[memo] つれづれ書き20080917

 今日は一日休みなのでグッタリしてました。

 ボケーっとしながら、ちょっときまぐれTRPGニュースさんの記事から、気になってる話題とメモをザラ書き。ちなみにメモは、参照したエントリ群と関係ないことがあるのでご注意ください(笑)

 あ、そうそう。
 前エントリに書き忘れたけど、「わかる本を読んでみた」シリーズは不定期連載です。
 明日アップされるとは限りませんのでご容赦を。(まだ読み途中(笑))

NPCと主役・脇役

NPCと主役・脇役

 これ読んで最初に思い出したのは、『ファー・ローズ・トゥ・ロード (Fローズ)』のアーティクル・キャンペーンでした。
 アーティクルってのは精霊の宿った器物、または器物に宿った精霊のことで、『Fローズ』の美しい世界観の一端です。「魔法の剣」ってのは魔力が込められた剣じゃなく、使い手と心を交わした精霊の宿る剣なのです。

 で、PC が全員アーティクルになって、NPC に力を貸して目的を達成させるのが「アーティクル・キャンペーン」です。
 アレですね。「魔法の鎧が歩いてる」とか揶揄されるような、全身マジックアイテム装備の勇者さまのサクセスストーリー(笑)
 面白いのは、『Fローズ』の感情ルール、特に「感情共有」のルールと、アーティクルの成長とがリンクしている部分。アーティクルが成長するには感情が芽生えないとイカンのですが、その感情を芽生えさせる方法が、たとえば「他者の激情に触れる」だったり「既にその感情を持ってる誰かと感情共有する」だったりするのがまた美しい。
 たとえば、こんな具合です。

勇者NPC「てめぇのような悪党は許せねぇ!」[“怒り”激情]
アーティクル(おお、勇者の怒りが伝わってくる……)[“怒り”伝染]
 →(そうだ、こんな野郎は許しちゃおけねぇ!)[“怒り”覚醒]

 これでアーティクルは “怒り” の感情覚醒に伴う成長処理を行います。
 熱いでしょう?(笑)
 もちろん “悲しみ” や “哀れみ”、それから “喜び” とか、色んな感情を誰かと共有することでアーティクルの精霊は育ち、自立していくという……なんだか乳幼児の成長をなぞったようなモデルです。鼻血モノです(何)*1[感情ルール] = 僕はこのルールが大好きで、僕が作るファンタジーシステムには大体これか、これに類するものを導入してます。SRS っぽく作ってた『古き良きファンタジーRPG(仮題)』でも、ダイスの数に併せて 6つの感情を導入。今さら誰が遊ぶんだコンナモンって作りなんですけどね。ま、どーでもいいか(笑)

子供に伝えるTRPG

子供に伝えるTRPG

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 軽く手前味噌ですゴメンナサイ(笑)
 でも気になってるのはソッチではなく、『青い月の囁き』さんのエントリ群。

 僕はこのところ「TRPG って “情報の資源化” と “資源の情報化” を〈対話〉でやりとりする遊びなんじゃないか?」とか考えてまして。
 その根底にあるのは「〈管理資源〉ってゲーム内の数字だけじゃないだろ。人間の内部リソースそのものがまず〈管理資源〉だろ」って思い。
 これを思ったのは「人間の集中力をリソースと見なす実験」を知ってから。

 いわゆる〈葛藤〉ってのも、自分の中にある優先順位の中から、「優先順位の低いカードを場に捨てている」と考えると「それって〈資源の管理〉なんじゃねーの?」ってなるわけです。

 恐怖。

 好奇心。

 依存心。

 それらを全部〈管理資源〉と考えてしまえば、ここで nayuta77 氏がやっていることも、大筋で TRPG として説明できませんか? と。

 前日ちょっと紹介する機会のあった「T-RP-G」も、コレが元の思想で、実のところ全てです(^^;

 ただ、この思想だと「口承文芸」をテクニックに分類することになるんで、ちょっと不本意なところもあるんですけどね。
 「TRPG をあくまでゲームと見なす場合」と但し書きしておきます。

戦闘の楽しみ

戦闘の楽しみ

 またまた『青い月の囁き』さんのエントリから。
 いい記事書くなァ。うーむ。

 僕は「戦闘なくてもいい」派ですが、戦闘が初心者を TRPG にガイドする際とても有効に使えるものだってこととか、王道としてのカタルシスってのもあるんで、「戦闘いらない」派ではないです。
 それはゲームで活用されるファクターの一つだろう、と。

 理由は、書かれている通り「分かりやすさ」にあります。
 この「分かりやすさ」がらみで言うと、実はフェイズプロセッション形式についても似たような認識で、どちらも「筋書きのないドラマ」を初心者さんに体験してもらうのに非常に有用だと思うんですね。

 ひどい話をすると、未経験者をゲームにハマらせるには「劇的な回心」を演出するのが一番です。
 で、それには「筋書きのないドラマ」を目の当たりにさせることが非常に有効で、実際には筋書きがあるのに、それが無いように見せることが肝要。そうすることで感動はより一層、特別なモノになるわけです。
 ああ悪党(笑)

番外編 : イマジナリィ・ボードの話

 最後は「きまぐれTRPGニュース」さんとは別に、ゲーム論考他でお世話になってる高橋氏のエントリから。

 む、むずかしい……
 ゲーム論の喜劇ってのを、あんまりよく理解してなかったというか……カイヨワにしても、〈パイディア〉と〈ルドゥス〉、それから四区分についての浅い理解だけで、後はそれを使って「どうやって人の心理に訴えかけるか」とか「脳科学的にどういう現象が起こってるか」とか、結局あれも思索用ツールとしてしか考えてなくて(^^;
 ぶっちゃけ「遊び = 単なる情動行動の一種」としか考えてなかったので、現実/虚構の区分とかは、特に考えてなかったです(^^;

イマジナリィ・ボードのイメージ

 〈イマジナリィ・ボード〉を投影した TRPG セッションってのは、僕の脳内イメージでは「テニス」なんですよ。ああ、卓球でもいいですけど。

 〈イマジナリィ・ボード〉っていうのは、コートです。
 で、やりとりされる〈情報〉がボール。
 ちなみにネットは〈システム上のタブー〉って感じ。

 普通は自分のコートにワンバウンドさせてから打ち返します。
 この「ワンバウンド」するとき、相手の打ってきたボール――つまり〈情報〉――がコート――〈イマジナリィ・ボード〉または〈テーブルの合意〉――に入ることで成功になる。もし相手が打ったボールがコート内に入らない場合、その〈情報〉は〈テーブルの合意〉に属さないのでアウト。相手の失点となります。
 このときコートは〈イマジナリィ・ボード〉として、〈情報〉が〈テーブルの合意〉に沿ったものかを判定し、フィルタリングしている。
 そんなイメージ。

 で、また余談ですが、たまにボレーで打ち返す人がいる。
 これは〈イマジナリィ・ボード〉に触れさせず、つまり〈テーブルの合意〉でフィルタリングしないままのやりとりになる。アウトであるかもしれないし、インであるかもしれない。どっちか分からないけど、判定(フィルタリング)しないまま続けてしまう。
 これが〈テーブルの合意〉に拠らないプレイング、つまり【オヤクソク】のイメージです。

 コートの形状については、以前書いた『マスタリングによるゲームボードの差』の図で示したとおりです。

 僕はどーも、言語に拠らない妙なイメージでモノを理解するクセがあるようなので、あんまし文章で説明するのは上手くないんですが、だいたいそんな感じのモノだと思ってます。ちゃんと説明できてなかったかもですが(笑)

References

References
1 [感情ルール] = 僕はこのルールが大好きで、僕が作るファンタジーシステムには大体これか、これに類するものを導入してます。SRS っぽく作ってた『古き良きファンタジーRPG(仮題)』でも、ダイスの数に併せて 6つの感情を導入。今さら誰が遊ぶんだコンナモンって作りなんですけどね。ま、どーでもいいか(笑)