「TRPGで、なんで戦闘がオモシロイとされるのか?」って話は、ちょっと真面目に考えなきゃイカンかなーとか思ってて。
というのも自分があんまり戦闘ゲームが好きじゃないから。
好きじゃないから遠ざける……ってのはひとつの正常な反応だと思うんだけど、でも自分は好きじゃないけど、他の人が好きなものだったりすると、これはまあ簡単に遠ざけてオシマイには出来ないわけです。
特に自分、内輪で GM のなり手がいない時に呼び出される人間だし。
そうするとまあ、好きじゃなくても出来るに越したことはないのですな。
まあ限界はあるけどね。
更に言えば、そういう環境下で「戦闘の面白さを戦闘以外の部分で発揮できれば、戦闘好きのシェア奪えるんじゃね?」みたいな企みもあるわけです(笑)
そんな次第で考えた。なんで戦闘ゲームが面白いのか?
また逆に、ルールは戦闘ゲームに似てるのに「面白くない」とされるルールがあるのか?
よく戦闘ゲームの面白さのひとつとして「スリリング」ってのが揚げられるんだけど、これって何も単純なリソースのやり取りだけじゃないよなー、とか思うわけです。
他にもたとえば、そのプロセスにある判定系にも関係してるよなーとか。
で、まあ「まじめに考えなきゃ」と言いつつ、勢いで書いちゃったんだけどね。
時間の伸長とドキドキする心
スリリング。
言い換えると、ドキドキ。
この「ドキドキ」というのは、期待と不安がないまぜになったときに強く生まれます。
そしてそれを演出する方法のひとつが「結果を先送りにすること」です。『クイズ・ミリオネア』でみのもんたがやってたあのイヤラシい溜めとか、僕らの世代なら『ドラゴンボール』で悟空はいつになったらナメック星に着くんだよ! とか。テレビ番組でやたらと CM で引っ張るのも同じテクニックで。
……まあその『ドラゴンボール』やテレビの「CMの後で!」も、あまりに多用されすぎたせいで、今度は「あんまり長々と引っ張りすぎると緊張の糸が切れてギャグになってしまう」ということも、僕らは知っているわけですが。
これをまあ、「ストレスとカタルシス」で考えるなら「ドキドキ」というのはストレスをかけられてる時間ですね。んでその結果が分かって「!」となるのがカタルシス。
「緊張の糸が切れてギャグになる」というのは、過剰なストレスに対する反応の一つでしょう。ストレスに耐え切れなくなって、ドキドキする心、期待感が破断する。これが何度か繰り返されることで「予防的に先を予測しておいて、受けるストレスを最小限にしたり無視したりする」ようになったりもします。(そして賢しらにメタな読みを披瀝して「熱くなるのカッコワルイ」って斜に構えたりする)
ただまあ程よいストレスは適度な緊張感や期待感を生んで、ドキドキと高揚する心地よさの元になったりもするので、これ最小限にしちゃうの勿体無いんですが。
で、この方法。
もうちょっと抽象的に言い換えると「時間の伸長――引き伸ばし」ってことになります。
1秒が同じ長さではない。
本来なら既に見えているはずの結果がまだ見えない。
映画『MATRIX』の代名詞みたいになってる、銃弾をエビ反って回避するあのシーンも、銃弾が射出されてから回避されるまでの時間がスローモーションによって伸長されています。
映像など単方向性の――鑑賞者の都合を斟酌せず送りつけられる――メディアの場合、時間の引き伸ばしは単に「スローモーションにする」という方法で行われます。このスローモーションという方法を言い換えると「時間あたりの解像度(=情報量)を上げる」ということです。同じ「1日」であっても、その中にある風景をどれだけ細密に描き出すかで、鑑賞し、消化するためにかかる時間が変わります。
これは活字などでも同じことになります。
TRPGにおける時間の伸長技術
この手の表現について TRPG ってあんまり上手く扱えてなかった部分があって。
特に TRPG を「ストーリーシナリオを記述する遊び」としてみたとき、それは基本、ゲームマスターの裁量とか演出とかに頼っていた部分が大きかったわけです。*1[ゲームマスターの裁量とか演出とかに頼っていた] = この辺についてはTRPGの普及活動に使われたコンテンツが、そうした「シチュエーションに意味/価値を持たせる」表現手法に強いモノだったんで、そっちに引っ張られて収斂進化したんじゃないか? などと考えているが、今回はパス。
とにかくシナリオやゲーム状況を、物語上の「シーン」という意味/目的で分解しているために、時間や空間の概念がとても弱くなっちゃって、それらのパラメータ――たとえば「会話や移動にどれだけの時間を使ったのか?」といったこと――は、あまり厳密に管理されません。結果として時間/空間コントロールによる表現は、作為的であったり恣意的であったり、その辺は[ゲームデザイン]の下で管理する領分になってるんですよね。
ヒーローはピンチに駆けつける。
近年――といっても結構経ってますが――これに風穴を空けたのが、『ガンドッグ』の TRS あたりから立て続けに搭載された、累積判定系のルール。
もっともこうしたルールにしても、汎用性を上げた「技能チャレンジ」や「フォーカスシステム」等は、その汎用性の高さが逆に焦点をブレさせることになっちゃって、基準となるガイドラインをしっかり把握できてないゲームマスターの手にかかると、ボンヤリとダイス転がすだけの遊びになっちゃったりするので注意が必要なんですが。*2[注意が必要] = 逆に、上手いゲームマスター/シナリオデザイナーの手にかかると、えらく面白いゲームにもなるので、今後はこの辺の累積や洗練化に注力するのも面白そう。
とにかくこうしたルールによって、ゲームマスターという演出家の胸三寸になっていた「ドキドキ感」の演出、時間の伸長テクニックが、ゲームとしてセッションの中に取り入れられるようになった……と考えています。
面白さが戦闘に集約される理由……のひとつ
で。
冒頭にも書いてるとおり、この話は戦闘ルールの話なわけで。
この「時間の伸長」と「判定の組み合わせ」を上手く行なっているのが、戦闘ルールなんじゃないか?
……と思うわけです。
フローチャート作っていくと分かりやすいんですが……面倒なんで簡単な箇条書きで。
- 判定が失敗すると、そこでストレスが抜ける。(通常の時間速度に戻る)
- 判定が成功すると、ストレスを溜め込んだまま次のステップに進む。(時間が引き伸ばされる)
- 目的が達成されると、ストレスがカタルシスに昇華される。(通常の時間速度に戻る)
判定が失敗するってのは、その段階でもう結果は見えてるわけですね。だからさっさと終わらせる。
判定が成功した時だけ、その結果が「まだ分からない」という状況が維持されるので、次の判定に進める。
そうしてごく短期的な「乱数の結果」、中期的な「行動の成功」、長期的な「リソースの奪い合い」といった時間の伸長モデルを組み合わせたのが戦闘ゲームの基本形になっている。
その辺が戦闘ゲームが面白い理由のひとつかなー?
とか考えた次第。
あとまあ余談だけど、戦闘が長引くことでダレたりするのも、「単純作業になるから」というより、このドキドキのストレス過多が原因かなー? とか。
いつもどおり、終わってみれば「当たり前じゃん」って言われそうな話。
毎度のことながら、なんで自分の嫌いなモンについてばっかり、結果として擁護するような話を書いてるんだろう?(笑)