[Game] ケータイゲームの話

 携帯電話をスタジオに置き忘れてきてしまったのは前回話したとおり。
 で、無くなってみると……意外と困らなかった。
 たぶん中・長期的に無くなると困るんだろうけど、短期的には無くても大丈夫。
 強いて言うなら「睡眠薬が無くなった」ってくらいか。

 いや、寝なくちゃいけないのに眠れないとき、むりやり寝るのに携帯電話が役に立つのですよ。
 あの小さい画面で横になってゲームやってると、いい眠気が来るんだ(笑)

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ケータイ忘れた。

 スタジオにケータイ忘れてきたらしく…orz
 ですんでアレです。
 次のスタジオ入り……木曜までケータイで連絡はつきません。
 すんません。

[ブログ考] 立脚点を常に明かすべきでは?

 ブログってメディアは、時間経過によって加速度的に劣化します。
 そんかしグーグル他の検索エンジンで、バシバシ過去の記事を読まれもします。
 ブログは、だから基本的に「そのエントリだけを読まれるもの」と考えて書くべきでしょうと。

 とすると、“自分の考え”を表明するエントリ(論考とかレビューとか)は厄介です。
 例えば新作映画を見に行くか悩んでいるとき、レビューをその判断基準にしようとします。そのとき、そのレビューが「どういう好みの人間によって書かれたものか」というのは重要でしょう。

 でも、ブログってそういうことはあんまり書かれない気がします。
 これはブログというものが、記録者と利用者の間でズレているからじゃあないかと。

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[雑記] なんてミス…orz

 あちこちに荷物を送る用がある人間なんですが、手間なんで大体まとめて手配するようにしています。だので準備してから手配までにタイムラグの生じるものがあって、そういうのは大体一箇所にまとめておくんですが、今回ちょっと冷汗モノのミスが。むしろヒゲダルマ(何)

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[雑記] 機械の体が欲しい日々

 こう、マシーンの体が欲しいと思う時期ですよ。
 年末進行。この時期は眠れません。
 眠ってるヒマがないとかいう話じゃないんです。
 体がモノ作る機械になっちゃうんです。

 ああ目が疲れた、寝ないと体力持たないぞと思うじゃないですか。
 で、横になる。そうすっと原稿の続きがどばーっと出てくるんですよ。
 ペン持ってウンウン言ってる間は全然思いつかなかったのに。
 もったいなくて眠れるはずがない。起きてまたペン持ちますわな。
 んでまたしばらくすると手が止まる。ああ眠い、今度こそ寝よう。
 で、横になる。そうすっとまた、次のプロットが出てくるんですね。
 そういうモンなんです。もはや拷問。

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[映画] アトランティスの心

 随分と前に『クローディアの秘密』の映画版について話したけども。
 アレとこの『アトランティスの心』が、僕にとってのジュヴナイル。
 久しぶりに DVD 引っ張り出して見ましたが、やっぱり良い。

 まあ、設定に一箇所だけひっかかりを覚える人もいるだろうけど、それが例えばウソであったとしても、全く“彼”の評価に変わりはないと思うんだけどね。少年が信じてしまった出来の悪いジョークを、少年の豊かな想像力によって生み出された幻の国を、“彼”はそのまま真実にしてしまっただけかもしれない。
 そうだとしても“彼”は少年の――つまりは貴方の――大切な友達たりうる。

哲学の哲学?

 思考の迷宮に落ち込んじゃった人の、薬になるんじゃないかコレ。

 哲学の性質については、東京大学 大学院総合文化研究科助教授の野矢先生が語っていたことが、しっくりきます。「哲学のゴールは、誰もが持っている常識的な考え方」という話です。
 科学者は、人が思っても見なかった結論を出して、皆を吃驚させてくれます。しかし、哲学者は、普段普通の人が何気なくいるところがスタート地点であり、ゴールでもあります。常識と言い換えることのできるスタート地点から、何故そのように言えるのか?と疑問を持つところから始め、そう言える、そうは言えない、といった極まで振れて行って、議論を尽くし、考え抜いて、元いたところに戻ることが結論になります。科学者の出す結論と違って、誰も関心しない、ありがたみの無い結論であり、常識の外に零れ落ちて戻れなくなっている一部の人に対してのみ、ありがたみの有る結論です。

 逆説的に、“当たり前のことに理屈をつけて考えようとする”行為は、“常識の外に零れ落ちて戻れなくならないように”バランスを取ろうとする行為なのではないかと。
 そういう性質の論考は、だから同じ場所に落ちそうになってる、ないし落ちている人にしか効果がなくて、基本的には自分のために書いているモノなんじゃあないかと。
 少なくとも僕の論考(与太話)はそうです。
 自慢にゃなりませんが。