キャラメルボックスTVの録画は成功……してるはず。
まだ内容確認してなくて、内容確認しないままディスクをスタジオに忘れてきた。
同様に、今週録画したものは何一つノーチェック。
今週はスタジオでの時間が全く足りず、仕事を家に持ち帰って来た。
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ちょっと飲み物が欲しかったので、近くの自販機まで。
玄関を出たところで、今まさにチャイムを押そうとしていた人に遭遇。
にこやかな笑顔。
逃げ場なし。
前にも書いた「神の声を」の、声の好く人。
「ちょっとお時間、よろしいですか?」
上下スウェットの、おそろしくだらしない普段着である。
ありませんとは言えない。
前にも話を聞いちゃったし。
どうしようもなく『ジョージア・エメラルドマウンテン』が飲みたかったので、近所の自販機まで歩きながら話を聞くことに。
ついでだから、何か飲むかと聞いたら何でもと言うので同じものを。エメラルドマウンテンならまあ飲めるだろうと思ったら、口をつけてちょっと眉をひそめていた。もしかしたらコーヒー駄目な人だったのかもしれない。
その絵面は、ちょっと可愛かった(馬鹿)
ああ、でも今回は「神の声」じゃなく「聖書の言葉」だった。
ちゃんと直ってたので、こめかみを痛めずに済んだ。
生憎と「神」というものを「発明」と捕らえる不信心者なので、聖書にこう書かれているから安心、という論法にはどうしても反応が鈍る。
反応が鈍ると、一生懸命それを説明しようとするんだけど、こっちも頑固なので理解はしても納得はしない。
申し訳ないとは思うんだけど、それは永遠に平行線をなぞり続ける。
僕の不信心という信仰は変わらないけど、それでも相手は立派な信仰者のようだったので、あまり無礼もできずに“まじない”(ここでは聖書の音読/説話の理解)を受容して 15分ほど立ち話をした。
たしか近くに教会があったはずだが、この地区はあまり信徒がいないらしい。あちこちでけんもほろろに追い返されて、やっとまともに話をきいてもらえたと感謝される。
まあ実際がどうなのかは知らないとしても、善い事をした気にはなる。懐疑を口にはするものの、根は単純で正直だから(笑)
今後、もしかすると的にされるかもしれない。それはちょっと面倒だけど、まあでも別に、たまに立ち話をするくらいなら構わんだろう。生憎と信心(常に行動を伴うそれ)は持ち合わせていないので、畑を耕した功績にはならないだろうけど。
そういやご近所はみんな宗派が違うらしい。浄土宗と浄土真宗と真言宗と臨済宗とカトリックがいるらしい。カトリックは単に教会葬を希望しただけなのかもしれないけど。そして過半数は無信心だろうけど。(みなさん実家の宗派はご存知?)
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ふと外を見ると、塀の上を赤いスカーフを巻いたブチ猫が歩いていた。
どうせなら黒猫が良かったのに。残念。