スタッフに頼んで記事のアップロードだけしてもらえることになりました。
まあ、三日に一遍くらいなんですが。
(代わりにアップしてもらった記事は、投稿者表示が「玄兎@proxy」になります。これは僕が後ほど確認したら「玄兎」にまとめられます)
さて、前回に続いて今回も、入門者さんたちに聞いた「RPG の難しさ」と、僕なりの考えを。
ページの内容
漠然とした「難しさ」
入門者といっても長短があって、〈キャラクタープレイ〉*1[〈キャラクタープレイ〉] = 俗に言う「なりきり」型プレイング。キャラクターの背景や性格などの設定をベースに行動する。そこに〈ゲーム〉を織り交ぜて、〈ゲーム〉の解決の道筋を立てることと〈キャラクタープレイ〉とを両立させられれば一人前。〈キャラクタープレイ〉は RPG を楽しむ技術の一つであるが、設定に振り回されて〈ゲーム〉をないがしろにするプレイングは本末転倒と言える。を得意とする人もいれば、〈アビリティプレイ〉*2[〈アビリティプレイ〉] = 古式ゆかしいプレイング。キャラクターの能力から〈ゲーム〉上の役割を認識し、それを果たすことを第一に行動する。適確で堅実なプレイングができる反面、「味気ない」と考える人もいる。を得意とする人もいる。逆にそれらが苦手な人もいて、その中でも色々やろうとする人もいれば、どうしてもお地蔵さん*3[お地蔵さん] = セッションに同席しているのに発言せず、ただ他の人のプレイングを眺めているプレイヤー。求められたときだけ最小限の発言をし、判定をする。個人的には口プロレスラーの次くらいに困るタイプ。あ、一番うざったい「俺TSUEEEE!!」は殿堂入りってコトで論外。になってしまう人というのも出てくる。
お地蔵さんといっても、実際はしゃべりたいけど“間”がとれずに迷ってしまう人もいれば、単純に「何をしていいのか良く分からない」という人もいたり、「俺は戦闘ができればいいんだ」という人もいる。
最後のウォーモンガーは、目的は明確なんで特に問題ありません(笑)
また、最初の「“間”がとれない人」には、たとえば「シーン制」という手法があります。
今回ここで扱うのは、二番目。
「何をしていいのかよく分からない」という難しさについて。
「難しい」の裏にプレッシャー
「何をしていいのかよく分からない」という問題は、漠然としているだけに手ごわい。
ちょっと問題を明確化していかんとダメだと思ってヒアリングを重ねたんですが、そうするとどうも「難しい」「分からない」という言葉の裏には、「注目されることがプレッシャーに感じる」という要素があるみたいなんですね。
プレッシャーの性質
たぶんその「注目されることがプレッシャー」というのは「学校の授業で先生に指されたとき」と似てるんだろうな、と思うんですよ。
ああ、いや、会議で上司に意見を求められる平社員でもいいですが(笑)
「じゃあこの問題を……」と言って教室をグルリと見回す先生。
答えが分かっている人は悠然としていられますが、正しいかどうか不安な人、そもそも答えが分からない人はドキドキする。
そこには「正解を出そう」という意識があり、また間違ったときに指摘される恐れがあります。そのために間違いを口にするのが恐くなり、どんどん無口に消極的になっていく。
そんなお定まりの右肩下がり。
この感覚、刷り込まれてしまっている人が多いかと思います。
プレッシャーの解消法
こうしたプレッシャーの解消法の一つとして、「リスク分散する」というものが考えられます。
簡単に言っちゃうと「みんなで考えよう?」ということです。
どうすればいいか分からなかったら「どうしたらいいかな」と聞けばいい。
相談すればいい。
それだけの話なんですよね。
前述の例を持ってくると、先生に指名されたときに「一人で考えて答える」より「周りの人と相談してから答える」方が、より気が楽だと思うんですよ。
それが正解でも間違いでも、とりあえず気は楽になる。
正解だったらみんなで喜ぶ。
間違ってたらみんなでガッカリしたり、違ったじゃねーかとじゃれたり。
そんなことが RPG の原始的な楽しみの一つじゃあないかと。
相談のススメ
相談していいものかどうか悩んでいる、そこの貴方。
シーン制でもそうじゃなくても、当事者以外のプレイヤーは結構ヒマしてるもんです。
むしろそのヒマを埋めるネタを提供するんだ、くらいのつもりで相談したらいいと思います。
ああ、もちろん最後に判断するのは当事者である貴方なんですけどね(笑)
(なので相談された人も、もし自分の意見が採用されなかった場合もスネたりしない(笑)。気になったら感想戦のときにでも「あの時○○してたらどうなってた?」とか聞いてみると良いでしょう。当たってたり外れてたり、まるで想定外の展開になってたりするかもしれません)
まとめ。あるいはお願い
入門者さんや、あまり面識のないプレイヤーさんが混じっているセッションでは、次のことを忘れないでもらいたいと思います。
「『その場にいない人が意見しない』という不文律に目をつぶる」
特にリアリティを重視する人、シーン制をしっかり管理したい人は、PC がその場にいないプレイヤーの発言・意見を嫌う傾向にあります。が、とりあえずそれは場の空気が暖まってから――プレイヤーが打ち解けてからにしてもらいたいと思うわけです。
「相談する」というリスク分散は、プレイヤーを過度のストレスから守ります。
ほどよいストレスは、人に発言と行動を促します。
過度のストレスは、閉口と疲労を現出させるものです。
どちらが RPG に適しているかは、自明の理かと思います。
そして人はストレスに慣れることができる。
(もちろんこれには「ある程度までの」という但し書きが必要ですが)
であるなら、プレイヤーがストレスに慣れてきてから、一段上のストレスをかければいいのです。
また逆に、ストレスに疲弊してきたら、それを取り除いてやればいい。
そうすることで、プレイヤーの活発さは損われることなく最後までゲームが楽しめるはずです。