[memo] 茶の湯の〈郷〉とゲーム畑

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:筆者注|あくまで自分の未熟な習いの範囲での話なんで、間違えまくってるかもしらんですが、ま、その辺はご容赦を。
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**同〈郷〉

「郷に入らば郷に従え」という言葉。

茶道の話がいつの間にやらゲームの話になったのは、主にこの言葉からで。

〈郷〉とはコミュニティ。

コミュニティを構成するのは「人」と「則」。

これを合わせて〈和〉と呼びます。

ま、思いっきりザックリ切り取ってしまうと〈郷〉ってのは「価値観を共有する共同体」になるのかな。

茶の湯が広まるにあたって、たとえば大名たちの統治技術としての「上洛」という行為や、それによって必要とされた外交手段としての「茶席」みたいな話があって……たぶん全部の根っこから書き始めようとすると、かの『風雲児たち』みたいに本題に入るずっと前から着手せにゃならんのだろうなと思ったりもしますコレ。たとえば「上洛」について解説しようとしたら、平安~鎌倉~室町あたりで醸成される「お上」やら「御恩と奉公」やら書かなきゃならないんじゃない? ……とかそんなコト考えながら〈郷〉――独立した「TPOの遵守が求められる環境」――なんてものについても考えたりしますが。

そうした長い時間をかけて醸成されてきた価値観を守っていた文化圏に、外から飛び込む大名たちが、共通言語として欲した「新しい価値観」として都合が良かったのですね。新しい文化としてまだ確立され明文化されていないので、ともすれば大名としての権威に傷をつけかねない「学ぶ」「習う」ということも、アタリマエのこととして受け入れられるわけですね。尤も、その中には身勝手に自分に都合のいいルールを作って押し付ける、質の悪い教師も混じっていたでしょうけども。

何はともあれ、そうして外の文化圏の人間が、茶の湯という新しい概念、建前を通じて「共通言語としての礼儀作法」を学んで、ひとつの〈郷〉に入っていったわけです。

で。

「最初は新作ゲームだったんですよ」と結んだあたりで話が脱線したわけです(笑)

***〈郷〉の礼儀と作法の道理

現在の茶の湯ってと、まあ色々と七面倒で堅苦しいイメージがあると思います。それは作法が決められてるってのが大きいと思うんですが。

客として茶席に招待されて、返事をして、いざ臨席となる。潜戸から上がって、あれやこれやの手順に沿って茶室を拝見し、お茶をいただく。その一つ一つに作法があって、慣れていても七面倒に思ったりもします。

ただ、あれって客の亭主に対する礼儀であったりもするわけです。

客がどう動くのか、その型(手順)が分かっていれば、亭主ももてなしの型を整えて最良のものが出しやすくなります。たとえば適温の茶であったり、あるいは花、軸、炉などを見る順にある暗喩を仕込んで楽しませたり。そうしたもてなしを無碍にしないために、客側も型にならうようにする。あるいは綺麗な所作によって「招いてよかった」と亭主に感じてもらう。亭主のもてなしに応える。そういう理屈です。

それに、社交の場としての茶の湯というのは、いつも慣れ親しんだ客だけではないのですね。一客一亭の席と限ったものでもない。また招待した客が予定通りに全員が臨席するとも限らない。客の組み合わせは一定ではなく、異なる文化圏、異なる価値観の客が同席するというのも有る話なわけです。そういう時にも型が定められていれば、少なくとも手慣れた型どおりに動いている間に、緊張を解して茶席を楽しむだけの余裕を持つことも出来たりします。

成熟した〈郷〉とはそうした礼儀/作法の型を共有するものであり、またそうした型について長い年月をかけて練り上げてきたものだったりもするわけですが、それだけに敷居はドンドン高くなり、ドンドン新規参入が難しくなっていったというのも皮肉な話で。

分かってれば楽しめるんですけどね。まあ外から見たらそれも「特権意識」だとか「帰属意識」だとかの優越感ゲームだったりして、なかなか両方の目線を保つことも難しかったり。

***ゲーム畑でも考えるのですよ

そんなわけで、礼儀を重んじることも大事だし、色んな面で「型」というのは有用なんですが、度が過ぎると堅苦しさ、敷居の高さに化けちゃったりするわけです。

何年か前にはセッションの準備周りから秘書検定3級あたりの型を仕込んでみたりもしましたが、そういう話に限ったところではなく。

たとえば(T)RPGを「物語を描く遊び」としたときに、物語を型/テンプレート化することとかもそうです。

その辺、あれこれ考えますわな。
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