ザ・インタビューズの方に書いたんだけどさ。
正直「なげぇよ」って話で。
なんでまあ、とりあえずこっちに載せときます。
あっちは近日中に、短縮版にしよう。
ページの内容
「思いの丈」って言ってもね
「GURPS妖魔夜行」ってことだから、TRPGの方ですな。
じゃあ小説版の話は横に置いて……
「思いの丈を語る」っても色々あるんだけど、ま、評価の話からいこうか。
【設定の勝利】
なんといってもこのゲーム、設定の勝利ってのが一番大きい。
『〈想い〉の結晶が〈妖怪〉を生む』なんてね。こんな魅力的な話がありましょうか! ってなもんで。
メタレベルでこれ、(T)RPG そのもののモデルでもあるわけ。
(T)RPG のキャラクターって基本「こんなやつがいたらいいな。なりたいな」って〈想い〉の結晶だから。
それに〈想い〉ってフレーズのお陰で、拡張性も恐ろしく高かった。(GURPS のシステムともマッチしてたし)
加えて〈妖怪〉って言葉の胡乱さも良かった。
〈妖怪〉って、多くの人が実はよくわかってないんだよね。
たぶん水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』のイメージなの。
で、まあそのイメージから外れた、新しい妖怪のイメージを、とか確かそんな話が小説版のあとがきかなんかにあったと思うんだけど、たぶんそれは半分くらいしかクリアされてないのね。そもそも水木しげる版の妖怪イメージすら、ちゃんと把握されてないから(笑)
それはともかくとしても、これが「超能力者」とか「魔法使い」とか「異能者」とか、あるいは「妖精」「精霊」「怪物」「魔族」みたいな、その種のワードだったらあそこまで魔女の鍋の底みたいなコトにはならなかった。たぶん対抗できるのは「宇宙人」くらい(笑)
そういう意味でも〈妖怪〉って言葉を選んだのは、ものすごい秀逸だった。
【日本における GURPS 普及の片輪】
GURPS 普及のプロセスとして、剣と魔法のファンタジーでありながら「GURPSらしさ」を打ち出した『ガープス・ルナル』に続いて、満を持しての登場となったのが『ガープス・妖魔夜行』ですよ。
ゲームシステムとしての評価は、この両者を省いて語ることはできんのですね。
なんでかっちゅーと、『ガープス・妖魔夜行』と『ガープス・ルナル』は並走して発展していったから。
相補関係にあるタイトルなのね、これって。
特に『ガープス・ルナル』の〈悪魔〉たちは、『ガープス・妖魔夜行』が無かったら自作できなかった。黒の月の眷属だって、追加データを担保するサプリメントが無い状態じゃあ単なる「俺TUEEEEE」でしかなかった。
(いや『ガープス・妖魔夜行』出た後でもやっぱり酷いデータもあったんだけど。何「体力を2倍にする」って? CP 安すぎるでしょ……ってか GURPS のコアルール「CPの平等」から外れてんですけど。この辺の雑な運用が、後に不信と独立を招くことになるんだけど、まあそれは『ガープス・妖魔夜行』には直接関係しなかったから置いとこう。後続タイトルには関係するんだけど)
閑話休題。
逆に『ガープス・ルナル』で多彩な種族を見せられてなかったら、『ガープス・妖魔夜行』を駆使してあそこまで〈妖怪〉を大量生産することも出来なかったと思う。
『ガープス・妖魔夜行』のやってることって、『ガープス・ルナル』の種族パック(4eでは種族テンプレート)を自作する作業なんよね。で、これって『ガープス・ルナル』やってると誰もが一度は考えることなわけ。
異種族やってると「この特徴要らねェ!」ってのがあって、そこでカスタマイズ欲が湧くんだけど、『ガープス・ルナル』ではその辺のルール整備が行われてなかった。だから相当数のユーザが「種族の自作」ってのを、たぶん一度は考えたんよね。「俺ならこうするのに」みたいな。
で、それが『ガープス・妖魔夜行』で解禁されたってのがね、あって。これが快感だった。
(ノリで水木先生の妖怪図鑑の妖怪、片っ端からデータ化したりしちゃったもんなァ。あれだけで 100や 200は作ってるはずだ(笑))
この「別世界のサプリメントを使う」ってのが GURPS の武器の一つで。それによってクロスワールドの遊びが容易になるわけね。
この理念が普及することで、後のテック系サプリメント(サイバーパンク、サイオニクス等)が受け入れやすくなっていったって経緯もあって。この壮大な「GURPS のインストラクション」プロセスは大いに評価に値するっちゅーか、その恩恵に預かりまくって今の自分があるわけです。
【ゲームシステムとしての評価/1】
さて、じゃあゲームとしてどうだったかというと?
前に「『ガープス・妖魔夜行』は戦闘の派手さを売りにしながら GURPS の戦闘の醍醐味を潰しちゃってて大味になっちゃった」って話を、書いたんだか喋ったんだかしてるんだけど、これについては今でも特に変わってなくて。
そもそも GURPS で戦闘の派手さをセールスポイントにしても、あんまり意味が無いって話もあります。緻密さが売りのシステムなんだから。
ただ、〈妖怪〉のスーパーパワーというか、たとえばコンクリートの壁ぶち破って現れるなんて演出を GURPS でやろうとすると、その裏付けが必要になるんだよね。それは構造物破壊のルールになるわけだけど、ここでコンクリートの壁をブチ破れるだけの破壊力をもたせると、当然すごいダメージレートになります。
だってコンクリートの壁、ちゃんとデータ化されててめっちゃ硬いし。
で、そのパワーで殴り合うことになるんで、結果として派手にならざるを得ない……という理由があったわけ。
そういう要素を「演出」とか「シナリオの都合」とかで済ませられないのが GURPS の愚直さで、それは遊びとしてマイナス要素でもあるんだけど、僕は好ましいものだと思ってんのね。
「ゲームだから」とか「遊びだから」とかいう言葉で、その時のセッションを安っぽいものにされてしまうのは大ッ嫌いなんで。
まあ僕自身がそういう愚直な所があるもんで(笑)
性に合ってるんだろうね。
……戦闘のことばっか書いちゃったけど、ゲームシステムの評価ったら戦闘だけじゃないんだよ! 他にも色々あるんだよ!
【ゲームシステムとしての評価/2】
『ガープス・妖魔夜行』ってのは、先行して小説版『妖魔夜行』シリーズが展開してたわけ。小説版の第2巻の発売日と『ガープス・妖魔夜行』の発売日が近くて、『ガープス・妖魔夜行』を買ってきてよと頼んだら小説版を買ってきてくれちゃった……なんてことがありました。確か『ガープス・妖魔夜行』が発売延期になってたんだよね、あんとき。
ま、それはいいとして。
この「小説が先行していた」ってのが、まあ『ガープス・妖魔夜行』を難しくした原因でもあり、奥深くした原因でもある。
エンドユーザは「原作モノ」として、小説の模倣をしようとするわけだ。
でもここで小説とゲームの齟齬が出るのね。
小説は「妖怪に翻弄される人間のドラマ」がメイン。
ところがゲームは当然ながら、「人間を助けるヒーロー」がメインになってる。
民話研究の「稀人伝説」ってのかな? あるコミュニティに、ふらりと現れた来訪者(稀人)が、問題を解決してまた去っていくっていう。この構造なのね。これは当時の (T)RPG シナリオの基本構造だったんだけど。
このズレってのが、『ガープス・妖魔夜行』の導入ハードルをちょっと上げちゃった。
結果として、そのハードルを解消できなかった人は、迂回してバトルゲーとして派手にサイコロを転がすか、素直に他のゲームシステムを遊ぶことになる。
今はさ、ラノベの再現ツール的にゲームシステムの研究が進んで、シナリオの定型化とか周辺ツールとかが開発されてるわけだけど、この当時はそういうモノは無かったのね。たぶんそれが無かった最後の世代なの。
むしろここでソレが無かった教訓が、今に生かされてるんじゃないかと思ったりもする。
まあ贔屓目ってやつなんだろうけどね。
小説版には触れないでって思ってたんだけど、ちょっとここで触れちゃおう。
【小説『妖魔夜行』の影響】
妖魔夜行のシリーズが再始動ってことになって、10年ぶりとかで沸いてるわけだけど。
その時のキャッチコピーに「多くのクリエイターに影響を与えたライトノベルの大傑作」ってのがあって、それでエエんかい!? と思ったことがある。キャッチコピーとしてね。
実際に影響を与えてるかどうかといえば、与えてると思う。
セカイ系って言われるジャンルの、一つの呼び水になったシリーズだと思うし。
この認識が正しいかどうかは知らんけど、少なくとも自分はそう思ってるって話。それに自分が角川スニーカーやら電撃文庫やらのコンテストに応募してた頃なんかは、モロに影響受けまくってたし(笑)
これも〈想い〉ってフレーズの強みだと思うんよね。
小説版は、上にも書いたとおり「妖怪に翻弄される人間」なんだけど、妖怪も人間も、とってもエゴイストです。それに正義の味方然としている主人公たちにしても、何で人間に迷惑をかける妖怪を退治するかっていったら「〈妖怪〉の存在を人間たちから隠すため」なのね。で、その理由も基本的には自己保身なわけ。
誰もが根っこはエゴイスト。
このエゴイストって部分と、〈想い〉が実現するって部分が、世界を都合よく観測して内向的、閉鎖的なベクトルを持つセカイ系につながっていった……とか思ってるわけ。
もちろん実際には色んな作品が既にあって、妖魔夜行が影響したとしてもそれは「後押しをした」くらいのモノかもしんないんだけどね。
【戦わない(T)RPG】
さっきも書いたけど、『ガープス・妖魔夜行』の戦闘ってのは大味で、派手ではあるけど面白みに欠けるわけ。
従来のデザイン感覚でいけば、(T)RPG って戦闘してナンボだったのね。まあこれはこれで偏見だって人もいると思うんだけど、少なくとも大多数のゲームシステムは「戦闘」っていうミニゲームのルールをトコトン整備して、それ以外の部分は「自由」の建前のもとにスカスカだったりした。
でも『ガープス・妖魔夜行』は、何度か遊ぶと戦闘はもう、飽きちゃうんだよね。それくらい戦闘の底が浅いゲームになっちゃってた。なんかもうコレは本当にどうしようもない。
そこで結果として「戦闘しなくても楽しめる (T)RPG」ってのが、朧げながらに姿を現した。
……まあね、以前から「戦わない(T)RPG」ってのは、あったんだ。
正確には「戦わない方がいい(T)RPG」で、戦闘を回避するために知恵を絞る遊び方をする。
ゲームシステムは戦闘のスリルを存分に楽しめるようにデザインされてはいるんだけど、ダイス目ひとつで簡単に PC が死んじゃったり、それに類する被害を受けちゃうようなバランス。そういうものによって、必然的に「戦いたくない」って方向にプレイングが進んで、「いかに戦わずに目的を達成するか」っていう遊び方が生まれた。
それでもまあ、昔のシステムってのは戦闘以外の要素がほんとスカスカで……いやコレは今でもあんまり変わらない気がするけど、とにかく「戦闘を除いたら何すりゃいいんだよ」って作りだった。
そこに『ガープス・妖魔夜行』が現れた。
戦闘は短調だけど、『GURPS POWER』系列の特殊な特徴を大量追加されたことで、戦闘以外の場面でもメチャクチャ多彩な行動力、そして〈想い〉を背負った〈妖怪〉という PC。
GURPS はキャラクターの精神的な特徴までデータ化してゲームに取り込んでいたし、小説版『妖魔夜行』は人間ドラマを扱っている。
もはや「PC を動かすだけで面白い」っていう怪物だったんよ。『ガープス・妖魔夜行』って。
それに加えて快作揃いの小説の威力。
往時の「角川スニーカー文庫(角川スニーカーG文庫)」の入手難度の低さ。
そして価格の安さ。
その全てが、この遊び方を後押ししてくれた。
お陰で『ガープス・妖魔夜行』以降の (T)RPG の遊び方が、ものすごく大きく変わった。
【背景世界の柔軟さ】
『ガープス・妖魔夜行』の背景世界は、基本的にはもちろん、現代日本。
でもこれ、変えられるんよね。
だって GURPS だし。
上にも『ガープス・ルナル』との相補関係って書いたけど、そのまま『ガープス・妖魔夜行』の PC が『ガープス・ルナル』の世界に現れたり、その逆をやったりってのも簡単にできた。
また「折角妖怪なんだから」ってことで、妖怪文化華やかなりし(?)江戸時代を舞台にしてみちゃったこともある。
もちろん『クトゥルフの呼び声』世界に紛れ込んで、ダンウィッチに化狐が現れたり、裏寂れた港町で〈深きもの〉どもと死闘を繰り広げたり、夢地球で猫の魔術師とレンの台地を目指しちゃったりもした。
それから、〈妖怪〉と言っても彼らは「伝奇」というより「超伝奇」の生物だったりする。なんせ外見に「名状しがたい」とか「絶対の美」とかがあったわけで。こりゃもうアレですよご主人! 「魔界都市〈新宿〉」の出番なわけですよ!
魔界都市〈新宿〉に限っては、普段はつまんない戦闘もえらいヒートアップする。実際には戦闘そのものよりも、その様子を菊地節全開で断定形やら体言止めやらで表現するのが面白かったんだけど(笑)
他にも色んな設定、色んな世界で遊びまくりました。
地元の民話を調べたりもしたし、修学旅行先でライブ RPG やったりもした。
もはや (T)RPG の枠組みを飛び出しちゃった感もあったけど、それくらいハマってた。
インターネットが広まっていった中、「ホームページ」を作ることが流行ってた時期に『ガープス・妖魔夜行』のサイト作ったりもしたしね。
【ここまでのまとめ】
――この遊び方が/評価が正しい。
――これが『ガープス・妖魔夜行』の姿だ。
そんなことは言わない。
でもそういう遊び方ができたことは事実だし、その懐の広さが僕の (T)RPG 観を塗り替えてくれたことも事実なんよ。
ちょっとね、正直「思いの丈を語ってくれ」って言われても、人に聞かせられるような話ってのは、こんな感じになっちゃうのね。
言葉にならない〈想い〉はそれこそ〈妖怪〉の一人も生みかねないくらいなんだけど。
この質問には、改めて追記するかも知れません。
とりあえず、今日のところはこのへんで。