昨日の夜、ウダウダ書いたことについて先輩と話をするの巻。
……ものすごいアッサリと解決に向かう(笑)
散々「ヤバいよヤバいよ~」とか煽っておいてソレかと。
まあスッキリしたから良いんだけど。
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仕事のやり方の個性化
こと技術職ってヤツは、個々人で「それぞれの仕事のやり方」というのがあるわけです。いや技術職でなくても細かい部分まで全く同じ仕事の仕方をするってことは……まあめったに無いと思うんだけど、とにかくウチの業界ってのは、その「仕事のやり方」ってのがわりと個性化しやすいっていうのがあって。
ある程度は標準化も進んでるとは思うんだけど、それはスポットの乱立と交流によって進んだ自然の流れ。意図的に「こういう形にしましょう」って取り決めをしたわけじゃあない。だからまあ、結局は標準化といってもエエ加減で、まだまだ個性の強さが残っていたりする。そしてその個性によって、作り出される製品のカラーに違いが出る。
カラーの違いってのは商品としては重要なことで、オンリーワンへの第一歩です。単純にベーシックを排除することがカラーを押し出すことにつながる、って言うのは駄目ガラパゴスの一里塚なんだけども。ベーシックな品質の高さっていうのは必要で、それにプラスアルファとしてのカラーが機能すれば、これほど強みになるものもない。ブランド化しますからな。だからこれを喪失するのはもったいない。
まあ標準化しとくと、自分がブッ倒れても仕事の引継ぎがラクってのはあるし、たとえば病院のカルテとか、企画書とかシナリオの書式なんかは、どんどん標準化を推めて欲しいんだけども(笑)
「システムの継承」
……なんかちょっと脱線してきてるな(笑)
えー話を戻すと、だから「標準的な仕事のやり方」+「個性」っていうのをひとつの「システム」と見なして、それを「継承する」っていう教育は十分アリだよねっていう話。
いや、いきなり結論になってて途中が省かれちゃってるけど(笑)
システムの合理性とか機能性とか、そういうものがちゃんと考えて構築されているなら、それによって「いい仕事」が出来る自信があるなら、それを継承するっていうのは立派な教育になってるんじゃないか? いわゆる「型」とか「方法論」とかいうものの継承になるんだけど、少なくともモノヅクリに携わる業界での「教育」ってのはそういうモンじゃないか? とか。
考えてみりゃ、「新人教育しなくっちゃー」と焦ってたけど、じゃあお前「何を教育するつもりだったんだ?」って我に返ったら、そこ考えるのすっかり忘れてたって言う(笑)
そういう時こそ自然淘汰と人海戦術で!
また現実問題として、やっぱりそのシステム(教育担当者)とユーザ(新人)の相性っていうのは、あるわけです。この辺でちょっと悩んでたと言うか、これまでにも合わなかった(たぶん相性が悪かった)人っていうのがいて、そういう人とはいい仕事をしてこれなかったっていうネガティブなイメージを思い出してたんで。
でもそれについても、業界内には個性的なシステムを持つ人がそれぞれいて、どっかしらに相性の合うシステムっていうのがあるはずなんですね。ベストな相性のシステムが見つかるかはともかく、ベターな相性のシステムだったら、まあどっかで見つかる。新人のうちは安価な「何でも屋」としてアチコチ飛び回ることになるんで、その間にベターな相性のシステム探して、そこで必死に勉強すればいい。
なにも「自分ひとりでどんな新人でも引っ張り上げられる人間にならなきゃいけない」なんてことは無くて。
「自分とこで上手く育たんなと思ったら、よそに修行に出せばいいじゃんよ」って。
すっかり忘れてた。目からウロコだった(笑)
そう考えると、無理に「自分で誰でも育てられるようにならんと!」と変に意気込んじゃうよりは、それぞれ「優秀なシステムを持った人たちに新人教育を意識してもらうこと」、「新人さんのシステム適性を見る目」、あとは「その人を生かせるシステムがどこにあるかの情報」なんかを持つことが先かなァ。
もちろん自分自身に「対応力の高さ」っていうのが有れば、それに越したことはないし、変に「自分はそのままでいいんじゃよー」とか甘やかしてたら先細る一方なんだけど! なんだけど!
「焦って“みんな面倒見ないとー”とか思ってると潰れるぞー(笑)」
……ってかる~く言われちゃって、肩の力が抜けまくった日でした。
こないだの食事のときは、「お前がやんないと! 超やんないと!」って散々煽ったくせに!(爆)