今回は内輪でガチで遊ぶ時に作ってる「ログブック」っちゅー代物について。
ああ『ギア・アンティーク』のアレみたいなもんだけど(笑)
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ログブックって何ぞ
自分は TRPG でガチの――それこそ1年じゃ終わらんような――長いキャンペーンを遊ぼうとすると、決まって「ログブック」ってのを作ってたのですね。
まあ最初は「キャンペーンブック」とかそんな名前だったんだけど、確かギーアン*1[ギーアン] = 『ギア・アンティーク』のこと。のルネサンスだっけ? あれのキャラクターシートに相当するモノがそういう名前だったんで、そこから「あーソレ良いなぁ」と思って模倣させてもらいました。
……ぱ、パクりちゃうぞ!?*2[notパクり] = 別に何も主張してないし。
まず最初にキャンペーンセットを作り込むわけだ
んで、まあ前にも書いたかも知んないけど、僕がキャンペーンやると基本的にそれは一つの独立したゲームになっちゃう。この辺は「キャンペーンと言えば世界観から作る」みたいな古くさい脳みそしてるからなんだろうけど。
ま、色々と理由はあるのです。
なんせ昔はオプションルールとかも少なくて、システムそのものが保証する表現力ってのが低かった。だからまあアレコレとハウスルール作ったり、運用をラクにするためのルール作ったりしてたのね。それから『GURPS』みたいな大型システムになると、今度はルールが多すぎて、ユーザによって扱い切れないこともあったりするんで、こっちはレギュレーションで簡易化を図ったりもして。
そういうのを参加者さんと、たとえば「どんなゲームを遊びたい?」とか「どんなキャラクターで遊びたい?」みたいな目的をキッカケとして、あれこれ話し合っていく。
なんせキャンペーンで扱う「世界観」ってな「世界設定」だけじゃない。「それがどういう動きをするのか?」とか「その結果どんな顛末がその世界で起こりうるのか?」とか、そういう「今の有り様」から「未来の姿」までを貫くものが「世界観」なんよ。
で、それを立証するのはルールとデータなの。
どんだけ口頭で「ほのぼのファンタジーで~」とか言っても、ルールがデッドリーだったらどーしようもないわ(笑)
だからまあ、どんなルール、どんなデータを使うのかってのを選んだり作ったりして世界観を構築する。結果としてキャンペーンごとに別のゲームシステムになっちゃったりするのが昔のキャンペーンだった……と思う。少なくとも自分のいたグループはそうだった。
いや今でもそうだわな。たとえば『アリアンロッドRPG』のサガシリーズなんかも、まず「戦争」とか「戦乱の大陸」っていう世界観があって、そのために戦争関連のルールを拡張してる。エンドユーザは市販のサプリメントを使うけど、リプレイはそれ以前だしね。
……長くなっちゃったけど、理由としては、そんな感じ。
そんな感じでアーダコーダやって、「まあこんなトコかな?」ってガイドラインが決まった段階で、一旦その辺の情報をまとめる必要がある。やんないと遊んでる間に「あれ、どんなルール使うんだっけ?」とか「あれは採用してるんだっけ?」とかってことになって混乱しちゃうから。だからその手のレギュレーションが決まった段階で、ルールやワールドデザイン、追加データ他と、セッション記録シート*3[セッション記録シート] = これは『ファー・ローズ・トゥ・ロード』を参考に。とか、キャラクターシートの束とかを一冊にまとめたノートを作るんですな。
これが内輪のログブック。
同人誌の扱いで、印刷・製本して参加者に売ってました(笑)
売ってたとな?
うん。
印刷代だけとかじゃなくて、ちゃんと技術料とか手数料みたいなモンを入れ込んだ金額になってました。
だから「売ってた」という表現になる。
んでまあ「なんでそんなコトしてたのか?」って話になって、その辺の事情について今日、昔からのゲーム仲間である Kei さんと話してたんだけどさ。
要するにそれが原始的な「ゲーマーとして可処分時間を金に変える方法」だったのね。
ある程度ゲーム仲間のうちに信頼されんと始まらんのだけど、「オーダーを受けてキャンペーンゲームをやりますよ」となったら、「ガッツリ遊べる環境を提供する代わりに運営費ちょーだい」って言うの。
専業ゲームマスターやってると、わりといけるんじゃないかな?(笑)
……まあでもコレもネックがあって。
第一に、金払った段階で参加者が「お客さん気分」になっちゃう。コレがまずい。
なのでこの辺は「どこの技術費なのか?」ってのを明確にしとく必要がある。
要するに「本を作る技術」だね。
ルールの精査やらテキスト作りやらテープ起こしやら編集やらの金だよと。
第二に、ぶっちゃけそんなに利益が出ない。
儲かんないです(笑)
この辺はアレだよね、同人 PBM と全く同じようなことになる。
大した金にならんところに、第一の問題というトラブル要因を持ち込むことが、果たして正しいのか?
結論としては、「こらアカン」ということになった(笑)
で、今はログブックに別の機能を与えてる。
こっちの運用では実に上手いこと機能してるんだけどね。
それが「環境維持」を目的としたログブック。
要するに「同人誌を作ること」の機能なんだけど。
実はここから先のテキストを、Twitter でツイートしようとしてた。
例によって連投になるから辞めたんだけど。
環境維持のためのログブック
結局、ログブックは収益モデルには使いにくいことが分かったんで、別の運用にシフトした。
それが「環境維持を目的とした運用」なんだけど。
このときログブックは、基本的には「思い出を複数の異なる形で記録するツール」になる。
思い出の記録メディアって色々あるわけね。たとえばフォトアルバム、名簿、文集、ビデオ、それに一緒に体験した人の話。他にも衣類、食品、音楽……色々ある。で、これを環境維持に用いる場合は、そうした記憶と人間の絆との関係性を利用する。まあディープなものを除けば、交友関係ってなそういうモンに担保され易いし、それに価値を認める程に絆も強化されやすい。んでまあログブック他のサービスは、反芻しながらイイ記憶の保存と補強を目的としてる。
大仰に言えば「イイ思い出を作るサービス」になる。
それが「イイ思い出」になれば、一旦離れても戻ろうって気になる可能性は高いし、戻れなかったとしても「昔こういう遊びをしてて面白かったんだよ」ってポジティブスピーカーとしてプラスに機能してくれるでしょ。それが結果として市場全体を支持するバイアスになるんじゃないかなっていうね。
まあ今でも普通に、結婚やら子育てやらで 7年ばかし疎遠だったゲーム仲間が、引越しの片付けで十年前のログブックが出てきたらしくて、「またやりたいねー」って連絡もらったり。
んで実際に今度やることになったり(笑)
TRPG 活動の中で「形にすること」を標準化して欲しい
まあ色々ゴチャゴチャと書いてきたけども。
技術として「形にする」っていうことは、やってほしいと思ってる。
それは色んな面でプラスに機能するから。
戯言の方でも書いたか、対談を文字起こししてもらったかで何度か出してる話題なんだけど、「自分が参加したセッションが何らかの娯楽コンテンツになる」っていうのは、製品のレベルがある程度のものであれば、十分サービス産業として成立すると思うわけ。
だいぶハードル高いけどね。
まず「参加者はセッション内容を知ってる」ということ。いかにも面白いコンテンツとして編集かけても、元のセッションの原型を留めてなかったら、「ツクリモノ」というか「コレジャナイ感」ってのがどうしても出ちゃう。
それから実際に「面白いコンテンツに編集する」っていう難しさ。ターゲットユーザが「参加者」に限定される分、商業作品と同じように編集してもダメなのね。内輪ネタとか時事ネタとか、ちょっとブラックな話題とかも入れ込んだモノになるかもしんない。たぶんそういうメソッドっていうのは、まだ属人技能以上のモノにはなってないと思う。
同人のリプレイ本とか作ってた人しか持ってないんじゃなかろうか?
でもね。これが「金になる」となったら、ちゃんと研究する人って出るんじゃねーかなーと思うわけ。
それがコンテンツのバリエーションを豊富にする可能性もあるし、そうすることで、もうちょっと周知しやすくなる部分もあるんじゃないかなーとか思ってる。
そして、そうしてコンテンツを発信する側の、要するにメディアを持った人間が増えたら、自然と「声」は大きくなるモンなんよ。
わざわざエライさんに働きかけて、声の大きい人に喋ってもらう必要もなくなるってか(何)