またぞろかなり小児的な考え方なんですが。
ちょっと「正直って何」とか思ったので。
自分に正直になる、とは良いことか悪いことか。
「自分に正直になれ」
という言葉は、勿論良い影響を与えることもあるが、悪い影響をもたらす事も少なくない。
飲み屋で上司の愚痴を言い合ってる中、一人あまりそうしたことを口にしたくないと思っている大人しい男がいたとする。同席した連中はこう言うだろう。「正直に言っちまえよ」と。
大人しい男が上司の良いところを口にしてみても、周囲はまともに取り合わない。揃って「自分に正直になろうぜ」と言い募るのだ。その場においては愚痴や悪口を言うことだけが「正直になること」と決められてしまっている。
自分に正直になる――しかし現実として正直な自分という確固たるものを持った人間が一体どれだけいるのかは疑問だ。
人は環境によってその態が変わるものであり、誰と対面しているときが正直な自分なのか等、分かりようもない話である。それらが全て仮想人格――正直でない作られた仮面のようなものだとするならば、一人でいる時こそが正直な自分なのか。
どちらにせよ、誰も他人の「正直な姿」など知る由もない。
私なりに考えるところでは、本当の自分などというものが存在するのであれば、それは「斯く在りたい自分」という理想と、それを思う心こそだろうと思う。
理想というと、子供じみた言葉だと思うかもしれない。事実、多くの大人はそれを失くしたようにも窺える。社会の軋轢によってそれらを捨て去り、社会生物として生きるのが大人であるというのは大多数の大人の概念だろうし、そうでなければ社会機構は機能しないようになっている。
だが、そうした大人が自分を正直だと思っているかといえば、答えはノーだろう。彼らに尋ねてみるといい。きっと「そんなこと言ってたら会社じゃやっていけない」とか「そんなことを考えるのは学生時分で十分だ」とかいった答えが返ってくるだろう。
だが、そうした人間に限って「自分に正直になれ」といって愚痴を強要するのだ。それは共犯意識というより、自分は正直に生きているのだと共有したいがために出る言葉のようにも思えてくる。
世間一般に「正直であること」は美徳とされるが、冒頭の例では悪徳を唆す言葉になってしまっている。
そう考えると「正直」とは実に罪深い言葉に思えてくる。