現役退いた人間に仕事を教えられちゃあイカンよ。
……とか思うんですが、なんだかんだで教える立場。
学校の勉強なんかだと教えるのも面白いんですが、仕事の仕方なんて適性もあるし個性もある。そんな自分で構築せにゃならんモンを教えろと言われたってまあ、困るよなァとか思う。
どこまでも我流でやってきた人間なので。
でもまあ教えなくちゃあならんということになると、自分なりのメソッドを分解・再構築するわけで、この作業は意外と面白い。
通常業務をこなしながらこんなコトやれとか言われたら泣きたくなると思うし、会社勤めだったころの新人教育では胃が痛くなったもんだけど、今は教えるときは教えるだけに集中できるんで余裕がある。そういう意味では気楽で楽しいかもしんない。
でもまあ、そういうポジションの人間が教えることは、やっぱりあんまり役に立たないよなぁ……とか思う。頭で覚えたって仕方無いから。
職人芸を教わったとき、一字一句同じことを名調子で繰り返された。
「日本語ってのは良く出来てる。
見習い、手習いっつってな。
見て習うから見習いで、手で習うから手習いだ。
源氏物語にも『手習いは坂に車を押す如し』ってな、
手ぇ抜いたらすぐに元の木阿弥になっちまう。
いいか、よっく覚えとけ」
身に付かなくて、しょっちゅう新聞竹刀でポンポン叩かれてたけど(笑)
よく「分からないことがあったら聞け」って言うけど、あれも何というか管理側の都合だわな、とか思うことも。
分からないことを勝手にやられてとんでもない事故を巻き起こされたら困るのは事実なんで、それは仕方がない。反面、失敗しないと覚えないことってのもあって、だからまあ「まずやってみる」ってのも必要なコトなのかなぁとも思ったり。
でも勝手に事故られたことの責任取らされるのヤだから、事故るくらいなら聞いてくれ、ってのも本音だわな(笑)
たとえばコピー取るように資料を渡されたとき。渡されたものが何の資料なのか見る。渡すときにでも何の資料か聞く。興味があったら一部余分にコピーしてこっそり自分の勉強に使う。(まあコレは情報管理上トラブルになりがちなんで今はダメか)
もっと初歩的なこと。どこの机に誰が座ってるかを見る。誰と誰が話しているかを見る。フロアの人の出入りを見る。スケジュール表を見る。先輩の仕事の様子を見る。
昔は「考えろ。考えない人間は不要だ」とかけっこう本気で教えてたけど、新人教育やってる元同僚に、こないだちょっと話を聞いたら「そういうコト言うと全員不要になる」とか恐ろしい現状を耳にして、彼も諦めて「まずは見ろ」と教えるようにしてるとか。
うん、まとまんないな。
まあ結局なにが言いたいのかというと、とにかく「見習え」と、そういうことが言いたかったわけだ。
まず模倣から。それを自分なりにアレンジしていって、自分なりの仕事の仕方を身に付けて、ようやっと「ちょっとは(仕事が)できるようになったな」と言われるとスゲェ嬉しい。幇間稽古はイカンよ。
……とか思った次第。
まあそのためには自分の成長を見てくれる先輩がいなくちゃイカンのだけど。