前に BRP-DDS のキャンペーンで「WWW の普及=善き人の勝利」って処理をしたんだけど。(その結果としてある契約が終わりを告げた)
あの辺についてちょっと解説しておこうかなーと今更ながらに考えて。
これは「助言」というものの価値について、理解してもらえないと厳しい。
ページの内容
[助言]の価値
古代から人間が重視してきた[力]のひとつに[経験]があります。
[経験]は、自らの体験や伝え聞いた情報を整理することによって[知恵]を生み、[知恵]を更に分析して確率や可能性に関する法則を導き出すことで[知識]となります。
必要に応じてこうしたもの――ここでは一括して[知]と呼びます――を他社に語ることを[助言]と呼ぶことにします。
生き残るために
さて。
古来、人類は「生き残る」という大目標の中に生きていました。
競合相手は気象や天災、野生動物、細菌、暴漢や政敵……と実にバラエティに富んではいますが、どういった敵であれ勝たなければなりません。
少なくとも負けは認められない。それは死に直結していますから。
で、このとき[助言]というものがどれだけ重要であるのか、ということは想像に難くないでしょう。
たとえば人々が大自然の中に生きていた頃には、部族の行く末を決める老人たちの[知]はとても重要なものでした。
また農業技術が広まって定住生活を始めれば、農業の[知]もまた重要になります。
暴力を背景とした権力機構が出来たとしても、その権力基盤を支えるための[知]はとても有用です。
人の子の道行は、数多の失敗と成功の積み重ね、そこから得た[知]によって漸進していく。
適者生存を遺伝子レベルでトライ&エラーしたものが「進化論」であるなら、[知]によって遺伝子のリデザインを行うのが「文明」とでも言ったらいいのかな?
だからまあ、[知]というのは生き残るための強力な[力]なわけです。
周りは敵だらけ
ところで周りは敵だらけです。
ここで言う「敵」というのは「人類/人間」のこと。生存競争を行う上で、特に資源の奪い合いが必要になる相手です。
資源に余裕のあるうちは協力できるけど、閾値を超えると敵になる。
たとえば食料や水に関する争いは、有史以前より飽くことなく繰り返されてきたワケで。
他にもさまざまな生活環境に関する必需品、そして嗜好品に至るまで、人の欲の限りに人は争います。
この辺が僕の[ゲーム]≒[デザイン(活動)]観の起点なんですが。
閑話休題。
隣人は時として敵になるのです。
汝の隣人を愛せよ
隣人は時として敵になる。
そんな関係の中で[助言]を与えるということは、敵を強くしてしまう行為に他なりません。
ですから[助言]を与える相手というのは慎重に選ばれることになります。
「味方として育てることが自分の強化に直結するような関係」であったり、「将来的に敵に回るかもしれないけど、現段階では[助言]するだけの価値がある関係」であったり、ですね。
[助言]ってのはまあ、言わば最小単位の「教育」ですんで。
[助言]というのは、[知]というのはタダではないのです。*1その[知]の有無は肩書と実績によって判断されてきた
しかし善き人はおっしゃった。「隣人を愛せよ」と。
[知]という力を惜しげも無く与えること。これもまたアガペーの一つであろうと。
雑多な[知]の集まるWWW
ここで WWW の特性について考えてみると。
[知]を惜しげも無くあけすけに展開してるんですよね。
分からんことがあったらググれば良いのです。
……まあ本当に大事な、「秘訣」と呼ぶべき[知]に出会えることは稀ですが。
こうした[知]を惜しげも無く分け与えている。
そうした[知]を求めれば与えられる。
[知]は等価である。求める[知]ごとに格の差は無く、求める人の格もまた問われない。
こうした環境が普及したことを「善き人の勝利」と扱ったわけです。
まあ実際には、技術的なアレコレの発展によって強化されてきてるワケで、今から考えるとあの段階で「勝利」と言ってしまって良かったのか? みたいな問いはありますけどね(笑)
References
↩1 | その[知]の有無は肩書と実績によって判断されてきた |
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