[anime] 2012/04/21 : Fate/zero

 これもまたエントロピーなのか。

Fate/Zero 第16話

 むーざんむーざん♪
 いや元ネタ知らんのだけど。
 悪逆非道な良回でした。

 しかし何だね。
 龍之介とキャスター(ジル・ド・レ)みたいなキャラの死に様があんなに幸せそうだったのに、騎士道を貫く好漢たるランサー(ディルムッド・オディナ)があのザマってのは何なんだろうかと考えちゃったワケですよ。

 「幸せになりたければ、人間をやめれば良い」なんて話もあるけどね。

 ディルムッド、凄い好きだった分だけあの死に様はちょっと哀れすぎて。
 だからといって怒るようなことでもなかったけども。

 それこそアレだ、『ヘルシング』の少佐の演説みたいなもんだ。
 裏切りも騙し討ちも、闘争の華。
 狂気の中に、もがき苦しんで無念なままに死にゆく戦士の慟哭もまた甘美。
 残酷な傍観者の視点ですな。

 ま、それはそれとして、この「酷いキャラが幸せになって、いいキャラが無残に死ぬ」ってのはアレですか、なんかしらの“まどマギ”的エントロピーでも働いてますか(笑)

 ケイネス先生も、実にいいキャラだった。
 ものすごく小物で、人間で、男で。

 魔術師殺しの切嗣さん、わかりやすい非道さだわ(笑)

ぐだぐだトーク

 ネットでの反応に「騎士道(笑)」ってのがあって、まあ現代の感覚だとそうなるのかなーと思いつつ、反面この種の倫理観が断絶していることの恐ろしさみたいなもんを感じたりもしてました。

 切嗣の語る主張は(自身の経験と照らし合わせても)正論だろうなと思うし、実のところ自分のゲームデザインが昔からそういう指向性を持っているもんで、容易にそれを非難することもできんのだけど、ただ「それは現代日本人だから言えることかもね」とも思うんですよね。
 騎士という戦士階級が何故発生したのか?
 彼らは何故、宗教勢力に属したのか?
 そういうことに思いを馳せると、その時代に生きた人間を非難するのは難しい。

 あんまり面倒くさい話題に触れたくはないんですが。

 生物が「生きよう」とするとき、しかし資源は有限であるなら、そこには否応無しの生存競争が発生する。
 死にたくないなら殺さなければならない。
 それでも生存競争が終わって平和(闘争の必要がない状況)が訪れた時、そこにはただ「殺した」という事実が残る。

 人間が何らかの互助関係を持った社会というものを構成する時、異なる能力の人間同士が共存を可能とするための倫理観というものがあるわけだけど、そこでは「殺人」というのはタブーなんですよね。
 そりゃ誰だって殺されたくはない。
 殺されたくないから「殺すことはいけないことだ」という倫理を共有して互いにそれを遵守する。

 ところが生存競争においては社会が一度崩壊するんで、その種の倫理についても条件付きの特例措置として見逃されたりします。
 でも社会が回復すれば当然倫理も回復する。
 で、悩む。

 悩んだ時に、ひとつの答えを与えてくれる体系があって、それによって過去の罪業が赦されるとするなら、人はそれに取り縋ります。
 楽になろうとする、という心の働きそのものを止めることは難しい。
 「赦し」という機能はとんでもない力があることは、宗教ってものの存在を考えれば、まあ少なくとも否定はできんでしょう。
 騎士道なんてのも、大義名分やら何やらの「赦し」を含んでいるわけで。

 「聖杯問答」によって浮き彫りにされた、古代と中世の「王」というものの違いなんかとも関係する話でもあるんだけど。
 そしてまあ、だからこそ古代の王たちは騎士王のそれを「呪い」と評したんだろうけど。

 でもアレなんですよね。
 現代日本ってのは、そうした「赦し」を必要とする社会ではない。
 少なくとも日本の社会の中で暮らすだけなら、人を殺して略奪する必要がない程度には豊かさを有している。
 だからこそ衛宮士郎みたいな人間も生まれるだろうし、だからこそ「呪い」を抱えた騎士王アルトリア・ペンドラゴンも、その「呪い」に対する本質的な「赦し」を得て StayNight の結末(のひとつ)に至れるわけで。
 だからこその「良かったね」でもある。

 でもまあ「聖杯戦争」っていうのは、ある種の遊興で。
 豊かさの上にある戦いであり、それは「生物がただ生きるための生存競争」という性質とは大きく異なっている。
 そもそも、どうもこの『Fate』世界の魔術師連中って飽食の王者っぽいんよね。
 生活から切り離されたセカイで生きているというか。
 そういう連中が闘争に「赦し」を与えて正当化することで、本来その必要のない悲しみや苦しみまで生産するってのは、やっぱり許しがたい。

 ……ということで「現代の人間」である衛宮切嗣が、「騎士道」なんて「赦し」によって、「聖杯戦争」なんていう遊興での殺し合い(あるいは彼らに象徴される、既に不要となっているはずの「赦し」)を肯定することはできないってのもまた正論で。
 だからまあ、両者の立場も認識も主張も分かるし、「騎士道(笑)」って物笑いの種にするのも好きにはなれない。

 ちょっと「おまかせ民主主義」の感覚とも絡んでくるんだけど、まあそれはいいか。

 「たかがアニメの話だろ」って言われたら、「そーですね」って応えるしか無いんだけど。