[diary] バスの運転手さんが

 ちょっと驚いたというか、別に驚くような話でも無い気がするんだけど。
 歩くの疲れたんで、バスに乗ったところ、そのバスの運転手さんの声が異様にクリアだった。
 見事な有声音発声。
 それだけでなんか幸せな気分に。
 そこら辺に居そうな普通のオッチャンなのに(笑)

 人間、疲れると滑舌が悪くなります。
 あと疲れないように省力しても、普通はまあ滑舌悪くなります。
 たまに大声過ぎて、滑舌悪いとか以前のこともありますが。
 高校野球の円陣みたいな(笑)

 バスやら電車やらのパイロットとか、市場のセリなんかでもそうですが、基本、声を出す商売の人ってそれがメインになってるごく一部の職制(アナウンサーとかナレーターとか)でもなかったら、まあ大概が省力化するんですよね。
 で、滑舌悪くなる。
 電車のアナウンスなんかも、あれ、慣れてないと聞き取りづらいことこの上ない発声の人とかけっこう居て、まあ「アナウンス=通常会話と異なる波形で認識しやすくする」っていうフォーマットからは外れてないんだけど、それにしたってブレス入りすぎじゃボケェ! とか思うようなアナウンスがある。
 そういう電車に乗り合わせると、なんかイヤ~な気分になったりするのです。アナウンスとして機能してないから。自分も滑舌悪い癖に(笑)

 で、まあそのアナウンスのフォーマットから外れる方法として、多くの人が「省力化」を選んでるわけです。そしてそれがフォーマットになったりする。
 一時期、車内アナウンス調のラップみたいな、なんかよくわからん楽曲が出てきたりもしてましたな。「わぁ~らび わぁ~らびです」とか、何気に昔ちょっと利用してた沿線のネタだったんで、好きだったんですが(笑)

 元々、ワンマンバスの規模だったら有声音発声でも生活音に混じることってないんですよね。マイクの音ってだけで違うし、水平に広がる会話音と違って斜め下に叩く音だから、ちゃんとノイズになるし。
 だけどまあ、バスって利用者の過半数が生活の足だし、そういう人にとってはバス停とか路線図とか自分が使ってる部分は分かってるから、まあ正直なところアナウンスなんて大してこだわらなくてもいい。そもそも次の停留所の名前はモニタに表示されたりするし。
 だから全然、そんなところで労力使う必要がないんだけど、そのオッチャンは「ちゃんと喋る」選択をした。というのがなんか凄く嬉しかったのです。

 もちろんそのオッチャンは、ただ単に日ごろから有声音発声をしてる人なのかもしらんのですが、なんかこう「ちゃんとやってんなー」って思えたので。

 ……って話を家族にしたら、

カミさん「わかるけどそれ、普通伝わんないから」
居候「もっと単純でいいのに」
長女「いっつも変なところ気にするよね」
長男「わかんねー」

 うん。まあそうだと思った(笑)