[column] “愛着”によるキャンペーン運営

 プレイヤーのモチベーションの作り方について、僕はえらくレトロな手法を用いてるわけですが、それと現代的な単発セッションの手法とを比較したとき、なんでこんなに違うんだろう? とかウニャウニャ考えてて思いついた話。
 モチベーション管理のベースにしてるものが違うような気がするんですね。

“愛着”でモチベーション管理

 TRPG を遊ぶ上でのモチベーション管理というと、とにかく「キャラクターに“愛着”を持たせる」の一言に尽きるんじゃろうなァ、とか思ってて。
 これはまあ、基本的には各プレイヤーが管理する自分のゲームトークン= PC に対する愛着なんですが、時々 NPC に愛着を持ったり、ある社会機構にそれを感じる人とかもいて、重要なのは「“何に”愛着を持つか?」ということでは、必ずしもなかったりします。

 ……という話から、「いやそれはキャラクタープレイの作法だ。キャラクタープレイはロールプレイじゃない」的な意見をしてくれる人もいます。
 あまり意識はしてませんが、僕はたぶん実際的にはキャラクタープレイの人で、美々しいストーリーテリングとか、ウォーゲーム的なバトルにはあんまり興味がなかったりして。*1[美々しいストーリーテリング] = それっぽく偽装するのは、たとえば登場人物のポイント配置さえ心得ていれば大して難しくもないと考える。ゲームのプレイ時間に合わせて場面のポイントを管理し、その時点で登場している NPC に後天的に意味を与えるだけで、それらしい物語を作ることは可能だから。詳しくは「アドリブで物語っぽく演出する方法」参照。なんでまあ、とにかく“愛着を持つ/持ってもらう”ってことに執着してたりします。

その“愛着”って何よ?

 この愛着って何なのかと言うと、要するに“肯定的な想像”なんだと思うんですよ。
 肯定的な想像ってのは、言い換えるとたぶん「親バカ」って言われるヤツです(笑)
 赤ん坊がオモチャのピアノの鍵盤をデタラメに叩いて喜んでるだけで「この子にはきっと音楽の才能があるに違いない!」とか、どう見てもクレヨンをぐしゃぐしゃに塗ったくっただけの落書きに「この子はきっと天才画家になるぞ!」とか、どこをどう考えたらそうなるんだYO! とツッコミ必至の妄想力。
 それこそが愛着。
 そこに否定的な想像はありません(笑)

 ゲームに参加するとき、キャラクターに対してネガティブな未来像を持って参加する人って、たぶん滅多にいないと思うんですね。
 まあ TRPG を楽しく遊ぶためには「Win-Win」の構図が必要で、そのためにはゲームマスターは上手く負けなければならない……なんていう妙な不文律*2[妙な不文律] = ある伝説によれば、D&D が発生した時点でそうだった、という話も無くは無い。かつてウォーゲームで“上手く負ける”プレイヤーこそがゲームマスターの元祖だ、と言っていた大先輩がいた。がどこからともなく湧き上がって、それが定着することで結果論「負けないゲーム → ネガティブになる要因が無い」なんて見方も出来なくはないんですが。

 そういった現状を知らなくても、最初から目的の逆をいくことを願ってギャンブルをする人はいないように、「ゲームに参加する」ということは、たとえどれほど不安があっても、とりあえずポジティブなイメージを持ってプレイに望むもんだと思うわけです。*3[ポジティブなイメージを持ってプレイに参加する] = だからネガティブキャンペーンは毛嫌いされる。ネガティブイメージの強いゲームを、大多数の人々は遊びたいとは考えないから。

キャラクターに愛着を持つことの自然

 そうしたポジティブなイメージを、ゲームではなくキャラクターに持つってのはどういうことかというと……
 さっきの親バカの例じゃないですが、その子(キャラクター)に色んな可能性を見るってことは、「何かをさせたい」とか「どうなって欲しい」といった願望じゃないかと思うんですね。

 TRPG の実際のゲームは、ゲームマスターという技量の分からない航海士を伴って、シナリオという未知の海域へと漕ぎ出すわけです。シナリオにせよゲームマスターにせよ、プレイヤーの自由にはなりません。そうするとまあ、必ずしも未来へのポジティブなイメージというものが持てるとは限りません。
 シナリオの都合、ゲームマスターの恣意によって、未来は勝手に決定付けられてしまうかもしれない。俗に「一本道」と呼ばれるシナリオを、多くのプレイヤーが嫌うのは、こうした「未来の可能性を勝手に決められてしまうこと」への本能的な反発……という面も少なからずあると思うんですが。

 それに対してシナリオに参加する前のプレイヤーキャラクター(PC)というのは、(ゲームシステムの制限を除けば)基本的にプレイヤー個人だけが全てを決定付けることができます。その未来についても、未だ見ぬシナリオによって、プレイされることによって、理想の未来が得られるかもしれない。
 それらを叶えるチャンスに、実際に巡り合えるかは分かりません。が、とにかくキャラクターについて思いを巡らせている間は、その願望や妄想(笑)について「他人の介入をコントロールできる」という一点において、PC はプレイヤーに許された最後の不可侵領域ということになるんじゃないかと。

キャラクターに愛着を持つプロセス

 こうした PC に対する愛着、PC に何かしらの願望を抱くというのは、最初にキャラクターメイキングのプロセスで発生するんだろうなと。
 それからデータや背景設定の関連付け/意味付け、また出来あがったキャラクターのイメージや行動、ゲーム内容を脳内でシミュレーションすることで人物像が強化され、それについて形にすることでキャラクターの輪郭、姿形が出来上がっていく。

 そうした想像を補強し、また連想によるイメージの深化をフォローとして、世界設定が機能します。『ルーンクエスト』のグローランサ世界や『ウォーハンマー』のオールドワールドなどは、こうした世界設定によるキャラクターの深化の楽しさが一つの肝で、それによってキャラクターへの愛着をより深めていく傾向が強いように思います。
 ただ、これは同時に妄想(笑)に制限を加えていくことにもつながるため、人を選ぶのも事実です。

 よく「キャラクターを作っているときが一番楽しい」って話を聞きますが、それはこうした願望を育てて、色鮮やかな未来図を想像すること、それ自体が楽しいってことじゃないかと思うんですね。
 たとえばキャラクターの成長プランを考える、なんて具合に。

キャンペーン運営で愛着を深める

 僕が体得したモチベーション管理の方法というのは、こうして作られたキャラクターをゼロから育てるもので。

 白紙の状態からキャラクター像をイメージして、それからルールを読む、データを見る、キャラクターのイラストを描いてみる、サイドストーリーなんかも書いてみる、ゲームの話をする、実際にゲームを遊ぶ……など様々な場面でキャラクターのイメージを強化していき、独立したその人だけのキャラクターとして愛着を深めていく。
 そうすることでゲームへのモチベーションを維持し、高めていきます。
 ただ、これをやるには時間がかかるわけです。だから単発セッションでは向かない。なるべく同じキャラクターについて考えている時間を長く拡張しないといけない。だからキャンペーンゲームを中心に遊んでいるわけで。

 キャンペーンゲームでゲームマスターをするとき、最初にプレイヤーの要望を汲み上げてからシナリオを作るのも、要望を考えることでキャラクターの未来図を考えてもらったり、そうした願望を叶えるチャンスを作ることで、積極的にプレイに参加してもらいたいという意図があったりもします。
 いや、もちろん楽したいってのも本音ですが(笑)

愛着を持つことのリスク

 キャラクターに愛着を持つことは、ゲームを遊ぶ上ではモチベーションを高める点で大きなアドバンテージになります。
 しかし同時に、それがゲームを遊ぶ上で足枷になることもあります。
 一番大きな点では、ついつい保身に走ってしまうこと(笑)

 あまり笑い事でもないんですが、TRPG というゲームの多くが「戦闘」という、命の危険を孕んだギャンブルをシナリオの要件としてデザインされているところがあります。そのため PC は「リスクをとってリターンを得る」という行動原理が求められるわけですが、PC への愛着が強くなりすぎたプレイヤーは、往々にして「リスクを回避しよう」としてしまいます。
 すると、ゲームの要件が果たせなくなってしまうケースもありうる。
 特にゲームシステムが戦闘の駆け引き、ハイリスクハイリターンなアクションが最も楽しめるようなデザインのものだと、保守の傾向が強いプレイヤーというのは仲間の足を引っ張ってしまうケースもありえるわけです。
 子煩悩、親バカが行き過ぎてモンスターペアレンツになってしまうようなもんですね。

 これ、システムデザイナーとしては歓迎したくない事態でして。
 わざわざ頭を悩ませてピーキーなチューニングをして、苦労して興奮できるシステムをデザインしたのに、それがプレイスタイルによって潰されるというのは、正直あまり面白いことじゃあない。
 純粋にゲームをシステム面から楽しもうとした時、PC への愛着というのは足枷になってしまうことが少なからず有る、というのは前述のとおりです。

 だったらどうしたらいいか?

解*1 : あくまで“愛着”をベースにするなら

 その解として、僕は「プレイヤー自身にリスクを選ばせる → ネタを持ち込んでもらう」というアプローチを取っています。

 キャラクターの叶えたい目標を提示してもらって、それを達成するためのロードマップを何本か提示し、どれかを選んでもらう。また一回のプレイでそれをどこまで進めるかを相談する。進める分量が、リスクの大きさになります。
 ひどく手間のかかる方法ですが、こうして色々と相談している間にも着々とキャラクターへの愛着=願望は育っていきます。またキャラクターそのものや、プレイヤーが遊びたいゲームのイメージも掴めて来るので、実際のセッションになったときも、ハンドリングを失敗する確率が減らせるようになる利点もあります。

 そんな具合でプレイヤー自身がゲームをデザインし、リスクコントロールすることで、過剰に保守的になってプレイを阻害することが無いようにする。
 ……というのが、キャンペーン志向のゲームマスターとしての、僕なりのモチベーション管理技法になります。それでもやっぱりゲームシステムが提案する「最も楽しめる遊び方」からは逸脱する可能性もあります。が、誰もがそうしたタイトロープを好むわけでも無いので、その点についてはプレイヤー次第ということで、プレイヤー判断に丸投げしています(笑)

解*2 : 前提をひっくり返す

 もちろん解は一つではありません。前述の [解*1] はあくまでキャンペーンゲームのモチベーション管理を、キャラクターへの愛着でもって進めるときの方法論です。最後に書いていますが、ゲームシステムが提案する「最も楽しめる遊び方」を犠牲にしています。
 キャラクターへの愛着をモチベーション管理に使わない、あるいはキャンペーンゲームにしない、ゲームシステムが提案する「最も楽しめる遊び方」を大事にする、といった形で前提をひっくり返してしまえば、別の解が出てくるのが道理というもの。

 最初から単発セッションで遊ぶように、愛着を持たせすぎないように。そしてまた、ゲームシステムが提案する「最も楽しめる遊び方」を最大限に生かす方向で考える。そうしたプレイを標準化する方向でファシリテーションを進める。
 それがシナリオハンドアウトなんじゃないか? とか考えてます。

References

References
1 [美々しいストーリーテリング] = それっぽく偽装するのは、たとえば登場人物のポイント配置さえ心得ていれば大して難しくもないと考える。ゲームのプレイ時間に合わせて場面のポイントを管理し、その時点で登場している NPC に後天的に意味を与えるだけで、それらしい物語を作ることは可能だから。詳しくは「アドリブで物語っぽく演出する方法」参照。
2 [妙な不文律] = ある伝説によれば、D&D が発生した時点でそうだった、という話も無くは無い。かつてウォーゲームで“上手く負ける”プレイヤーこそがゲームマスターの元祖だ、と言っていた大先輩がいた。
3 [ポジティブなイメージを持ってプレイに参加する] = だからネガティブキャンペーンは毛嫌いされる。ネガティブイメージの強いゲームを、大多数の人々は遊びたいとは考えないから。