模倣とは同一になることではない。
……という大前提を忘れると、痛い目を見る。
というか、見た。
* * *
興味深い人間がいたとき、その人の模倣をすることにしている。
これをやるには客観と主観がおかしなバランスで成立しなければならない。
手順1.準備
(客)真似をするために、まず相手のことを評価/情報化する。
(主)客観から得た情報を自分にフィードバックし模倣する。
手順2.実演
(客)模倣が対象に似ているかどうかを、再び評価する。
(主)評価に対する反応を模倣し、調整を行う。
強烈な自我を持った人間は、自己の評価に対して異常な反応をすることが少なくない。で、これを模倣していると、徐々に客観を失って主観が強くなってしまう。
結果、模倣対象とまったくイコールになったと錯覚してしまう。
ところが大抵の場合、そういうのは誇張された個性であって、人間それほどシンプルではない。というか、模倣の場合、人間の土台となる部分は自分のものを使っているわりに、他者になろうとする余り、自分を切り離そうとすることが多い。そうなると人間の土台にあるべき重厚さが失くなって、ひどく薄っぺらで表面的な模倣に成り下がってしまうのだ。
……と思う。
先日、ちょっとその罠にはまった。
* * *
もともと今回の模倣は「お前もアレだ、もーちょっと好き嫌いしないで見とけ?」と先輩に言われたからで、先日、同業の志望者に「君は好きなものの幅狭いよねェ。もっと色々見れ」とかエラソーにのたまったばかりだったから、これはちょっとキいたのだった。
ところがやってみたところ、あっさり音を上げることになった。
努力は一週間も継続しなかったことになる。
やっぱり僕は、努力とか出来ない(しない)ダメ人間らしい。
あるいは模倣対象の毒性が強すぎたとも言える。
最初からハードル高すぎたんだとか。
いや、自分を甘やかしても仕方がないんだけど(苦)
どうにも不似合いな無理をしていたようなので、やめた。
「なんでこんな面倒くさいこと」と我に返っちゃったんで(笑)
めんどくさい、と思った時点で続けられない。
おお、なんてダメ人間!
ウマレテキテゴメンナサイ…orz