教育と国

 一部高校での「世界史不履修」が問題になっていますが。
 学校側のコメントがまた、

「学生の『受験に必要のない勉強はしたくない』という要望にウンヌン」

 というのもふるっていて。
 なんで学校が生徒におもねらにゃならんの。
 高等学校って、何を教えるトコなんでしょうか。
 その辺ちゃんと理解して学びに来いよと。
 受験勉強だけしたけりゃ予備校通って大検でも取れば良いのに。
 あれ、今は大検って言わないんだっけ?

 


……そんなコト言っても日本国内で一生を送るのに、世界史なんて必要ないといえば必要ないかもしんない。いまいち求められてないし。日本国内で世界史。
 世界史を知る、ということは諸外国の人々の生活基盤を知ること。
 コミュニケーションの初歩は相互理解。まずは自分と相手を知ることが大事。
 その基盤を学ぶためのツールが言語と歴史。
 放り投げてどうすんの。そんな大事なもの。

 数学も理化学も、同じように生きていくには必須ではない。
 でも歴史よりも重点が置かれるのは、可能性を試すため。工業立国としての日本を支える数理的人材。そういうのが後から生まれてくるのを助けるために、興味を持てる人間の芽を摘まないために必要。
 それは道理。
 でもアホみたいに人件費のかかるこの経済大国(=物流・貨幣の高レート化が進んだ国)が、今後生き残るために選ぶ道はどこなのさ?

 人件費の安い国は、社会主義語における「搾取」されながらも、底力を付けることができる。かつての日本がそうであり、現在の中国はそれをより極端にしたアプローチで発展を続けてきた。
 最近では IBSAC、BRICs、VTICs、N-11 など、競争力を付けてきた国は多い。
 それらの国と今の日本が、果たして対等に勝負できるか? といったら、ほとんど無理だろうと思う。競争力が無い――とは言わないが、町工場で生まれる驚異的な職人技や、一部の地道な研究以外に、競争力として評価できるものは少ない。
「人的資源はオタクに眠っている」とか極論を言う人もいるが、「オタク=非対人技術者」とすれば道理は分かる。要するに今の日本には、対人力そっちのけの技術力くらいしか武器が無い。
 理由は簡単だ。
 対人技術を学ぶ場が、まったくと言っていいくらい存在しないから。

 対人技術の根幹をなすものは、言語と対話経験、それに分析力と理解力。
 そのうち重要さが分かりやすい英語は、力入れようとしてるみたいだけど。
 対話経験も、分析力も、理解力も、学ぶ場面が無い。
 それじゃあ対人技術が上がるわけもなく、アジア地域の中核を担おうと思ったって無理な話でしょう。

 海外に出ると「日本人は交渉力が無い」とよく言われます。
 下手なんですよね、駆け引き。
 それが清廉さであるなら美徳と言えなくもないんですが、実際はどうだろ?

 まあその理由の一端も分かるんですが。
 だって話をしないから。
 自分の本当に近しい人間としか、話をしないから。
 子供は子供の、大人は大人のコミューンでしか交流しないでしょう。
 それじゃ分析力は身につきません。
 最近ではコミューンも細分化が進んで、もっと小さくなっちゃってるし。
 スーパーで買い物をすると、接する店員はレジ係だけ。
 淡々とバーコードで入力されていく金額を見て、財布から金を出すなりカードを出すなりしておしまい。
 マニュアルどおりの挨拶と、無愛想な返事。
 会話がありません。
 接してないんですね、他人と。
 結果、対人技術は摩滅し、あるいは育たない。
 
 一般的日本人の対人技術なんてなカイワレ大根です。
 それじゃ、じきに世界で誰も相手にしてくれなくなりますよ。
 どんどん世界が閉じていく。
 学歴神話って崩壊したのかと思ったら、より強固になったんでしょうか。
 職業の階級化が進んで勝ち組と負け組が出来て、それに抗するには学歴が必要になった……ってコトなんでしょうか?
 まるっきりドロップアウトしちゃった人間には、よく分からん話ですが。

(子供を持つ親がソレで良いのか、とか自分でも思うんですが……勉強したけりゃするでしょうし、したくなけりゃ別の目標を見つけるでしょう。指針は提示しますが選ぶのは子供。子供が走ることを覚えたら、親は背後を守るだけという教育方針ですので)