(T)RPG 話。
僕が GM をする時、毎度キャンペーンセットと駆動系(エンジン)を作ってる理由について。
それは「 GM が世界/舞台を扱うとき、それは PL が PC を扱う感覚によく似ている」っていう、直感的なところに根ざしたモンなんだけども。
Twitter で聞かれたんだけど、長くなったんでこっちに。
連投すんのヤだし。
ページの内容
長年放置された「世界資源の管理」
まあ前に「 GM が世界/舞台を扱うのって、 PL が PC を扱うのに似てる」って話をした時、「〈資源管理〉が無い」って指摘をされてるんだけど。
そうなんよね。
(T)RPG の GM ってデフォルトでは戦力に制限がない……「無限の戦力」を与えられた状態だから、そのままじゃ NG 。
(これが「何故そうなっているのか?」について考えるのも面白いんじゃないかと)
(けどまあ今回それは棚上げして「そうしない利点」について進めます)
GM が奉仕者のようになるのは、その辺もあるわけだ。
無限の戦力の中から、面白いゲームになるようシナリオ(レベル)デザインをしろと。
大人気ないことすんなと(笑)
でも逆に、そこんとこを指標化しちゃえれば――つまり〈資源管理〉を搭載すれば―― GM は奉仕者でなくなる。
それこそ『T&Tがよくわかる本』で清松みゆき氏が MR の基準を出してたのもソレ。*1[T&Tがよくわかる本] = 参考:『T&Tがよくわかる本』を久しぶりに読んだ
そう考えるとスゲー長い間、この辺の問題は棚上げされっぱなしだったよーな気もする。
一応、『D&D』の「脅威度」や各種ゲームシステムの「(モンスター|エネミー)レベル」みたいなのはあるんだけど、それも「指針」程度で上限設定やなんかは特に無かったりして。
でも『ハンターズ・ムーン』で打ち出されたみたいに、最初から〈資源管理〉搭載してガチでやりあうの可能なんよね。
サイコロフィクション・コンテスト当時にちょろっと出した話だけど、『ハンターズ・ムーン』って既存のイベント抽象化モデル*2[イベント抽象化モデル] = イベントの抽象化モデルは
などに見られる。の集大成というか、シナリオレベルまで拡大したモンだと思うんよね。
あのモデルを解読/翻案すれば、 XF*3[XF] = サイコロフィクションの略号。に旧来型のシステムを移植するのは難しくないと思う。
もっとも、今やるならテクスチャを丁寧に貼り直した『マギカロギア』をベースにした方がいいだろうけど。
まあ、そんな感じで「世界/舞台を PC っぽくする」ってのは、「〈資源管理〉を搭載する」ことで、それなりのレベルまで実現可能だと思うんよ。
んでまあ僕は GM が奉仕者であり続けるのはイヤだし、プレイヤーの努力に関わらず「最後は絶対勝てる」みたいなのもイヤなの。
もちろんソレだけが理由じゃないんだけど、そんな理由もあって毎度キャンペーンセット(世界≒キャラクターデータ)と駆動系(世界管理ルールシステム)を作ってる次第。
もちろんゼロから組んでるわけじゃなくて、指針になるベースシステムのキットが有って、それをキャンペーンで扱うシナリオ/ゲームの傾向に合わせて組立ててるんだけども。
余談:知的生命体を外的に生成する
で、これが何なのかっちゅーと、人工知能にちょっと似てるのかなーという。
いや門外漢なんで分からんのですが。
社会を擬人化する……擬人化する、というか、人と同じ視点で眺めるというか。
そうすると社会の成長モデルと、人間(個人)の成長モデルは、経験と反復、トライ&エラーといった点から近似になると思うんよ。
「だったら社会も人間と同じように記述したり運用したりできるんじゃね?」
ってのがまあ、そもそも「 GM にとっての世界/舞台はプレイヤーにとっての PC と同じじゃね?」って直感の根っこにあるわけ。
まあアレだ。シミュレーションゲームやってた人間にすれば「何を今更」って話でしょ?
たとえば『三国志』は、武将とコマンドを使って「国」を育てるゲームなわけで。
どういう風に育つのか?
それは他の国との関係性と、そこに介入する〈意思決定〉、それから実際の刺激によって決まっていく。
内輪で「GURPS ; Millennium」キャンペーン(通称:GA千年紀)を遊んでるメンツには「立法ゲーム」で分かるよね。
これ、えー…… Twitter で簡単に解説したんだけど。
そんときのツイートを引用すると……
立法ゲー≫GA千年紀で言うと、最初期はアレだ、村の「禁忌」づくりだった。ゲームシステム上、集落の規模が大きくなったり技術レベルが上がったりすると近郊の自然破壊イベントが発生するようになっててね。そういうのが発生しないように、後世に伝える知恵として禁忌のデータを作るの。
立法ゲー≫集落運営ゲームは、選択肢をドローカードの中から選ぶようなシステムなんだけど、その中に禁忌に抵触するカードがあったら、効果を修正されるようになるわけ。で、その禁忌の数は集落の「教育」パラで個数制限されてるから、厳選する必要がある、と。そんな遊びっす。
こんなゲーム。
ちなみに社会レベルが上がっていくと、この「禁忌」が「法律」になっていきます。
ゲーム内で普通に「法律家」とかやって遊んでる。
『逆転裁判』とか普通にシナリオのネタになるわけ(笑)
まず環境があって、それは放っておいても自動的に進行/変化していく。
そこに人間の意志を介入させて、どういう風に変化させるか? 環境変化をどうコントロールするか?
そうやって築き上げられていく社会は、生き物のように駆動する。
ソレが好きなわけ。僕は(笑)
ゲームが得意なこと
でね、こういう「放っておいても自動的に駆動する」モデルって、ゲームは得意なんよ。
ルールで記述すればいいから。
「ターン」とか「手番」とか発明した人、頭いいよね。
ほんとスゲェと思う。(この辺は魔術の話なんかともリンクするんだけど今回は棚上げ)
アナログゲームで社会研究やってた人たちがいたのも、むべなるかなでしょ?
上記の「立法ゲーム」なんかその系譜だわな。
『グローバル・ゲーミング&シミュレーション』の影響バリバリに受けてる(笑)
わはは。合理性と不条理のオーケストレーションですわ。
なんの影響を受けちゃった?
これを実現可能にしてくれたのが、キャラクターシミュレーションの雄『GURPS』ですわ。
あの網羅型システムは、社会モデルの構築に、とても都合がいい。
あとはセッションに放り投げれば、勝手に駆動してくれる。
「それらしく振る舞う」ことだけを考えればいい。
それに『Traveller』と『Shadowrun』と『TORG』のエッセンスを混ぜて……
アア、あと勿論『After the Holocaust』がなければ自分はここにはいませんな!
それから多くの SLG の存在。アナログもデジタルも別け隔てなく。
特に『三国志』はアホほど遊び倒したせいで、えらい影響を受けまくっとる(笑)
そんな感じで、とにかく色んなゲームの経験とシステム解析の悪癖とが混じり合って、こんなコトするようになっちゃった。
もう「てぃーあーるぴーじー」じゃなくなっちゃってるんでしょーな。
だがそれがいい(笑)
他人が提唱する遊び方なんか知ったこっちゃない(笑)
結局のところ……
結局のところ、僕は (T)RPG に「人間のエゴ」が見たいんよ。
小難しく言うと「知能と意思のある生物が、どうやって自我/自己を拡張するか」とか、そんな感じ?
それを観察したい。なるべく自分自身の手から離れた所で。
だからまあ、実際は「傍観」だわな。
でもまあゲームマスターって立場だと、無限の戦力を保有して、プレイヤーに奉仕する娯楽の提供者だと、都合が悪いんよ。
傍観するには、自分は極力干渉しない立場でありたい。
だからまあ、ひたすらシステムを運用する「レフリー」の立場が好きなわけ。
自分で組んだキャンペーンセットと駆動系に、自分で翻弄されるのが面白くてたまらない。
なんかちょっとアレだね、『HELLSING』の少佐的な感覚だね。
私は人間が好きだ(笑)