[memo] RPGとなりチャの昔話

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「なりきり」について「おしゃべり文化」と評されてたことについて、そういえば自分の見てきた変遷もそういうことだなあ、といったあたりについてちょろっと。
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***はじめに

自分はアレなのね。まず「歴史」とか「系譜」とか「変遷」とかいったものが好きです。それについてよく考えてしまいます。なんでかというと、それが常に何らかの欲求によって動いているから。「欲」や「需要」というのは大枠の中で「必然」によって生じるものだし、それは人間の「本性」というか、とにかく根源的なモノに関わってるモンだと思うのですね。

というわけで今回もまずはその変遷について、実体験に沿って「(T)RPGからなりチャへのフォークはこんな流れだったと思うよ」という話を書いてみます。あくまで個人の体験に基づいた話なんで、よりマクロに見た時「いやそれはごく小規模で限定的な領域で起こった事象に過ぎない」ということもあるでしょうが、生憎と当時はそうしたマクロな視点で観測するほどの行動力も好奇心も持っていなかったので、その辺についてはご容赦を。

あと、コンピュータ技術関連で「そんな説明でいいのか?」って記述については「ニュアンスが伝わりゃあいいだろう」ということで書いてます。いちいちCGIの構造とか説明すんの面倒なんで勘弁して下さい。

**通信回線と不可分な「なりチャ」

(T)RPGの側から「なりきりチャット」との遭遇について考える時、まずもって「インターネット」という環境の変遷について考える必要があるんじゃないか? というのはアレが「環境によって齎されたもの」だと思ってるので。

インターネットが本当に「普及した」と言えるようになるより遥か前、それはWindows95というOSの、今考えるとどう考えても「仕掛けられた」としか思えないような――当時WindowsOSが何か本当に劇的な代物であって、あの熱狂がその機能的性能的実態によって齎された……とは到底思えない――ヒットの後。更には「インターネット」という海のものとも山のものともつかないネットワークに実態を与えるべく、雨後の筍とのごとく「インターネットプロバイダ」なんて業種(?)が発生し、それは14.4Kbpsとか28.8Kbpsとかいう今から考えると信じられないくらい遅い通信回線によって人々をかろうじてつないでいた頃の話。

音響カプラとかでつながっていた、あるいはISDNが高速回線だった頃の話です。

今では信じられないかもしれませんが、当時はテキストチャットですら相当な時間が必要とされたのです。まあ回線や端末(PC)のスペックにもよりますが、回線が重いときは一度の発言につき2~3分くらいは見越しておく必要があったりします。Twitterとかやってると感覚が麻痺してしまいますが、当時はブラウザ上のCGIチャットでやりとりしたりしてまして、お互いが発言したかどうかを確認するにはその都度ブラウザページを「更新」する必要があったんですね。

つまり、自分の発言に相手が応えたかどうか? というのを確認するためにページを更新しなおす必要があったわけです。相手が応えたかどうかもわからないのに!((※ちなみに(T)RPGの界隈で昔から言われている「オンセ三倍則」とは、この時代には既に言われていました。それは「昔から言われていたのだから普遍的な真理だろう」ということではなく、こうした通信環境上の問題やテキストの入力慣れなどの問題によって生じたものであり、既に過去となった箴言だろうということです。))

こうした「ページの更新」を必要とするブラウザチャットは、後に環境が改善されることによって一定時間ごとに自動更新するタイプが普及し、また有志による専用チャットソフトも普及が進み、更には今や多くの人々にとって記憶の彼方にしか無いICQ((あの「カッコー♪」という音を思い出す人もいるでしょう。))や、各種インスタントメッセンジャー((Yahoo!メッセンジャーやWindowsMessanger、他にも色々ありました。))への移行などがあって姿を消していきました。

しかし「なりチャ」のスタイルがある程度の形となり、それなりに容易にアクセスできるようになったのは、実はこの「手動でページを更新しなければならないブラウザチャット」が全盛の時代だったように記憶しています。

***そもそもダイスボットが無かった

最初の最初は、「そもそもダイスボットが存在しなかった」という一点に尽きます。ランダマイザが無かったんで、(T)RPGのセッションを遊ぶってのがほとんど不可能だったわけですね。

これについてはBBSにダイスロールの機能を付けて、チャットでゲームを進めながら、ダイスロールだけBBSで振って結果をリンクで示す……といった方法でクリアしたりもしていましたが、やっぱり億劫だったので、この方法ではまだまだオンセの普及には力不足だったように思います。

また、IRCを使ったセッションは当時から行われていたようですが、こちらは操作方法やセッションが行われている場所などの情報が不足しており、まだまだ個人端末の少なかった時代ですから専用ソフトをインストールして云々といった手段は敷居が高かったりして、やはりユーザは少なかったようです。

そんなわけで、最初の最初は「ブラウザチャットで(T)RPGを遊ぼう」としても、それは「ダイスロールを使用しないセッション」ということで、いわゆる「なりチャ」に近い遊びだったりしました。しかしこれは「何をすれば良いのかよく分からない」といった問題や、「ただのごっこ遊びじゃん」と敬遠する人などがあって、まだ(T)RPGとなりチャとをちゃんと比較/区分できてなかったと思います。

※後者についてはtricken氏が【[[人間がキャラになりきる理由とは? trickenさんと「なりきり座談会」を開いてみた<後編>>http://news.netpoyo.jp/2013/06/691]]】で話していた――

>「カラオケで盛り上がるのと何が違うのさ?」って発言が飛び出してきたら、明確に「NO、なぜなら……」と返答するための理論構築ができてるホビイストが、けっこうな数で居ます。具体的にどう答えるかは、人それぞれなんですけど(笑)。

――こうした反応と同じようなモンです。

***オンラインセッションの手間

で、まあどうにかダイスボットが使えるチャットCGIが出てくるようになると、「オンラインでも普通に(オフラインと大差なく)(T)RPGが遊べる」みたいな雰囲気が出来てきて、その遊びは広がっていくわけですが……まあ流石に「オフラインと大差なく」というのは無理なんですな(笑)

(T)RPGセッションには相応の時間が必要となります。まあ現在は様々な技術革新によって高速化/短時間化が進んでいるわけですが、当時はそりゃあもう時間がかかった。

(T)RPGは言葉のキャッチボールにそれなりの精度を必要とする遊びです。これってテキストチャットとの相性で言うと、一長一短なんですね。

言外の――いわゆるノンバーバルランゲージによる――コミュニケーションが行えないことにより、情報は原則全て言語化する必要があります。そのため場合によっては確認作業に手間がかかる。これはマイナスです。

代わりにテキストチャットは(ログ保存機能にもよりますが)ちょっと前の発言を確認しなおす事が容易です。これは口頭での言った/言わないの水掛け論が予防できる点や、同じ台詞を何度も繰り返す必要がない点などからプラスでしょう。((他にもログがテキストで残るので成型してリプレイが作りやすいとか色々ありますが割愛します。))

で、このマイナスの要素。これが通信環境が悪かったことで、今よりずっと大きかった。「自分の認識の正確さについて確認する」という作業によるロスが大きかったわけですね。そしてそれに対するレスポンスも遅かった。結果「待つ」という時間が非常に長くなってしまうわけです。

また、この他にも「そもそもセッションが可能なチャットCGI自体の数が限られていた」といった事情もあります。そのため深夜帯(いわゆるテレホーダイ時間)になると、セッションに使えるチャットが埋まっていて遊べなかった……なんてこともあったんですね。あるいは待ち合わせの時間よりも早くログインして、全員揃うまで待っている、なんてのは頻繁に起こることです。そうした様々な形で「モニタの前でゲームプレイを待つ」必要がありました。

***雑談(おしゃべり)からの再発見

待ち時間が長い。そして周りには同好の士が揃っている。

そんな時、人は何をするでしょうか?

そう。雑談(おしゃべり)です。

かくしてセッション中、ゲームプレイ外での雑談が自然発生するようになりました。((これがまた初期のオンセ普及に一役買ってたような気もしますが、狭い範囲の話なので棚上げ。))そして当時、チャットは個々に異なる「場」としての認識があり、ローカルルールがありました。セッション用として使用されているチャット環境では、プレイヤー発言/雑談というのはあまり好意的には受け入れられるものではありません。そうした事情で、ゲームプレイの外で待ち時間潰しに小芝居やジョークが飛び交うようになった次第。

ゲームセッションが行えるようになったことで、「それ以外」としての線引きがしやすくなったんですね。ダイスボットが無かった頃と、やってることはさほど違わなかったりもするんですが、ゲームとの関係性を区分できるようになったことで、余技として認められるようになった……と言うか。

が、ここでもテキストチャットのマイナス面、伝達できる情報量の少なさが影響を及ぼします。

つまり「小芝居のキャッチボール」を成立させるために必要なコストは同じなんですね。

こうした要素と「顔が見えないから恥ずかしくない」といったオンセの特性が組み合わさって、小芝居は「キャッチボールが必要なものほどパターナイズしていく」といった傾向が生まれます。分かりやすいパターンほど返しやすいですからね。また同じように「分かりにくい小芝居には解説を添付する」といった形で「地の文」や「モノローグ」を使った――つまり演出要素の強い――ロールプレイが肯定的に受け入れられる素地が出来ていきました。

……というかね、面白いんだコレが。

オフラインセッションだと抵抗がある人でもやりやすいとか、セリフと地の文を当たり前に併記できる(行動理由を説明することを恥ずかしいと感じる人もいる)とか、タイムラグがあることで落ち着いて文を構築する時間ができるとか、色いろあるんだけど。

T2系でワールドシミュレーションを遊んでる人間にとっても、「ゲーム外の日常」が記述できるってのは面白いんですね。さらに言うならファンタジー小説と(T)RPGリプレイが、ブラウザチャット上で融和したりしたわけです。あれより更に昔、冬の時代以前の大ヒット作『ソード・ワールドRPG』を遊んでいた人たちと、『ロードス島戦記』や『スレイヤーズ!』あたりから広がっていたファンタジー系ライトノベルの読者層が、「発話≒コミュニケーション」ではなく「テキストチャット≒リレー創作」的な形で遭遇した……とか言ってみてもいいかもしれません。

***あるいは再発見?

キャッチボールにタイムラグがある、というのはリアルタイム(非同期)チャットだけでなく、BBSなどでも同じでした。チャットでは短文の往来になるため、掘り下げた丁寧な表現には限界があった。となるとBBSを使ったり、更にはメーリングリスト(ML)やメールマガジン(MM)を使ったりするわけです。当時MLは有料サービスだったところがほとんどなので、メーラーでCC/BCCを使ったり、あるいはMMで人力MLをやってたり。

当時は技術的にそういうモンだったわけですが、こうしたコミュニケーションってそれこそ「郵便ゲーム」の時代から――(T)RPG的なものに限定してもPBM/メイルゲームといった形で――ずっと昔から行われていたものでした。プラリア((プライベートリアクション))をやりとりしたり、同人誌を作ったり。

……考えてみると、こうしたやりとりってそれこそ『聖闘士星矢』とか『サムライトルーパー』とかで盛り上がっていたお姉さん方()の雰囲気にも似てるような気がします。流石に自分はその時代の貴腐人ムーブをリアルタイムに見ていたわけではありませんが。((中学校の美術教師が『ドラゴンボール』と『キャプテン翼』、あと何故か『ブレイクショット』の同人誌を作ってたのと、ゲームサークルの先輩の『天空戦記シュラト』コピー誌作りを手伝わされたくらい。))((ベジータが涙流した回の翌週は、延々とベジータの心情についての熱弁が行われて授業になりませんでした。なんで美術の時間に「登場人物の心情を考える」なんて課題になったのだ!?))

***独立/分離の流れ

で、セッションから切り離したところでも、そうした遊びが行われるようになったりする。

更には「セッションは難しいけどなりチャなら出来る」という人が主体的に分離する。

ゲームという枠組みの中では、自分のやりたいキャラクター表現ができない……という悩みを持ってた人もいて、そうした人たちは率先してゲームルールを要さない「なりチャ」的な遊び方をしてました。

あるいは通信環境が悪いこと、レスポンスがどうしても遅くなってしまうことから、いわゆる「コマンダー問題」的なアクションを起こしてしまうプレイヤーの存在、はたまたそうした遅いことに対して時間的制約から「早くしなくちゃ」と自分にストレスを掛けてしまい、苦手意識を抱えていたプレイヤー等もいました。

これはひとつのケースであって全てではありません。ともあれ、どんなケースであれ(T)RPGの側から「なりチャ」に軸足をシフトするプレイヤーが現れ、またそしたプレイヤーが自主的になりチャを遊ぶためのサイトを設置/運営するようになりました。こうした動きが加速したのって、確かGeocitiesの日本版が出て来るか来ないかの頃だったと思いますが、まあ僕の記憶は信用ならんので保証しません。

……ここまで書いた変遷は、必ずしも順次進んでいったものではありません。インターネット環境への参入にそもそものタイムラグがあり、テキストチャットによるオンラインセッションが行われている環境と、そこから離脱してなりきりチャットを創設し遊んでいた環境とは、同時に存在していました。実際、最初期はそれこそ「セッションはNIFTY-Serveで遊んでた」って人もまだそれなりにいましたし。

そもそも全体としての大きな流れといえるほど、インターネットという環境はひとつにまとまっていませんでした。Googleなんて影も形も無かったんです。ですからそもそも「そうした遊びがある」という情報へのアクセスが難しかった。まだまだ「口コミ」の力が必要とされた時代でした。

**島宇宙の連結と文明の衝突

そうした「口コミ」の時代から、より一般にアクセスしやすくなったことについては、検索エンジンの歴史についても考える必要があるんですが……あんまりやりすぎるとアレなんで止めておきます。ただこの頃の検索エンジンというのは登録型であり、その雄はYahoo!検索エンジンでした。現在のGoogleのようなロボット型検索エンジンというのは一般的では無かったんですね。

で、検索エンジンもそうした事情があって、趣味のサイトってのはなかなかアクセス出来なかったんですね。場合によっては仲間内で見つけたサイトのURLを直に教え合ったり、あるいは同じ趣味のサイト管理者同士が「相互リンク」なんて方法で互いの存在をアピールしたり……まあ今となっては「あったあった」か「えーめんどくさーい」といった反応しか無さそうですが、黎明期はそんなもんだったわけです。ちなみにサイト毎のバナー作るのが流行ったのもこの頃です。横200:縦40のバナーとか、もはや懐古趣味の次元になったのか……

そんな環境から、直にBBS(掲示板)CGIを利用した登録型のリンクができ、また「○○リング」なんて形で登録されたサイト同士を往来できるサービスが出来たりもしました。これによって、ひとまず同好の士が相互に往来する環境が出来たわけです。

……と、そこで衝突し表面化する「鳥取」と老害、様々なトラブルとマナーブックの明文化……なんて話がこの先あったりするわけですが、疲れたので投げっぱなしで終わる。

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