徳と義

 不謹慎だ、などと下らんことを言い出す人間がいることを承知で書こう。


 

 当面、国会中継が面白そうである。
 疑惑の人物が自殺したことで追及の手は弱まるのか、強まるのか。
 そのことに関する報道をどうするのか。
 “道徳的に忌まれる”が、自らが“正義と信ずる”ことが貫けるのか。
 死者に鞭打つことで道徳的に批難されることを恐れず立ち向かえるか。
 野党サイドの出方が楽しみである。

 実情がどうであれ、与党は助けられた恰好だ。
 どちらにせよ次の選挙までに農相関連の話題を続けることは出来なかったろうし、その頃までに国民は疑惑を忘れているだろうと考えると、長い目で見れば農相の自殺はまったくの無意味だ。
 だが、現在から少なくとも年内に与党が提出している法案を、通しやすくなった点については立派に意味がある。
 なにより表面上の仇敵であるマスコミの、追及の手を躱すカードが手に入ったことが大きい。
「死人に鞭打つようなことが良く出来るな」
「農相はお前らマスコミに殺されたようなもんだ」
――とでもいって窓を閉ざせば済む。
 反撃し、すぐ離脱する。
 マスコミに編集点を与えなければ映像が流れることは無い。
 自分を批判されるくらいなら取材ソースを廃棄するのがマスコミである。その点は重要資料を検閲するお役所となんら変わらない。

 国会、マスコミ、ネット。
 三つの劇場がそれぞれどのような芝居を見せるのかが楽しみである。