[note] “Culture”って文化だけじゃないけど?

 こっち来てからネット環境が恐ろしく劣悪なので、ぶっちゃけ一方的に投稿してるだけだったりします。
 お陰で今までのがちゃんとアップされてるのかとか、コメント付いてるのかとか、サッパリ分かんないのですよねー。
 文字化けの嵐とかだったらどうしよう……(汗)
 気付いたスタッフは当該記事を、一旦クローズドにしといてください(笑)

 まあそれはさておいて。

 やりあってる間はものすごい面白かったんだけど、さて、これまとめられるのかな?
 今日は “Culture” まわりを……あんまりまとめる気はなかったりする(笑)
 思いついた順に書き散らかします。

“Culture” という単語から

 面白いのは “Culture” って、日本語だとついつい「文化」って訳したくなるんだけど、英語では「教養」も同じく “Culture” となること。

“bee culture”

 ついでに「耕作/栽培/飼育/養殖」なんてのも “Culture” です。
 だからたとえば “bee culture” ってのは「蜂の文化」じゃなくて「養蜂」になったりするんだけど、じゃあそれがどうしてそうなるか? というと、「養蜂ってのは蜂に関する教養の実践だからだ」なんて説明された。言い換えると、説明した彼は「耕作/栽培/飼育/養殖」を「教養の実践」と見なしてるわけで、これもちょっと「教養とはなんぞや?」なんて考える上で面白いサンプル。

 念のため、辞書を引いた限りでは、”bee culture” については “Culture” 自体がラテン語の熟語 “cult-” + “colere” を元にした単語で、意味としては「耕作」の方が先にあったらしいんで、彼の説明は学術的に見たらば間違いになるっぽい。
 だけどまあ、そういう――耕作=教養の実践という――説明がある程度の説得力を持って出てくるくらいには、言葉としてのニュアンスの変遷というか、振れ幅を許容するだけの “Context―文脈” の蓄積があるように思えて、それはそれで面白いし、ひとつの正解としちゃって良いんじゃないかって気がしないでもない。
 面白いし。

ドヤ顔のギリシャ彫刻(笑)

 ”bee culture” のニュアンスの変遷に近いところで……近くないか? またちょっと違うんだけど、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの言葉に「弓にはビオスという名があるが、成し遂げることは死である」なんてのがある。(前にどっかで紹介したような気もするけどまあいいか)
 これはヘラクレイトスが、アクセントは違うけど音は同じ「ビオス」 “βίος―死 / βιός―弓” って単語に気付いて、ちょっと深そうなことを上手いこと言ってみた*1[ビオスの意味~上手いこと言ってみた] = 私はこのネタを思い出すたび、脳裏にドヤ顔をしているギリシャ彫刻のイメージが浮かぶ。って感じなんだけど、そういう思いつき、意味付けから新しい意味が生まれることって珍しくなかったり。

与太話(笑)

 一般的には「言葉遊び」か「揚げ足取り」か、くらいの話だけど。
 ”Culture” が「文化」であり「教養」であるとしても、「教育」がそれを教えてくれるのかどうかっていうと、そうとは限らないらしいとか、そんな話もしてて。
 たとえば哲学者ウィル・デュラント(Will durant)は

「Education is the transmission of civilization.」

 と言ったのであって、

「Education is the transmission of culture.」

 ではなかったよ、とか。

 そういや “Education” の原義って「能力を引き出す」であって「教える」とか「育てる」とかでは無いとか聞いたような気もするし、そういう意味では “Civilization―文明” と “Culture―文化” の違いなんてのも、なんかこう単にスケーラブルなものだけじゃなしに、色々と見えてきそうな気も。
 ただの気のせいとか屁理屈とか言われりゃ、それまでなんだけどね。

「あるデータベースを共有する集合=文化」ってこと?

 こうした意味の追加は、初めに名文句や定型文として広がっていって、認知されたところ(範囲)で機能するようになる。
 まあ言語そのものが、既にして音や文字といった「記号」と、記号に与えられた標準的な「意味群」、それを配列することで指向性を形成する「文法」、そしてその中から更に意図を絞り込むために読まれる「文脈」……なんて構造で形成されてて、それは認知された範囲内でしか通用しない「社会技能」だって話もあるんだけど。
 そうして共有される知識同士をハイパーリンクでつないだデータベースが教養であり、そうした教養を共有する概念的社会を〔文化〕と呼ぶ……らしい。

呪いは続くよ何時までも

 こういう話について考えてると、ついつい恩師のノートにあった「”Role-Playing” is a technology for building a culture of creativity.」ってのはつまり「ロールプレイング(ゲーム)は創造性のある〔文化〕を構築する技術である」って把握だけじゃ足りないんだろうなー……なんて考えちゃう。
 やっぱり恩師の呪いに取り憑かれちゃってるからなんだろうけども。

 ……そう言われると「そりゃまあ何となく分からないでもないけどさ」っていうことなんだけど、そのとき「教養」として機能する “common knowledge” が何なのかというと、それが思想や文脈ってことなんだと。

書くかどうかも分からない次回予告+

 ああ、別に思想だの文脈だのっていうと難しそうだけど、そうでもないんよ、これが。
 なんでかっちゅーと、その辺の話につながってくるキーワードは “wittily jokes” なんですな。
 どーも日本語としてニュアンスを伝えにくい、「ウィットの利いたジョーク」ってやつ。

 ……でもこれからもうちょっとお仕事なので、今日はここまでー。
 「マジ寒いけど、これ、仕事なのよ」
 とかそんな感じ(何)

References

References
1 [ビオスの意味~上手いこと言ってみた] = 私はこのネタを思い出すたび、脳裏にドヤ顔をしているギリシャ彫刻のイメージが浮かぶ。