[memo] 日常回帰の呪文

 物書きなんぞしていると、生活の中で日常⇔非日常の往来が激しくなって錯覚を起こしがちなんですが。
 アシさん相手にやってるワークショップで「娯楽の構造」とか「魔法昔話の構造」なんて話をしてたら、ふとした拍子に「やっぱり『まんが日本むかしばなし』ってスゲェ」ということになって。
 いやまあ当然と言えば当然なんだけど改めてね。

日常⇔非日常のブリッジ

 『まんが日本むかしばなし』って、オープニングが子守唄で、エンディングが『人間っていいな』でしょう。
 あれって「オープニングで夢の世界(非日常)に落とし込んで、エンディングで現実世界(日常)に帰らせる」構造なんですね。
 オープン/エンドがそれぞれ日常と非日常のブリッジになってるわけです。
 オープン/エンドと本編の間に CM が入ることでこのブリッジが台無しにされるケースも多いんですが、帯番組と CM をセットで覚えちゃうってのは、何も音の反復効果だけでなくて、このオープン/エンドで作られる非日常パッケージに含まれちゃうからじゃないの? なんて話にもなったり。
 ま、それはともかく。

 最近のコンテンツのオープン/エンドって、あんまりそういう非日常パッケージを作らないんですね。だから日常との境界線をどこで引けば良いのかがイマイチよく分からないってケースが出て来るんじゃねーかと思ってます。
 その辺については、わりと「本の表紙」や「扉絵」といったモノ、それから雑誌全体のコンセプチュアルデザインってのにも関係することで、コンテンツは常に「日常からフェードをかけて非日常に落とし込み、一気に摂取させて最後に再び日常にフェードをかけて戻していく」って構造を考えておくと、ユーザはわりと素直にコンテンツを受け入れるようになるんじゃないかという。

 以前、深夜枠のコンテンツで「オープニングでガツンと目を覚まさせて、エンディングでさっさと寝ろと言う」なんてアホな試みをしたものがありますが、あれはコンテンツそのものを日常と非日常の狭間に置いて、メタに俯瞰しようとする視聴者自身を手玉に取ろうという底意地の悪いモノだったんで、まあアレでも良かったのかなとか思ったり思わなかったり(何)