[学習考] 見て習う。だから見習い

 現役退いた人間に仕事を教えられちゃあイカンよ。
 ……とか思うんですが、なんだかんだで教える立場。
 学校の勉強なんかだと教えるのも面白いんですが、仕事の仕方なんて適性もあるし個性もある。そんな自分で構築せにゃならんモンを教えろと言われたってまあ、困るよなァとか思う。
 どこまでも我流でやってきた人間なので。

 

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第二回日本語テスト

 そぱやさんトコで見て、んじゃやってみるべーと思って。
 第二回日本語テスト。
 第一回のときもやったんですが、第二回やってたの知らなかった(笑)

 ATOK & 一太郎 presents ということで。
 こちらでやってますので、興味や自身のある方はどうぞ。

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用語考(いじめ)

 概念の多くは言葉によって固定化されるものです。
 簡単に言うと「言葉のイメージに振り回される」ってことですが。

 僕の主観ですが、「いじめ」って言葉はどうも幼稚なイメージがあります。
 そして「幼稚」は相手にするのも愚かしい、甘えた、程度の浅いと。
 A=B、B=C、A=C の単純な証明式でいえば、「いじめ」は「相手にするのも愚かしい、甘えた、程度の浅いイメージがある」といった具合。
 人々を死に至らしめる行為にしては、いささか表現が弱い気がします。

 だったら言葉を変えてしまえばいい。
 虐待でも集団暴行でもなんでも、もっと過激で衝撃的な言葉にしたらいい。
 それは立派な犯罪行為である、という言葉にしたらいい。
 いささかエキセントリックな考えだとは思いますが、これだけ騒ぐにしては、どうもイメージが軟すぎて(苦笑)

 ま、これは短絡志向に過ぎる話。
 あんまり過剰表現になりすぎても、人がそれに慣れてしまえば無効化されることなんで、現行のマスコミの影響力を考えると、却って逆効果になる可能性もあることなんですけどね。(多くの人が凶悪犯罪の報道に対して「ああまたか」と思うようになってしまったのも、展開的には同じこと)

愛国心だの美しい国だの

 うろ覚えなんですが、先人の名言として習った言葉があります。

「民衆が国を愛するのは、その国が正しいからではない。
 その国が自分たちのものだからである」

 逆もまた真なり、ということでしょう。

教育と国

 一部高校での「世界史不履修」が問題になっていますが。
 学校側のコメントがまた、

「学生の『受験に必要のない勉強はしたくない』という要望にウンヌン」

 というのもふるっていて。
 なんで学校が生徒におもねらにゃならんの。
 高等学校って、何を教えるトコなんでしょうか。
 その辺ちゃんと理解して学びに来いよと。
 受験勉強だけしたけりゃ予備校通って大検でも取れば良いのに。
 あれ、今は大検って言わないんだっけ?

 

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