[movie] さや侍

 カンヅメ抜けてソッコーで見てきました『さや侍』
 半ばフラストレーションのはけ口というか、でもまあシネコン小さくて椅子のクッション柔らかすぎて、ちと腰痛めてしまいましたが。

 で、映画見終わって外出てケータイ見たら仕事のメールがえらいことになってて、今、急いで帰ってるところです。
 帰りの電車内で、スマホでテキスト作ってるところ。
 どーも帰ったらそのままカンヅメ一日延長になりそうなので、その辺の時間を取ることも出来なさそうだし。
 たぶんカンヅメ抜けた頃には書くこと忘れてるし。

さて今回はどうでしょうか?

 松本人志の映画、なんのかんの言ってこれまでの作品もひと通り見てきてます。
 これまでのは「テレビ抜けしてねーなー」って感じだったけど、さて今回はどうでしょうか、と。
 僕の感想としては

「わりとちゃんと映画になってた」

 ……と、まあそういう答えなんですが。
 先行して観ていた兄は

「松本人志、初の映画監督作品」

――と曰っておりました。
 皮肉半分、賞賛半分みたいな感じで。

 ちなみに自分は笑いのツボがズレこんでる人間なので、映画館でああいう映画を観るのは、実はちょっと大変なのです。
 お陰で「声を出さずに大笑い」する不気味なクセが身についてしまったりしたのでした..or2

 これ見る直前の仕事の打ち合わせで、職業人と創作哲学というか、ポリシーについてやりあった後だったんで、余計に。
 なにぶん半端者なので、スイッチの切り替えが上手く出来ないんですね。
 だから同行者にも「どういう見方してんの?」と呆れられたんですが。

役者

 しっかり保険をかけてきたな、といった配役。

 まずはベテラン。二枚目半の空気が作れる國村隼と、画面を引き締める声質の伊武雅刀。
 この二人が出演してくれなかったら、たぶんまたグダグダなもん作っちゃったんだろうなぁ、とか。

 最初はこの二人を連れてきた時点で「卑怯だ」と思ってたんだけどね。
 だって公式サイトの伊武雅刀のチョンマゲ頭、ちょっと笑いを取りにいってないか? と思うような宣材だったから。
 そしたら予想に反して、この二人をコミックリリーフにはしなかった。
 特に國村隼は、まったく笑いにタッチしなかった。
 通して至極シリアスな芝居に終始してて、その辺がこの作品が「映画だ」と思えた理由かもしんない。
 この人、もう少しだけ枯淡の色気が映える、大きい芝居をするようになったら、平幹二朗みたいな要石になりそうな気がする。

 それから野見勘十郎の娘・たえ役の子。熊田聖亜ね。超驚いた。
 他所のブログでも書かれてましたが、ちゃんと芝居の型ができてんの。
 あの歳であの型は、ちょっと先行きが不安だ……とか余計な心配をしちゃうくらい、しっかりした芝居。
 あの子が画面に出てる間は、ずーっと関節見てたし。
 この子もいなくても、やっぱりこの映画は成立してなかったよね、って。

 で、そこまでしっかり抑えたところで、働くおっさん・野見隆明。
 要するにこの人の魅力をどこまで引き出せるかが、この映画のキモ。
 だってそれ以外の部分、松ちゃんじゃなくても撮れるもん。
 で、見事に松ちゃんの映画だったね、っていう。
 それにしても、素人さんがよく緊張感を切らさず最後まで演れてた。すごかった。

 あと、板尾創路は例によって、柄本時生で好きなように遊んでました。
 りょう、ROLLY、腹筋善之介師匠はテキトーにひな壇で賑やかしやってました。
 そんな感じ。

本筋

 なんか北野武のカラーが混じってるような感じ。
 映画たくさん見てる人だと、もっと適切な表現が出来るんでしょうけど、やっぱりこう、なんか「お笑い畑出身の監督」として意識しちゃう部分があって、ついつい比較しちゃうんですね。
 で、比較しちゃった結果、しょっぱなで「なんか『ソナチネ』辺りのカラーかなァ」という感想に。
 笑いの間は、確かに松ちゃんのものなんだけど。(ほとんど『働くおっさん劇場』のノリ)

 とりあえず主人公・野見勘十郎の置かれた立場をザックリと説明するシーン。
 笑わせどころは、非常に分かりやすかったです。珍しく。
 ただまあ状況説明のためだから、芝居は別にどうでもいいやと言わんばかりで、もう画面が緩い緩い。
 ユルユル。
 正直「ガクセイの自主制作映画か」という。
 個人的には、なんか『さくらん』の緩みに近いものがあって、「このキャスト連れてきたの誰だァ!!」と、海原雄山のAAでも入れたい感じ。

 冒頭、導入部の最後については「コントか!」という画面がちょっとアレだった。
 面白いんだけどね。
 面白いんだけど、それはテレビの画面作りだよねっていう。
 その辺「テレビ抜けてないなー」という印象。

 その後の「三十日の行」は、わりと好き勝手にやってる感じ。いかにも松ちゃんらしい。
 ああ、でも別に『しんぼる』的な、解放されたときの松ちゃんらしさじゃなくて、どっちかというと「真面目にやってる松ちゃん」の方。
 キャラクターの即興的な滑稽芸だけでなし、ちゃんと構成と台本で笑いを取りにいってる。
 まあ「真面目にやるのが松ちゃんの魅力か?」と言うと、その辺は人それぞれいろんな意見があると思うんだけど、少なくともこれだけの人が関わって、観客は自分でカネを払い、なおかつ約2時間を劇場で拘束される……そういう作品に対するスタンスとしては、誠実と言っていいんじゃないかな。と、まあエラソーなことを考えたりもしました。
 だって『しんぼる』見たとき、どんな心境になったと思うさ?
 『大日本人』もそうだよ。
 「時間返せ」って思ったよ。マジで。

 で、えーと。
 後はどう書いてもネタバレになるから、ここでオシマイ。
 最後の最後のいっこ前、「ただ歩く」演出部分も、なんかちょっと北野武っぽいなー、という感じでした。
 最後ちょっとやっつけ感があって、あれもうちょっとどうにかならんかったかと思うんだけど、ああいう風な素材が並べられてる状態だと、もう「ああするしか無かったのかな」って気もします。そもそもそういう素材を揃えちゃったことに問題があった、といえばそういうことになると思うんだけど、撮影しながら刺激を受けて、構成や演出をブラッシュアップしていく場合、どうしてもそうなっちゃうことはあるわけで、仕方ないのかなー、という。

 ……そうだよ。
 こんだけグダグダ言ってんだから、不満だったんだよ。クライマックスの後。
 分かってくれ(苦笑)

といったところで、ホントにおしまい。

 そろそろ電車着くからね。
 まあ明日の(というか今日の)正午に予約投稿しときませう。
 ポチッとな。