途切れない流れの不安

 人生ってのは何度も転機があって、ステージをシフトしていくものですが。考えてみると僕は、30までそういうステージシフトが極端に少なかったなァ、とか。よく「子供と大人がひどい混じり方してる」とか言われるのも、そのあたりも要因の一つなんだろうなァ、とか。


 
 人間、“肩書きを喪失する”ことでリセットボタンを押すことができます。それは完全なものではありませんが、そうした時間を置くことで、人間はステップアップする機会を得ます。旧来の自分に引きずられず、“なりたい自分”を演じながら本当に“なりたい自分”に近付く、といったプロセスで。
 いわゆる「高校デビュー」ってヤツですね。
 それを、あまりやってない。

 ……まあそれでも、エスカレーター式に小・中・高・大と進んで、就職したらそのままずっと同じ環境で過ごしている人よりかは、いくらか機会は多かったと思うんですが。それでもズルズルと子供の頃からの自分を引きずり続けてるところは多く。
 一切の肩書きが失くなったことが、物心付いてからは無い(一つをリセットしても別の肩書きが継続してる)というのが、これまでの人生の中でちょっとだけ後悔している部分です。

 訪れたチャンスを逃さず手を伸ばし続けていた結果、そういう時間を設けてる余裕が無かった……それは幸運に恵まれていたことの証明でもあり、卑下するよりまず自慢として認識してるんですが、何事も長所ばかりではないなァと。
 まあ単に練成怠けてるだけってウワサの方が正しそうですが(笑)