「あなたの行動原理は?」
――作ること。育てること。
「その核は?」
――不満。
以下に続く思考は、性差別を助長する目的はありません。
育てるという要素の背景には、やはり作り出すことがある。
自分には成しえなかった、あるいは今後も成しえないだろう何事かを、自分に代わって成すための、創作活動。
行過ぎればそれは「自分の分身」を作ることになる。
それは面白くない。自分で出来ることは自分ですれば良い。
自分で出来ないから他人に任せるのである。
自分の分身。
ふと、それは往々にして親子の関係に語られることだと思った。
子供を作ることは両親の共同作業だが、実際に生むことは女性の仕事である。こればかりは身体的特質で、男性には不可能だ。
女性はそのとき、最大の創作活動を行っているとも考えられる。
男性にそれはできない。
だから男性はそれ以外のさまざまなものを作り出そうとするのか?
創作活動は代償行為なのか?
往々にして男性がロボットや各種工学を好むのも、自身では永劫にかなわない「出産」の代償行為という背景が、どこかにあるのかもしれない。もちろん支配欲や名声欲、義務感、攻撃性、その他さまざまなファクターを抱えているのだろうが。
そういえば女性は出産に対して現実的な認識をするが、男性は好奇心と社会性と空想上のなにものか以外を認識をすることはまず無い。人一倍、そうしたことに気を使う“自称”フェミニストにしても、結局のところ気にするのは社会性でしかない。
まあこれは、どうしようもないことだけども。
職人気質というと男性的性質として認識される。
あれも、職人という職業/性質が、既に何かを作るという女性的行為を行っているため、その部分で満たされているがゆえに反動として、バランスを取るために男性傾向を獲得していると、考えられなくも無い。
まったく逆に、女性的性質を持ったまま生産業につく男性もいる。あの場合は完全に女性化しているのか、それともそれ以外の場所に男性的性質を現してバランスを取っているのか。……行き詰ったので放置する。
では創作活動を女性が行えないのか、適性が無いのかというと、別にそういう話でもない。仕事をしていて共同作業をするとき、女性主導で進めたほうが上手くいくことが少なくない。
性別差ではなく単に個人の特質によるものなんだろう。
そうそう、個人の特質といえば。
創作活動に適した個性は「精神的飢餓状態」にあると誰かが言った。
まったく同感で、自分自身、最初にも書いたとおり創作意欲の根幹にあるものは「不満」である。
満ち足りた人間、その状況に落ち着ける人間は、新しいものを作り出す必要が無い。
また「文明は怠惰が育てる」との言葉もある。
「人間は楽をするために努力して発展した」とは真理だ。
最近は「楽をするために楽をしている」人が多いような気がする。それでは停滞して当然だろう。
なんだか話がずれてしまったが、電車内で 10 分くらい、そんなことを考えていて、気がついたら同僚に肩をとんとん叩かれていた。呼ばれていたのに気付かなかったらしい。