ツーッ ツーッ ツーッ
うす暗い部屋の中、受話器から漏れるリピート。
留守番電話のLEDが、まるで片目の悪魔のように瞬いていた。
サイドデッキにもたれかかるシルエットは、今にも溶けてしまいそうなほど、はかない。
「朝だよ」「おはよう」カチャリ
毎日のように交わされた、朝の儀式。
「おやすみ」「おやすみ」カチャリ
毎日のように交わされた、夜の儀式。
それが途絶えたのは、新月の晩のことだった。
いつ見てもうす汚い都会の空が、その日ばかりは透き通っていたことは覚えている。
どうしようもなく寂しくて、小半時も悩んでから受話器をとったのに、不思議とボタンは押せなかった。
おかしな日だった。
きっとあの日、なにかが変わってしまったんだ。
家族で一緒に暮らしていたころ、お父さんに読み聞かせてもらった絵本があったのを思い出した。
『つきのうみ』という題の、古めかしいおとぎ話だった。
――月にも海はあります
きれいな月のその晩に 耳をすませてごらんなさい
さあさあと よせてはかえす海の音が
ほら 聞こえてきた
兎の尻尾は蟹にちょんぎられてしまったり、それで泣いた兎の涙が海水になって月に海ができたり、月の王子さまが兎を慰めたり、兎はうすと杵で蟹に仕返しをしたり、それはどこかで聞いたことがあるような、ごちゃ混ぜのおとぎ話だったけど、私はそれが大好きで、何度も読んでとせがんでいた。
懐かしい、やさしい記憶だった。
やっと電話が出来たのは、それから三日が経った夜のこと。
それなのに、受話器から聞こえてきた言葉はたった一言、
「さよなら」
見上げた空には、たよりなげな三日月がぽつりとあるばかり。
――きれいな月のその晩に 耳をすませてごらんなさい
楽しそうな笑い声 月の国から ほら