[memo] 良き茶席、良きもてなし

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『へうげもの』を読んでて、ずっと気になってることがあるのです。

それが「良きもてなし」「良き茶席」についての言及。
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コミックスを読んでいる限り、茶席やもてなしそのものについて「良かった」と評されていることがほとんど無いっぽいのですよね。

利休や丿貫、織部ら最高位の茶人たちはそれを評してたように思います。

しかし利休七哲を始めとするそれ以外の登場人物は、茶席そのものを評していないような印象があるのです。

茶席のシーンの最後に「良いもてなし」と評している時は大抵、彼らが政治的/経済的に利益を得たり、そうした見通しが経った時で、茶席そのものに「快」を感じた、そうした評価がなされたシチュエーションって、ちょっと思い当たらない。あるいは記憶してないだけで沢山あるのかもしらんのですが。

茶器、皿、軸、燈籠、それから風炉の灰形。こういった個々の、数寄社会において価値付けのはっきりしているものについての評はたくさんあるんですが、その精髄としての一座建立、茶席そのものを楽しんでいる風がほとんど無い。

たぶん利休に招かれた家康が脅威を感じた時や、佐竹と伊達がそろって招かれた凝碧亭の飛び石の創意、あとは北野大茶会における織部の樹上茶席(およびそれを思い出して抱腹絶倒する石田三成)……くらいじゃないかと。

もちろん個々の茶道具に面白味を見出して楽しむのも、それはそれでいいと思うんですが、大茶人たちの追求したのって究極のトコロ、茶席のトータルコーディネートであろうと考えると、そうした真意は、実は最初から関が原後に至るまで、誰にも伝わってないってことなのか? と訝しんでしまったり。

あるいは作品が大河的な物語(フィクションにて候)であるが故に、茶席はあくまで外交の場としてしか取り上げられないだけなのかもしれませんが、もっとなんか茶席のありかたそのものについて評してくれるエピソードがあったら「侘び数寄/へうげ数寄が広まってるんだなあ」とか思えるんですが。

利休や古織の目指してるところが、イマイチ広まってないというか。

いや全体としての良し悪しも、部分部分の笑いや感動によって表現されるモノで、あるいは一瞬の笑いにこそ価値がある……という解釈もありうるんで、それはそれで構わんのですが。

***どう終わる?

長谷川等伯の松林図屏風。

ゆがみ茶器に笑う商人たち。

ああいう個人の善悪定かならぬ想い(エゴ)が広がっていく構図って好きで。まあそれが歪んだ形で花開いちゃったのが第16服の上方の有り様なんだろうけど、今のままだともしかして結末は「実は何も伝わってなかった」なんて寂しい形になるんじゃなかろうな? という怖さが最近ちょっとなんかヒシヒシと感じてたりもして。

利休は宗二、古織という弟子を得て、また光秀の辞世の句にも自身の伝えたかった侘びの心を見出して、それが広まっていた/理解者がいたことに一応の満足を見出し、しかし己の侘び数寄の限界も感じたところに「次」なる織部を見出して、一座建立の面白みを託している。託せる、と思えるところまで純化して、ある種の諦めの境地に至ったからこその最期だったと思うんですが、織部も同じ道をたどるのかしらん? という。

織部のへうげた感性については宗箇(上田重安)が、乙将として独歩する数寄者としては作助(小堀政一)がそれぞれ継承しているし、理解者としては第16服に登場した俵屋宗達がいる……と見ることができるし、「織部のへうげは上方のお笑い文化の根っこ」くらい大胆にブチかませるくらいの土台は出来てるし。

そこにまだ断片的にしか登場していませんが、未来への布石として松平忠輝、大久保長安、伊達政宗の三者が登場していますし、更には豊徳合体の野望も語られるようになった。織部のへうげ数寄は、政宗が見せた反骨の気風に取り込まれ、また秀吉の華の気風を下世話に継いだ長安とともに、四角四面な徳川幕府に靡かない上方気風として残っていった……みたいな終わりも悪くはないんですが。

ただやっぱり、数寄者としての織部の創意、利休好みと競い合うような「渡り四分に景六分」みたいな部分が無くなるのも、それはなんだか寂しくて。

織部の最期がどう描かれるのか。

一人猪突したラ・マンチャの騎士として徒花として散るのか。

その場で大いに笑い飛ばして、すべてドカンと吹き飛ばして終わるってのも、それはそれでへうげ織部っぽいんですが……でもやっぱり報われて欲しい気持ちがあったりするのですよ。ファンとして。
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