[memo] 遊ぶ環境と上達

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前に「上達したければ自分が楽しく遊べる環境を維持することを考えて」って話をしたんだけど。

その辺について、道楽者の与太話を垂れ流しておこうかと。
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**淘汰される人

とりあえず自分の視点と他人の視点ってのがあって、権利は全てフェアであると考えることにしよう。

そのとき「自分が面白いこと」を再優先にして遊ぶ。これはイイ。でもその時「他人なんかどうだっていい。たとえ他人がつまらなくても自分が楽しければ」みたいなことを考えてるとすると、これはマズいことになる。

それで実際に嫌な気持ちにされた人は、その人とは遊びたいと思わなくなるでしょ。まあ普段の付き合いが良ければ「こういうこともあるか」って一度や二度は見逃してもらえるかもしんないけども。

そうなるとまあ、簡単に逆襲されるのね――「もうアイツは遊びに呼ばない」「アイツに誘われても行かない」って方法で。

これでもう「遊びの環境の維持」はできなくなるわけ。

はいゲームオーバー。

***住み分けたり作ったり

……で、そうすると「じゃあいつも他人の顔色を伺って遊ばなきゃいかんのか。窮屈だな」って意見が出たりする。

これは一つの考えだけど、これはその環境がもともと自分に不適合なんだって考え方もある。マッチングにミスってるってこと。

実際、大概の趣味には「互いに顔色を伺いながら遊ばなくてもいい環境」ってのもどっかにあって、どーにかしてそういう環境を探して入れてもらうか、あとは自分で作っていくことを考えるってのも、ひとつの方法なわけで。

そうやって「楽しんで遊べる環境」を見つけること、そこで遊び続けられるように心を配ることが遊びの上達じゃないかっていうのが僕の考え。そこには自分の楽しみを言語化したり、遊びのインストラクションしたり、お互いの意見を調整したりって能力が関係してて、そうしていく中でライン上の成長もあるし、新たな発見によって遊びの幅が広がったりもするし。

***達人たち

あっちゃこっちゃに出入りして、何度も遊んでるプレイヤーってな大抵、上手。

そういう人たちの上手さのポイントに「その場その場で楽しむことをスイッチしてる」ってのがあって。「今回はこれが楽しかった」と「前回はあれが楽しかった」っていう、この二つに共通点が無かったりするのね。どっちも違うことで楽しんでいる。ついでにそこに(本人の自覚の有無はさておいて)自分のプレイが関わっている。というのが大体、広汎の達人の共通点って感じ。

逆に得意分野が限定されてる特化型の達人ってのもいて、そういう人たちは「自分の得意分野に寄せるテクニック」にポイントがある。こっちは自分の好きなことの近縁、辺縁の話題まで網羅してて、ゲームの展開と好みとの間にズレがあっても、上手いことすりあわせて引き寄せちゃう。そこで自分のワールドを展開することで、一種独特の楽しみを得てる。

そうした自分の世界を、うるさくならないように薄めるも、乗ってきた人を巻き込んで濃くするも自由自在ってのが特化型達人なのかなーと思ったり。

***セッティングの上達

昔、ベテランを自称する手合が初心者相手にあーせいこーせい指示出しをしたり、初心者の言動をナンセンスだと笑ったりする中で、「こいつらの顔色伺って遊ぶのやだな」って思った人は沢山いたと思うのね。

自分もそういう先輩方とはなるべく遊ばなくていいように避けつつ、自分がやりたいことをするために別グループを作って遊んだりしてた。

もちろん、そうやって作ったグループの中から「別の遊びも有るだろう」ってことでまた別のグループを作って出て行ったメンバーもいて、彼らは彼らでゲームを楽しんでるって話も聞く。

更にはその両方のグループに属して、どっちでも楽しく遊んでるメンバーっていうのも当たり前にいる。

楽しみ方、楽しむポイントは人それぞれで、住み分けなきゃやっていけない人もいれば、両立させることが可能な人もいる。それが異なる価値観を柔軟に受け入れられるからなのか、それとも楽しんでるポイントが全然別で、対立する二つの価値観はその人にとって優先順位が低いだけなのか、というのも個々別々。

そうして見ていくと、その人それぞれに「上手さ」や「楽しむポイント」がある。セッティングする側としては、その辺を見越してプレイヤーのマッチングをしたりして。

たとえば (T)RPG なんかだと、そのシナリオで何を楽しんでもらいたいのか? その中で自分ができることは? なんてことを考えると、足りない部分って有るわけね。それはハウスルールを組んだり小物を使ったりの演出も込みで、それでも足りないものっていうのが有る。その時に「自分には無理だけどこの人にはできる」っていうのが分かってれば、その人を呼んで計画に乗ってもらうっていうのも大事なこと。

そのためには、呼んだ人にも楽しんでもらえるようでないとイカンのですよね。そうでないと冒頭に書いたような「貴様は自分の楽しみ(セッション成功)のための礎になれ」ってのを地で行っちゃってるわけだから、次から来てもらえなくなるかもしんないし、それだと「楽しく遊べる環境」は維持できない。

偉そうにのたまってるけど、この失敗は実際にやらかしたことがあって、だからまあ反省しきりなのですが。

***上達の終わり

そうやって上達していったわけだけど、それもどっかで終わることがある。

一つはゲームオーバー。環境を失うこと。「離れて初めて分かるありがたみ」じゃないけど、環境を失ったアレコレについて考えを深めることでうまくなるケースも有るんだけど、それが実践できるのは新しい環境を得てからなので。それにまあ、それは単純に時間を置いてコミュニケーション能力が上がったり人間的に成長しただけ、みたいなケースもあるし(笑)

学生時分にあんまりスタイルの相性が合わないなァ、と思ってた人が、8年越しで再会して遊んだら超フレンドリーになってて「あれ?」って思ったこともあったりする。あれは彼も変わったし僕も変わったということだと思うけど。

もう一つは環境の維持への心遣いを失うこと。こっちはわりと致命的で、自覚がなければ緩やかに、自覚があれば急激にスキルは錆びついていく。長いこと続けていって、惰性になっちゃうと危ない。その時、環境内での負担のバランスが取れてないとゲームオーバーまで一直線になったりする。逆に誰かが支えてくれちゃったりすることもあるけど、その人にかかる負担を、再び分散させることができなければ、姑息的治療にしかならない。

***環境は中も外もあるし

今はネットでも色々と探せるし、環境にも楽しみ方にも色んな選択肢があるから、苦しいと思ったら一時的にでもそこから離れちゃうのは一つの手だよね。

一旦その遊びの外に出てみたら楽になったってこともあるし、楽な気持ちでリトライしたらうまくいくこともあるし。

もちろんそのままその遊びがフェードアウトすることもあるんだけど、そうなったらそれはそれで別に構わないってことで。なんせ自分の中から関心が薄れてるんだから。

だからまあ、「自分の納得のいく形」を目指してればエエですよって話。
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