早いとこ安住したい、焦りもあるんだろうけどねー。
贅沢に遊ぶこと
結局のところ、僕は“ここ”に落ち着くんだなーというのを実感した昨日の感想戦。
“ここ”というのは旧友らとのプレイグループであり、また彼らとの贅沢な遊び方であり。
人に恵まれたからこそ、贅沢な遊びができる。
贅沢な遊びができるからこそ、人もまたそこに集う。
これはもう両輪となっていて、不可分なんですよね。
僕にとって「贅沢」というのは「必要なものが不足なく揃えられた消費の場」であるわけだけど、その「必要」「充分」っていうのがコミュニケーションの中ではちょっと面倒な話になる。何故ならコミュニケーションには「完全な予測」というものがほとんど不可能であり、故に「準備したもの」だけで「必要」を満たすこともほとんど不可能であるから。
TRPG をやったことがあるなら「全てを予期し、準備し尽くしたシナリオ」というのが、どれだけ厳しい条件であるかは分かると思うんだけど。
この難易度を下げるなら、制限を加えることでその「準備したもの」の中に収めることは可能なんだけどね。そうすると今度は「制限されている」ことによって叶えられなくなる「要求」が生まれてしまい、結局「充分」という条件を満たすことができなくなっちゃうわけで。
それでも昨日は、僕にとっての「贅沢な遊び」が出来る環境は“ここ”にある、と感じた日でした。
ちょっとまァ、今回の論法はズルではあるんだけど。