[memo] 本文、挿絵、パッケージの話

 Mixiの方でマイミクさんが興味深い話をしていたので、便乗(笑)
 全てはこの辺の設問に集約されてるのかな。

Q1. 作者名、イラストレイター名って大事?

Q2. 作者名ではなく、表紙絵で作品を認識していることに呆れる?

Q3. 小説で、その文章が好きならば、イラストや出版社はどうでもいい?

Q4. 出版社の苦労、イラストレイターの苦労、著者の苦労は?

 元エントリとはテーマが変わっちゃうんですが、勝手に答えてみるの巻き。

勝手に答えてみる(笑)
Q1. 作者名、イラストレイター名って大事?

Ans. 作る側としては、知って欲しいとは思いますが(笑)

 とはいえ、名義というのはあくまで信頼関係を築くための橋頭堡なんだろうと思うんですね。面白い作品だと感じたとき、そう感じる作品をもっと読みたいと思ったときに、「面白い作品を書く人」として信頼するための看板とか、「面白い作品」を探すための目安とか、そういうもので。
 だから「面白かった」の後に「もっと読みたい」が続かなければ、作家名なんてどうでもいいというのは読者として何ら間違いの無い対応だろうなァ、という。
 極論すれば、作家としての名義を知ってもらえないって事は、作家として「もっと読みたい」と思ってもらえるだけの作品が作れなかったってことで、それは作家サイドのメディア力不足だろうなと思います(笑)

 あるいは完全に完成した作品であれば、「もっと読みたい」とすら思わせずにいられるのかも知れませんが……いや、でもそれはやっぱり作品としてダメだろうな。たった一度の経験で、一生を満足のうちに過ごせる娯楽なんてものがあるとは思えない(笑)

Q2. 作者名ではなく、表紙絵で作品を認識していることに呆れる?

Ans. 表紙絵では特に呆れることは無いかなァ。

 さすがに挿絵で認識されてるとなると、本文読んでないのかと思っちゃうけど(笑)

 本来的な話をすると、たとえば小説にしても「小説+挿絵」というパッケージが一つの作品なんだと思うんですよね。挿絵と言うのは情報を圧縮して伝えられるメディアで、それによって文章自体が良い方向にも悪い方向にも牽引される。
 だからまあ、作品としてプロデュースすることを考えると、文章が主体であるとしても、どこにどのような情報を挿絵にして伝えるか、バイアスをかけるかという点で挿絵をどのシーンに、どのような情報を圧縮するかは大事なことでしょう。
 これは計画的に行われることで、一個のパッケージとなります。
 逆に、絵を主体とする絵本の構造でも、文章によって絵に込められた情報をブーストしたり、前後の道筋を付けたりすることは計画的に行われているわけで。

 ただまあ現実的には、文章が上がる前にイラスト描いてたり、本文読まないでイラスト描いちゃう人なんかもいるらしいんで、そういう作り方をしてるモノについてはまた別の主張があるかもしれません(苦笑)
 そんなの作り手の勝手で、読み手にとっては知ったこっちゃ無いんですが。
 本文中に挿絵が入ると、どうしても挿絵にイメージが牽引されてしまうことは、人間の脳構造上どうしようもないし、そうなる(挿絵に誘導される)ことが嫌だったら「挿絵」ではなく「イメージ画」として、本文中にイラストを挿まない(巻頭なり巻末なりにまとめて掲載する)方法だってあるんだし。
 表現者としてそれらを妥協や黙認することは、単なる怠惰でしょう。

Q3. 小説で、その文章が好きならば、イラストや出版社はどうでもいい?

Ans. 文章だけが好きなら、挿絵も出版社も関係ないでしょう(笑)

 ただまあ神経質な表現者としては、イラストについては前述の通りだし、出版社(レーベル等)についてもたとえば横書きと縦書き/段組/行末送り/活字のフォント/活字の大きさ/本のサイズ/本文とカバーの紙質……といったパッケージの編集技術なんかがあるんで、文章だけが好きだと言う人に「本当にどうでもいいの?」と聞きたくなることもあります。

 活字がルーペを使わないと読めないほど小さい字で、1ページあたり 3文字ずつ、しかもすっごい悪臭を放つ紙に印字されてたら、それでも気にせず楽しめますか? ……というのは、まあ、極論が過ぎますが(笑)
 もちろん、レーベルごとに既に出来上がってるフォーマットに流し込んで、特にデザインを考えずに作られてる本の方が多いんでしょうけど、この手の話は論ぜられる前提条件として見過ごされている、こうしたエディトリアルデザインを担当するデザイナーとしての出版社/レーベル、って見方もあります。

 実のところ、表現媒体――メディア――というのはそれぞれ得手、不得手といった特性があって。表現者はそうしたメディアの特性についての理解が求められるし、そういう意味ではイラストレーター、またパッケージを作る出版社/レーベルというのも表現者に属しています。
 よりプロデューサーとしての傾向が強いのは確かでしょうが。

Q4. 出版社の苦労、イラストレイターの苦労、著者の苦労は?

Ans. 売り手としては、意識してもらえると嬉しいです(笑)

 どう意識して欲しいかと言うと、本屋で新品を買ってください(爆)
 それで面白いと思ったら、お友達にも勧めてください。なるべく買ってもらう方向で(笑)
 あと、処分する時も、ネットオークション等を使って高値で売るか、あるいはちり紙交換にでも出してくれるといいですね。とりあえず新古書店に売らない方向で努力してくれるとありがたい(笑)
 ……とまあ、これくらい意識してくれたら、それ以外のことは気にしないでヨロチイ(何)

 作品を商品として扱っている以上、それに対するマナーは「適切な対価を支払う」ということでしょう。まあ対価さえ支払えば何をしてもいいかってと、程度問題もあるわけですが、対価を受け取った人間がそれ以上のことを要求しない、というのもマナーでしょう。
 対価が安すぎる、不当だ、とするなら自身の商品価値を上げて条件闘争をするとか、なんらかの別の手段を取ることも視野に入れていいでしょう。自己表現をしたいだけなら昨今いくらでも方法はあるわけで、プロデューサーとしての出版社/レーベルを選んだり、自分でエディトリアルデザインをしたり、同人で活動したり……結局のところ、表現者自身がプライオリティをどうするかって話になるわけで。
 表現者が作品をどう見せるのかについて、ロクに考えもせず他人任せにしちゃうのはいただけない。作家は作品を作ることだけに注力すればいい、という無関心は無責任でしかないんじゃない? とか。
 まあこれは、いささか作り手に対して厳しすぎるとも思いますが。