[diary] 終わる前にもう一度GTMを

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観に行って来ました[[『ゴティックメード』>http://gothicmade.com/]]。

「まだBDにならんのかの?」と思って調べたら、まだ上映してるじゃん! ということで、未見だった友人と連れ立って観てきたのでした。

現在まだ上映してる映画館は、[[角川シネマ新宿>http://www.kadokawa-cinema.jp/shinjuku/]]だけ……なのかな?

ちなみに角川シネマ新宿でも、今月22日(金)で上映終わるようなので、まだ見てないぞって方はお早めに!
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**やっぱ面白いわ

やっぱり面白いです『ゴティックメード』。

前の感想でも書いたとおり、表面的な物語はとても素朴で、ともすれば素っ気ないモノなんだけど、その分だけ登場人物の表現が多彩で、素っ気ない物語なのも「観客の処理メモリを人物描写に集中させるため」なんじゃないかなーと思ったりもします。

『ファイブスター物語』を読んでると、コンテクストの拡散っぷりは『攻殻機動隊』あたりの頃の士郎正宗ばりだったりするんですが、あれはマンガが「何度も繰り返して鑑賞すること」が容易な媒体であることと無関係でもなくて。

で、それを映画でやろうとした時、それがエンディングロール後の「アレ」なんじゃねーか? ということですね(笑)

永野護って人はどうも、作品観賞のための情報についてかなり意識的にコントロールしてる作家なんじゃないかなーと思ったりもして。一つの物語について多層的に読むことを、肯定するどころか自発的に多層化するし、それを支援するという。

……うん。まあ僕がそういうのが好きなだけじゃねえかとか、そうだったらいいなって願望じゃねえかって言われると、反論しきれないんだけどさ(笑)

ゲームの設計してる時とかも、「フレーバー=ゲームの本筋とは必ずしも関係が無いテクスト」を出すことは、その背景に広がりを感じさせることで芳醇な世界を幻視させるわけで、こういうのは現実としてそこら中に溢れてるんですね。でもそれによってゲームの本筋を見失われても困るんで、ちょいちょい本筋に帰るためのキーを打ち込んでおく。プレイヤーの意識リソース(メモリ)の占有率とモチベーションのコントロールなんてなRPGのコアなわけでして。

作品は作品として楽しんだ上で、一度目は「アニメーションという表現メディアの力」について、二度目は「表現における情報管制」について考えさせられた作品でした。

**一緒に観に行けて良かった

それはそれとして、アレだね。

やっぱこう、自分が好きな、好きだと言える作品を紹介して、実際に楽しんで喜んでもらえるの目の当たりにすると嬉しいもんだね。

自分も大概テンション上がってたけど、同行した友人がめっちゃ楽しんでくれたみたいで、今回はソレが一番嬉しかったスな♪
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