった極まで振れて行って、議論を尽くし、考え抜いて、元いたところに戻ることが結論になります。科学者の出す結論と違って、誰も関心しない、ありがたみの無い結論であり、常識の外に零れ落ちて戻れなくなっている一部の人に対してのみ、ありがたみの有る結論です。

 逆説的に、“当たり前のことに理屈をつけて考えようとする”行為は、“常識の外に零れ落ちて戻れなくならないように”バランスを取ろうとする行為なのではないかと。
 そういう性質の論考は、だから同じ場所に落ちそうになってる、ないし落ちている人にしか効果がなくて、基本的には自分のために書いているモノなんじゃあないかと。
 少なくとも僕の論考(与太話)はそうです。
 自慢にゃなりませんが。

[掌篇] 変身の呪文

「誰かを分かりたいときは歩きなさい」

「その人に呼吸を合わせて」
「その人に歩幅を合わせて」
「その人に視界を合わせて」

「そして同じ言葉を口にしてみるといい」
「ゆっくりでいい」
「分かるまで、何度でも」