ネットブックをつなげるようになったんで、一応ネット環境には復帰したんですが。
復帰はしたけど復旧したわけではない、という微妙な状況。
ぶっちゃけて言えば「休眠前に何を書こうとしてたのか忘れちゃった」という(汗)
まあ、こうして書いて整理していくと、思い出すんだか記憶の捏造をしてるんだか、とにかく「なんかするべーか」というモチベーションを回復させる効果はあるみたいですが。
ぶっちゃけなんか書こうかなって気分になってきてます(笑)
たぶんゲームシステムデザインの話とかだと思うんだけど
サイコロ・フィクション関連で、なんか書くはずだったんよね。
諸事情で「CoC 系は避けよう」てコトになったんだけど、代わりに何するツモリだったんだっけ?
『鬼切り夜鳥子』ネタがログに残ってるんだけど、これそんなにガッツリ書ける話だったっけ。
それとも『ペルソナ』関連で一本でっち上げた話でもしようとしてたんだったか。
あとまあ BRP ベースで組んだ『デジタル・デビル・サーガ』ネタとか、色々有った気はするんだけど……忘れちゃった。
まあ忘れちゃう程度のモノだったんだろーけどね(笑)
上記分に共通するのは「ゲームシステムデザインの話」ということで、その辺の話だったかも?
その中でも何を話そうとしてたんだかは、いまいち思い出せないんだけども。
ああ、そうだ。ひとつ思いついた。
……ああ、でも話したいことはあるんですよね。
「同人ゲームを作る」というか、「ゲームシステムを考えることの価値」というか。
ぶっちゃけて言えば「ゲームシステム作るの面白いよ」という話(笑)
今更コンベ行きたいわけでもなく、市場がどーなってもまあ自分が遊ぶための環境は残せそうだから別にいいや、という気分なんですが。
それでもまあ、同人というか個人というか、アマチュアとか素人とか未熟者とか、言ってしまえば「下手の横好き」ってやつを肯定する言葉は考えていきたいなァとか思ってて。
文化としての成長を考える時、最先端を突っ走っていく、そのものの精度を上げるべく次々に更新していくことは一つの正義だと思うんだけど、それが「下手」とされる――言い換えると「最先端(ある種のムーヴメント)から外れた」――愛好家を排除するようなバイアスになるのは嫌だなァ……とか思うんですよね。
まあ自分がポイポイ自作しちゃあ使い捨てで遊んでて、そいつを否定されるのがイヤだなァっていう、極めて個人的な理由からなんですが(笑)
ゲームシステム作りなんてなその中でも特に排除のバイアス厳しいんじゃないかってのがあって。黎明期~90年代前半あたりの頃には、わりと気軽に皆が「自作システム」ってのをポイポイ作ってて、まあその実態は『ロードス島戦記コンパニオン』や『ソード・ワールドRPG』のクローンが大半だったり、独自、クローン問わずその完成度についても玉石混淆イロイロ有ったと思うんだけど、それでも皆、気軽にやってたと思うんですね。
それはまあ、当時のシステムが今のソレと比べて完成度が低い……というか「穴だらけ」で「ユーザ任せ」な部分が大きかったからだとも思うんだけど、それは個人/カジュアルレベルで消費されたり、あるいは実際に遊ばれないまま「作ること自体を楽しむ」っていう形で霧散していって。そうやって生み出された「自作システム」は、今やほとんど残ってなくて、作ってた人たちの中にも「黒歴史」として忘れたい人もいるかもしらん……けど、作ってる時とか、実際に遊んでみた時とか、それはそれで楽しかったんじゃなかろーかと思うのですね。
で、そういう「作る遊び」のための生産物って、ぶっちゃけ商業タイトルと「実用品」として対峙したら、そりゃまあ普通は負けるわ(笑)。誰もが最初からゼロから斬新なものを作れるはずもなく、大半がクローン系になるだろうし、それが飽きっぽい消費者と対峙し続けて「目新しさ」に価値をおいた商業タイトルと勝負しようってのはまあ、相当キツいもんがある。
そういう意味で、ゲームシステムの市場的価値を見たら、そりゃもちろん負けて当然なんだけど、 TRPG って「思い入れの遊び」って要素があると思うし、そういう意味では「作った人たちの中では楽しめる」みたいなモンだってあるわけで。そういうモンを訳知り顔でプギャーと嗤うのは、クラスタの雰囲気を閉鎖的にしちゃったり、可能性の芽を摘んじゃったりと、色んな意味で筋がよろしくない……と、思うわけ。
なんだろな。
こう、そうした未熟なものをただ非難するんじゃなくて、ブラッシュアップするためのガイドラインとか、作れるんじゃないかなァ? というのがあるのですね。
あくまでカジュアル向けに作られたゲームシステムは、大抵デザインした人が GM をつとめて、システム上の穴はその場で塞ぎながら遊んじゃうモンだと思うんだけど、そういう穴を塞いでいくためのガイドラインだとか、ルールテキスト化――要は「ブラッシュアップ」――のススメというか。そのための効果的なアプローチ――たとえば「フィードバックを得る方法」とか「ゲームシステムに反映する方法」とか――って、知見持ってる人いるんじゃないかしらん?
「市場がどーなってもいいや」と書いておきながらナンだけど、将来的にどうなるんだろう? てのは、ちょっと気になってて。
今、市場的には安定期に入って、戦略的にも堅実な手を打っていってるような感もあるんで、当面は劇的な変化ってのは訪れないだろうと思うんだけど。その感覚の中で、ちょっとした不安があるのですね。つまり――
若いデザイナー育つかな?
――という話。
居ないわけじゃない……というか今まで市場を支えてきた世代と同じくらいの人数は居ると思うんだけど、娯楽は(TRPGに限らず)全体的にこれからどんどん細分化、ニッチ化が進みそうだし、そうするとデザイナー1人が担当できる人数って減るんじゃなかろーかとも思うわけで。そうなると少しでもデザイナー、クリエイターの数増やしとかんことには、現状維持すら難しくなっちゃうんちゃうかな? という不安がね。
まあでも今朝 Twitter で流れた――
短歌の世界はまったくお金が回っていないけど、たぶん数万人ぐらいのコミュニティがあってその中で世界が回っている。文化って何だろうと考え直す時期に来てるのかも。/カネの回らないコンテンツは衰退する? – phaのニート日記 http://t.co/j864YWog
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) October 11, 2012
金の回らないコンテンツは、衰退すると言うか、「金をもらえなくても表現したい人だけが残る」わけで、それを衰退したと言うかは人それぞれだが、金の回るコンテンツとは大きく異なる様相を呈することは事実だな
— ultraviolet (@raurublock) October 12, 2012
一番大きく違ってくるのは淘汰圧のかかり方だなあ。金の回るコンテンツ業界だと「金を払ってもらえるコンテンツ」が生き残る。一方、金の回らないコンテンツ界では「金をもらえなくても表現を続けたがる人」が生き残る。つまり淘汰圧は、コンテンツではなく人の方にかかる。
— ultraviolet (@raurublock) October 12, 2012
――こういうことを考えると、あんまり考える必要もないのかも。
ある種の淘汰が行われて、ネガキャンするだけの人たちの視野からも消えていって、後に本当に遊びたい人だけが残る。そういうところに落ち着けるなら。