これ見て「RPFってなんじゃろな?」って思ったわけね。
んでまあ、ちょっくら考えた。
途中までブログ用に書いてたんだけど、何からかにまで思いついたこと片っ端から書いてたら 7,000字あたりでめんどくさくなったんで、それは捨てて、ざっくり Tweet しようと思って書きなおした。
でも案の定というか、まとめても 8連投することになっちゃうんで、やっぱしブログに書いた次第。
テキストは Tweet 用のフォーマットだから、だいぶぶっきらぼうだし乱雑だけどね。
- 大枠でいくと、まず SLG → (T)RPG の系譜があって、そのゲームの中に曖昧なまま取り込まれた「物語を作る遊び」の定義がある。
この物語は早い段階から分化していて、でも整理されないまま今日まで来た。 - んでその物語記述は、リプレイの書式によって形成された「演技」と、ノベライズの書式によって形成された「戯曲」があって、二つの路線が洗練を重ねながら、ゲームとしてはリプレイ側に寄せられていく。
これはプロのスタンスやらビジネススタイルとも関係してくる。 - ところが TRPG の演技はモノマネ芸としてのメタ遊びの性質と、記憶と体験の共有によるコミュニティ生成の楽しみがあって、リプレイもそうした性質が多少なりと存在する。
これは戯曲的な物語としてはメタに振れてしまって独自性が弱い。 - 『ロードス島戦記』の頃は、そうしたメタな読み方をする読者が少なかった。
故に世界に強く没入出来た、と言うことも可能ではないかと思う。
それはプレイヤーを匿名としたこと、個性を薄めたリプレイテキストの書き方なども、無関係ではない……かもしれない。 - そこで専用のゲームシステムを作成し、それをワンオフにすることで、ゲームシステムから逆算する「メタな読み方」を切り離し、更に内容自体もより戯曲性を強めた「物語を作る遊び」の形成を狙う、というアプローチが考えられる。
- そう考えた時、まず「メタな読み方をする消費者が増えた」という時世の違いが、一体どのように影響するのかを考える必要がある。
要するに『ロードス島戦記』の下に二匹目のドジョウは居ないと僕は思っている。
そのとき参加プレイヤーを公開したことが、どう生きてくるのか。 - この考えの路線でいくと、RPF は「リプレイとノベライズの幸福な結婚」ということになるのかな、という気もする。
最近また目にするようになった「TRPGを創作用の考具にする」って流れとも関係するのかもしれない。
この辺はまあ、願望(笑) - 何にせよ『レッドドラゴン』の企画は初志貫徹して欲しいし、旧来のRPGユーザが滅多矢鱈に横槍やら茶々やら入れて、流れを歪めないでくれたらいいなぁ、とか思ってる。
こんな感じ。