[改革考] 熱意依存症

 たまには偉そうなことを言ってみます。
 知己には「日常的だ」とつっこまれそうですが。


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 好きなこと、または遣り甲斐を強く感じること。
 このどちらかを仕事にして働いている人は、きっと幸せだろう。また、そういう人間が多い職場、そういう人間でなければ勤まらない職場において、経営者は大きな喜びをもって彼らを見つめているかもしれない。

 ただし、かくの如し情熱的な努力家の存在は、組織にとって麻薬に等しい。
 彼らに期待し、多くの仕事を任せ、業務が効率良くまた問題なく遂行されていると誤解してしまうと、やがて新規雇用舎へ要求する人的技術的基準が高くなってしまう。だがそれが満たされることはめったに無い。そうと知るや、組織は古参人員への依存度を強め、システム強化を疎かにしてマンパワーによる業務遂行を当然のものと考えるようになる。

 彼らのような情熱的な努力家、勤勉な人材が悪いといっているわけではない。もちろん彼らはとても好ましく、歓迎すべき人材である。だが、それに依存してはいけないという話だ。
 IT産業やアニメ産業など、多分にオタク的人材(笑)が多く巣食っている業界は、今やどこも深刻な人材不足に悩まされているらしい。そして海外でもこのような事例が、なんと病院で報告されているという。

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 「これまで上手くやって来れたんだから」という言葉は、危険だ。
 状況も環境も、刻一刻と変わっている。ましてや古参人員はかつての若かりし体力を、どんどん失っていくのである。一定の年齢まではスキルによって補える部分もあるが、スキル限界に達すればあとは体力の衰えがそのままマンパワーの低下に繋がる。

 緩やかな老化。緩やかな衰退。

 法律の世界では企業組織に“法人”という擬似的な人格を与えているが、現実的にも組織は人間と同じように、ほうっておけば有機的に老いていくものなのだと思う。人間と違うのは、法人には寿命が存在せず、世代交代によって若返ることができる点だろうか。

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 先日聞いた、ジョークのような話がある。
 グループウェアというものをご存知だろうか? 特定の目的を持った(例えばプロジェクトチーム等の)グループが、各人の活動状況や今後の予定を記録し、グループ内で半同期的に進捗管理をするソフトウェアだ。単体のアプリケーションの場合もあれば、WWWブラウザからアクセスする形態のものもある。
 これを開発していたある小さな会社が、自社ではグループウェアを使用していないというのだ。
 理由は「使わないでも問題ないから」。
 この話がウソか本当かについては、分からない。この手のジョーク(?)を僕が好むことを知っていて、テキトーに考えた作り話かもしれない。
 だが、なんとも寒気のする話ではないか。