Tactical SLG でも作ろう。

休むと言って、三日で音を上げた。
案の定である。ゴメンナサイと言っておく。
休むことすら三日坊主であった。
自分でも呆れるヘタレっぷりだ。

「休もう。」と決めて趣味活動を停止し、睡眠に充てた。
それだけで余暇が 90分増える。
そのうち約 30分は雑談やら子供の世話やらマッサージやらに充てるので、残り 60分ほど睡眠時間が延びた(毎日同じサイクルではないので、あくまで目安)。
おかげで体力は回復し、腱鞘炎と腰痛はだいぶ穏やかに。
……で、仕事ばかりしていたら、三日で我慢できなくなった。
どうやら僕の辞書には“辛抱”という言葉は存在しないらしい(笑)


* * *

で、我慢できなくなった人間が何を考えたかというと、
ゲームを作ることにした。PCゲームを。
あくまで趣味であり余暇であるので、リスクは最小限にする。
となると、一人で作るしかない。新たなプログラムは組めない。
なるべく手間を省くために、クリエイティブキットを使うことにした。

・対応OS:Windows 2000/XP
・ジャンル:ソード&ソーサリー/タクティカルSLG
・開発環境:RPGエディターTACTICS

最終的にはビッグゲームを作りたいなァと妄想しつつ、最初からそれでは絶対に息切れするので、まあ小品からチマチマ作っていければいいやと。
コンセプトから脱線しないよう、以下にメモ書きを残しておく。

* * *

「できたらいいな」の話。

プレイ難易度そのものがフレキシブルなゲームを作りたい。
サディスティックにも、マゾヒスティックにも遊べるゲーム。
安易なルートを進めばゲーム難易度は低くなるが、ゲーム世界全体には大した影響を与えることなく、小さな冒険に見合った小さな夢を叶える。難解なルートを進めばゲーム難易度は高くなるが、ゲーム世界全体に大きな影響をもたらし、自らの手で夢や野望を実現させることができる。そんな、考えてみれば当然のゲームが作りたい。

商業ゲームの限界は、主人公がヒーローにならなければならないところだろう。
どこにでもいる少年が、いつしか誰もが認める英雄となる。そんなジュヴナイルのカタルシスが、ゲームの醍醐味なのは確かだ。だが、そのストーリーに現実味を持たせようとすると、ゲームの難易度が高くなるか、プレイヤーへの負荷は大きくなる。
これらの問題の解消を考えたとき、たとえば難易度を最初から選択できるようにしたり、ゲームバランスを自動的に調節するシステムを構築するなどの手段がある。だが、それでは今度はプレイヤーの技量の差が出なくなる。プレイヤーの達成感という、もうひとつのカタルシスが得られなくなる。ヤリコミの要素が少ないのは、それはそれで寂しい。

ゲーム下手にもそれなりに楽しめて、ついでに「もっと上手くなって、別のストーリーも見たい」と思ってもらえるようなゲーム。ゲーム巧手なら自分で厳しい状況に持ち込んで、苦しいところから大逆転を狙えるようなゲーム。
まあ、そういうゲームが作れたらいいなぁと妄想しつつ、実際は「ストレス発散のためにチマチマ作ってみるかー」というミニマムな志でやってみようかと。

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コンピュータRPGという表現技法の話

そもそも一本道のストーリーを描くには、コンピュータRPG(以降、CRPG)という表現技法はあまり適当とは言えない。
それなら他にいくらでも技法は有り、CRPGという、費用も時間もかかるハイコストな技法をとるなら、同程度のコストを支払って映画でも作った方がよっぽどマシだ。それで良いものが作れるかどうかは別として。

そもそも、ゲームという技法は、パッケージ単位では永劫に未完成であり、完成するのは実際にプレイヤーが遊んだとき、遊んでいるときである。
逆説で語れば、完成しているものはゲームではない。
(以上については TRPG を遊んだことがある人なら分かると思う)

そういう意味では、TRPG は完璧にゲームであるといえる。
対するCRPGは、ゲームでない部分がある。
CRPGは、アナログゲームで人間がやるべき手間をコンピュータに委ねることで手間を省いているが、コンピュータ自体は人間ほどフレキシブルではない。最初にインプットされているパターンをアウトプットすることしかできないから、インプットされたパターンの範囲がそのまま限界になる。(逆に人間をコンピュータ的に解釈すると、パターンのインプットをその半生で済ませているコンピュータと言えなくもない)

また、総じてプレイヤーに長いテキストで「説明」するゲームも、その評価は低い。そういう意味ではサウンドノベルは特殊な存在だが、あれは自称している通り、ノベルであってゲームではないと、荒っぽい分類をすることもできる。それにサウンドノベルにしても、すべてを「説明」するものより、音や映像で「感じさせる」ものの方が、相対的に評価が高かったように思う。
国内外を問わず、ゲームで「説明」されるのは、プレイヤーたちにあまり好意的には受け入れられていないと思う。『世界樹の迷宮』(アトラス/ニンテンドーDS)がヒットしたのも、親切ぶったチュートリアルという説明に、内心みんな“うんざり”していたのではないかと。
ゲームは、プレイヤーの数だけの完成品がある。同じものは無い。
たぶんそういうものが、究極のゲームなのではないかと最近、よく考えている。