タガが外れたなー、と思うことしきり。
いやァ、見事に解放されちゃった。
気分はとっても清々しい。
それが万人にとって必ずしも良いこととは、もちろん限らんのだけどね(笑)
ページの内容
ハンドアウト要らない。あんな呪いは要らない。
ハンドアウトがどれだけ共通認識の構築、ゲームのスムーズな展開に貢献しているのか? それについては以前「戯言。」の方で、フィルタリングの話で書きました。
ハンドアウトについての見解は、今も変わってません。
アレは実に優れた技術だ。
でも要らない。
少なくとも僕がゲームマスターを務める限り、あんなもん要らない。
『シノビガミ』の「使命/秘密」みたいなのだったら、ぜんぜん問題ないけどね。
ぶっちゃけ、「それによってトラブったって一向に構わない」と思ってます。
ゲームマスターやシナリオデザイナーに提示された目的を、ただ淡々と――あるいは煮えた台詞の一つも吐きながら――解決することだけを目的としたプレイヤーなんかに興味はないです。
どんなに格好いいセリフだろうが、まともに耳に入ってこない。
そんな薄っぺらな時間を過ごしたいとは思わんのです。
自動的に現れ、自動的に消える。ブギーポップのようなキャラクター
もう十年以上経ちますか。
『ブギーポップは笑わない』という小説が発売されました。カテゴリはライトノベル。
「セカイ系」という言葉が生まれるよりちょっと前で、後に「セカイ系」の端緒の一つと見なされるようになったタイトルです。
その(一応の)主役であるブギーポップ(“不気味な泡”の意)は、普段は一介の女子高生・宮下藤花として、自分がブギーポップであることすら知らずに生活しています。そして“世界の危機”や“世界の敵”と呼ばれるものが現れると、その者を狩るために現れ、目的を達するとまた、何も知らない宮下藤花としての生活に戻ります。
彼は自分を「自動的」と言います。
“世界の敵”が現れた、という条件が整った時、自動的に現れる存在。自分の意志で現れるわけではないんです。
作者の上遠野耕平は、ブギーポップを「変身ヒーロー」だとしています。
僕は現在の (T)RPG の主人公、ハンドアウトに従って生み出される PC たちは、このブギーポップと同じような存在に思えてならない。
偽りの記憶。偽りの正しさ。ゴーストハックされるプレイヤー
彼らの記憶や認識は、ただ敵を排除するという目的を達成するために用意された、擬似記憶に過ぎない。
『GHOST IN THE SHELL -攻殻機動隊-』にも、そんなキャラクターが登場してましたね。
他者からゴーストハックを受け、ダミー記憶を与えられた男が、犯罪に手を染める。
幸せな家庭を守るために。
離婚の危機を脱するために。
そんなものは、存在しないのに。
彼にとっては、それが正しいと信じていた。
それによって幸せになれると信じていた。
そして犯罪に手を染める。
でもそれは、最初から存在しないものだった。
まるでハンドアウトを与えられたプレイヤーのよう。
積み重ねられるものが欲しい。体験が。経験が。連続する意志が。
(T)RPG なんて、所詮は虚構じゃないか。
ハンドアウトが有ろうが無かろうが、PC の設定なんてただの言葉じゃないか。
そのとおり。
始まりはいつも虚構からです。
でも、遊びながら積み重ねていった体験は、経験は、本物でしょう。
それは連続することで価値を持つ。
遊び続けることで、初めて虚構は現実になる。
そうして初めて重みが表れる。手触りが生まれる。
想い続けた者だけが感じられる第六感。
もう一人の自分が、虚構が現実と交差する瞬間に立ち会える。
叙事詩に求めたもの。
もう一つの人生。
目的を教えて下さい。挑み戦う奇跡を見せて。好みが合わなきゃサヨウナラ。
(T)RPG やるとさ、僕はまず「目的を教えて」って言うわけ。
どんな下らんことでも良いんだけど、目的が欲しい。
PC の目的でもいいし、プレイヤーの目的でもいい。
目的が全く無いってことは、無いと思うんだ。
言語化するのは大変かもしれないけど、必要なら協力するから、何で遊びたいのか探してみよう?
それが嚆矢になるものだから。
そういう遊びがね、したいんですよ。
重いよね。
疲れるね。
酔ってるね。
デンパだね。
それがどうした。知ったことか。
貴方は貴方の好きなように遊べばいい。
僕は僕が好きなように遊ぶだけです。
合わない好みを無理に合わせて遊ぶ必要なんて、どこにもない。
だからもう、ただ「おはなし」をなぞるだけのものは、僕には要らんのです。
……あースッキリした(笑)